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東電OL殺人事件

ここ2,3日とても暖かい。街を歩けば梅の鮮やかな色が目に付く。春の風を感じる季節だ。
今から16年前の3月8日、渋谷区円山町の古い木造アパートでひとりの女性が殺された。
渡邉泰子という39歳のその女性の肩書きは東京電力経済調査室副長。女性エリート管理職でありながら、毎夜、渋谷区円山町の街角に立ちセックスの押売りをしていた。
どうしてエリート社員が売春を?とマスコミは彼女の身辺をかぎまわり過剰に報道した。しかし、その本当の理由は結局誰もわからなかった。
お金のためでもない・・・泰子は年収1000万円以上あった。
セックスが好きなわけでもない・・・泰子は拒食症に罹っており性欲はなかった。
たぶん、性欲も生理もなかったのではないだろうか?死亡時の体重は44キロ、身長169センチ。

当時、私は円山町入口になる道玄坂で2度ほど「・・・遊ばない」と声をかけられたことがある。今思い起こすと彼女ではないか?とおもうのだがその確証はない。背の高い髪は長くスーツ姿・・・・という泰子の売春時の様相は私の見た印象と同じなのだが・・・目で訴えるように「遊ばない」という迫力は、フランスパリのピガールの男娼とよく似ておりとてもこちらの性欲を勃起させるものではなかった。

渡邉泰子は、1957年生まれ、公立中学から慶応義塾女子高等学校に入学、慶応大学経済学部をトップクラスで卒業し、1980年東京電力に入社。学生時代からプライドが高く完璧主義者で、先生に対してもはっきりと発言する生徒だった。男性社会だった東電ではエコノミストを目指しはっきりと自己主張する泰子は、かなり煙たがられたはずだ。彼女は孤独に慣れているのか、家でも会社でも孤独、そしてそれ以外でも親しい友人、恋人もいなく孤独・・・・唯一最愛の理解者である父親が大学2年のとき亡くなり拒食症が発症。1985年、東電入社6年目、再び拒食症で入院。その後拒食症は1997年3月亡くなるまで続いた。風俗に身を染めるようになったのは1989年頃、1993年には円山町の街角に立ち始めた。
 雨の日も風の日も、35歳を過ぎた拒食症の女性が、1日4人以上のノルマを課し、ポン引きを介さず自分で客を引き続けることは想像を絶する苦難のはずだ。それを彼女は何年も続けた。まるで苦難こそ浄界といわんばかりに!
専門家は、泰子の売春行為を摂食障害者が併発する自傷行為の一種だという。自分自身を傷つける行為に、自分の存在価値を見出すらしい。それにしても・・・・昼は頭脳の世界に生き、夜は身体の世界に生きる彼女。東電では多くの論文を書き自分で考えている以上に評価されない彼女。その低評価は多分に彼女の性格から来るものだろうがそれを認めたくなかったのだろうか?夜の身体の世界はその点、評価は身体だけだ。評価の対価はお金でハッキリわかる。自分の努力が対価にあらわれる・・・・と信じて完璧な夜鷹になろうと一途に邁進する女性ではなかったのだろうか。とても狭い視野で円山町の迷路を男を求めて彷徨い歩く彼女の姿に人間のサガを感じてしまう。
 そしてついに、彼女にとって夜の世界が本業になってしまったのではないだろうか。マスコミは、東電olがなぜ売春を!と書きたてたが、彼女にとってもうすでに、売春が本業だったのではないだろうか。最初は、自分の能力を認めたがらない会社に対しての、または、相容れなかった母親に対しての、または、添え遂げることのできなかった恋人(会社の上司)?に対しての売春は自傷的反抗行為だったのかもしれない。しかし、円山町に立つ頃、彼女のなかの本業は東京電力ではなかったのではないか。なぜそう思うかといえば、売春のときのほうが活々としているではないか。そして、売春客たちに堂々と東京電力の肩書きを口外、または利用しているではないか。東電olを本業と考えるのであれば、円山町に立つことに後ろめたさこそ感じ、ましてや初めて出会った行きずりのセックス相手に「自分は東電で働いている」等々の言葉は吐かないであろう。身体を金で売買するという一点にかけて完璧なまでプロフェッショナルになりきった彼女は、円山町のラブホテルで東電の名刺を差し出し、その経済学の知識をひけらかす。放尿、脱糞、ラブホテルから素っ裸で路上に飛び出し・・・節操なきまで自由奔放に振舞いながら、毎日詳細な売春手帳を記録していた。顧客データから金額まで。

たぶん、1989年の段階で、彼女の頭のなかは壊れてしまっていたにちがいない。
普通ではない。個性と呼べるものでもない。
ここに至るまでかなりのトラブルがあったことだろう。家族や会社で言争いが起こらないはずがない。そしてどちらもどうすることもできなかった。
家族も東京電力も彼女が売春をしていたことを知っていたという。これだけ大胆に徘徊していれば、それは当然だ。もしかしたら、母親か妹は円山町までその姿を確認しに行ったかも知れない。もし私の家族にそのような噂があれば必ず確認し事実なら止めさせるだろう。誰でも危険性を認知できるはずだ。たとえ「世間体」うんぬん言う母親だとしても、「立ちんぼ」になるということはもう「世間体」どころの話ではなく、命や病気にかかわることで、本気で止めさせようとしたはずだ。
会社はどうだ・・・東京電力のような巨大なエリート集団がなぜ彼女を排除しなかったのか不思議だ。見てみぬふりをしたのだろうか?もうすでにおかしくなっていた彼女に、1993年には出向先から呼び戻して経済調査室副長という管理職の肩書きを与えている。普通なら事実を確認し本人の依願退職を勧めるのではないか。東京電力側にそれをできない理由があったのだろうか?たとえば、多くの東電社員がすでに彼女の顧客となっていたとか・・・これは十分考えられる。だって、自分の会社のOLがどこかで売春をしているという噂を聞けば確かめたくなるのがホンネではないだろうか?しかも、いつもツンツンして怖い高学歴エリート女性を自由にできるのだ。知的な女性を淫らにするほどのエロスはないと三島由紀夫は言っていたが、高学歴者ほどそのような心理を持っているのではないだろうか。
結局、渡邉泰子は絞殺された1997年3月8日後も東京電力の社員だった。
死体発見後の葬儀は東京電力が仕切っておこなわれた。

もし渡邉泰子があそこで殺されなければ今頃どうしていただろうか?
きっと今でも同じ生活をしていたのではないだろうか?
40歳になろうと50歳になろうと・・円山町の町に立ち「・・・遊ばない」「お茶しません」「セックスはいかが」と声をかけている。
もしかしたら、警察に補導され刑務所の服役し会社を懲戒免職されていたとしても、円山町の街角をやせこけた身体で動き回っていたような気がする。

今日は、渡邉泰子さんの命日である。
渋谷に行くついでに、彼女が毎晩立っていたという円山町にある道玄坂地蔵に手を合わせてこようかと思っている。
道玄坂を登りきり交差点を渡ったところに交番がある。交番に沿ってその一つ先を右に曲がり一つ目の左角あたりだったと思うのだが・・・・とにかく迷宮のような場所だ。しかし、不思議と落ち着けるのだ。

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