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野垂れ死にの「旅」

生死問答-平成の養生訓 (平凡社ライブラリー)生死問答-平成の養生訓 (平凡社ライブラリー)
(2011/01/08)
五木 寛之、帯津 良一 他

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五木 いま、お遍路さん話をしましたが、遍路は野垂れ死にの行、だったのではないかと、私は思っているんです。野垂れ死にという言葉には、ふたつのイメージがあります。みじめな、寂しい死にかたで、身元もわからず、だれにも看とられずに死んでいくのはつらい。しかし、そのいっぽうで、なんとなく自由な、すがすがしさを感じるのは、なぜだろうと考えるんです。
帯津 ほんとうですね。野垂れ死にというと、太く短く生きて、そのなれのはてという感じがあるのですが、すがすがしさを感じるというのは、さすがに五木さんですね。同感です。
五木 最近、よく問題になる孤独死などという言葉よりも、はるかに心ひかれますね。それはなぜだろうかと考えるんです。ふりかえってみると、むかしから有名人が野垂れ死にをしてますよ。
帯津 そうですね。
五木 私は、ブッタの死は典型的な野垂れ死にだったと考えるんです。彼は旅の途中、貧しい鍛冶屋の息子から貧しい食事を供され、それを食べたあと、はげしい腹痛におそわれる。そして、よろめきながら旅をつづけて、クシナーラーの林のなかでたおれて息たえる。ひとりではなく、弟子たちがいたとはいえ、病床にふせることなく路上でたおれて死んでいった。
 これはみごとな野垂れ死にではないでしょうか。
帯津 ほんとうですね。私がイメージしているブッタの死にざまは、じつは五木さんのご本から得たものなのですが、おっしゃるとおり、みごとな野垂れ死にだと思います。死にざまのひとつの理想ではないでしょうか。
 私自身の野垂れ死には、早足で病院のなかの廊下を歩いている。まえを行く看護師が徒ならぬ気配を感じ振り向くと、私が崩れ落ちる。あわてて私の身体をささえたときは、すでにこと切れている・・・・。こんな監事ですね。
五木 ほーぅ。私はできたら、遺体を残さず野生動物のように消滅したいと思っている。んですが、こう煩雑が多いと無理だろうな(笑)。
帯津 さっきもいいましたが、私もどこで死のうと死に場所にはこだわりませんね。病院でも、旅先でも、路上でもかまわないと思っているんです。
五木 俳人の種田山頭火が漂白のはてに死んでいったことは、有名ですし、トルストイやキルケゴールも旅の途中で病に倒れ、だれからも看とられることなく、この世を去ったわけですが、彼らの死を考えると、悲惨さや寂しさではなく、なにか、人間のしがらみや欲を突きぬけた静寂を感じるんです。
帯津 そうですね。
五木 私は、野垂れ死にの覚悟ができれば、もっと生きかたの自由な幅や可能性が生まれるような気がするんです。体のどこかに不調を覚えても、その原因を検査して探ることもしないで、ただただ不快な症状だけを取りのぞく。貯金もしない。もちろん、銀行口座の残金も気にしない。仕事に追われてあくせくすることもしない。ただただ一日一日をたいせつの生きていけるような気がするんですよ。
帯津 いいですね。・・・・・・・・・・


今は「野垂れ死に」もお金がかかる。
もし海外で死んだ!などとなると、こっちで火葬するか・・・それともドライアイスをつめて空輸するか・・・保険に入っているのか?などなど・・・・
あとのことを考えたら、「野垂れ死に」も気が重い。
それを含めて、覚悟を決める!ということですね。

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