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「暗い」歌が好き・・・野田知佑?

 私は、「暗い」歌が好きだ。

哀愁がある歌、心が落ち着くような歌、綺麗な旋律の歌、情景の浮かぶ歌・・・・・・・
そういう歌が好きだ、というと、「暗い」歌が好きなのね、といわれる。

はじめて、そう言われたとき、
「エッ!」と驚いた。
自分が「暗い」といわれたような気がしたからだ。
「暗い」という言葉に、一般的に使われる「ネクラ」というネガティブを感じ取った。

「そうか!俺は暗かったのか・・・・・」
「これからは、こういうことを言うのをやめよう!・・ネクラと思われるかもしれない・・・」

その後、その秘密をかくして生きてきた。


はじめて、ヨーロッパに行ったときだった。
昼間、若者があっちこっちでキスをし合っている国、ノンビリとした明るいラテンの国スペインを回った。
夜、ラジオをひねると、どこも皆、「暗い」歌を流しているのだ。
哀愁のある、旅情的な歌が、スペイン語の心地よいリズムとともに、胸にしみてきた。

イタリアにも行った。
このラテン人は、赤や黄色のような原色の服を恥ずかしげも無く老若男女着ているぐらい明るい。
大きな声で笑い、スキンシップも大好きのようだ。
ここでも、夜、ラジオから流れてくるメロディは、「暗い」のだ。

ギリシアのタベルナ(食堂)では、ギターの音色が響いていたが、それも、アラビア的旋律が何ともいえなく「暗い」のだ。

その後、サンバの国ブラジルにも行った。
サンバ!というイメージ通りの明るく、気さくな人たちだ。
ビーチでは、かわいい娘もそうでない娘も、みな三角巾のようなビキニをつけていて、とても感激した。
しかし、ここでも、ラジオから流れるメロディ、街中のバーやレストランのバックミュージックは、とても「暗い」のだ。

その後、あちこち行ったが、はっきり言えば、どこも「暗い」のだ。


ここから導きだされる結論は、
「暗い」歌が好きな人が、「ネクラ」ではないと言うことだ。
彼らは皆、人生を謳歌しようとしている。
謳歌しようとしている人間にとって、喜怒哀楽があるのは当然。
歌に「暗い」も「明るい」もない。
歌によって、人生を励まされたり、勇気をもらったり、思い出をつくったり、共感したり、・・・・・

人生を謳歌しようとしている世界中の人々にとって、「ひとりで考える」という時間はとても大切のはず。
昼間の出会いや会話など、を「ひとりで考える」ということを・・・・
出会いの数だけ、哀愁があってもおかしくはないはず。
そして、出会いの数だけ、人の悲しみが理解できるはず。


その逆が実は現代の問題かもしれない。
出会いが無ければ、人の悲しみが理解できない。
「ネクラ」な人に、「暗い」歌は、不安定要因かもしれない。


最近は、「暗いんじゃない!」
と言われれば、「そう?暗い歌が好きです!」
と私は、答えている。


新・放浪記1『旅へ』野田知佑著より

パリにて・・・・・・
 ある日、ここで食事をし、一フランのチップを払うとぼくのポケットには五フランしか残っていなかった。
ぼくはその足でギターを持ってモンマルトルに向った。
 ある一角ではイタリア人らしい二人の青年がカンツォーネを歌っていた。
その隣ではギターを抱えた男がビートルズの「イエローサブマリン」を歌っていた。
今まで余り注意して聴いていなかったが、こうして聴いてみると、みんな上手いのである。
とても敵わない。
 ぼくは心細くなってやる気がなくなってしまい、ぼんやりと一人の「似顔絵描き」の爺さんがお客の絵を描いているのを見ていた。
 お客が立ち去るとその絵描きはたどたどしいフランス語なまりの英語でぼくにいった。
「絵を描いて欲しいのかね、それともギターを弾くのか?」
彼が好々爺なのでつい本音を吐いてしまった。
「ギターを弾くつもりだったけど、自信がなくなった。みんなとても上手いんだもの」
「そうか。最初は誰も自信がないもんだ。
俺だって、この商売をやり始めの頃はここに座ると恥ずかしくて体がふるえたよ。それが今じゃこの通りだ。ボアラ」
 爺さんは両手を拡げてカッカッと笑った。
「俺の横でギター弾けよ。俺が聴いてやる。俺の客も喜ぶ」
 爺さんはギターを抱えて座ったぼくに、帽子を前に置け、そしてその中に「さそい金」として小銭をいくらか入れておくんだ、と教えてくれた。
 歌う曲は日本の歌だけだ、と決めていた。
「五木の子守唄」「島原の子守唄」「中国地方の子守唄」、それと「影を慕いて」「酒は涙か溜息か」の五曲。
これだったら、外人には負けないし、少々間違っても判らない。
恥ずかしいので下を向いて歌った。
ちょうど日暮れ時で、遠くで教会の鐘がなり、路上には人恋しい空気がたちこめていた。
 歌うにはとてもいいムードで、一曲目の途中から、ぼくは人の目を忘れて歌の中に没頭した。

 ~おどんがうっ死んちゅうだば 道端埋けろ
 通る人ごち 花上ぎゅう
 花は何の花 つんつん椿
 水は天から もらい水


Montmatre20nuit20place20du20tertre[1]


一曲終わると絵描きがブラボーと手を叩き、彼の客も「よしよし」とうなずき、そして驚くべし、ぼくの帽子に「チャリーン」と音がして一フランの硬貨が投げ入れられたのである。
 二、三人、人だかりがし、するとそれはすぐに五、六人になり、十数人になった。
今から二十五年前だ。
 フランスではまだ日本人が珍しかったのである。
特に日本の歌は。
その夜、帰る時、ぼくのポケットには一四〇フラン(約一万二千円)が入っていた。







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