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島崎藤村の旅 その3

島崎藤村は、大正2年(1913年、42歳)に神戸からフランス船・エルネストシモン号に乗って、フランスのパリへ行った。
航路は、4月13日神戸出港から、上海、香港、サイゴン、シンガポール、セイロン、仏領ジプチ、黄海、スエズ運河を通って地中海、シシリー、5月20日マルセイユ到着までである。
そして、3年後、ロンドンより日本船・熱田丸にて、大西洋、アフリカの喜望峰と回って、マダガスカル、シンガポール、香港、上海、神戸と帰ってきた。

1906年藤村は、代表作『破戒』を自費出版する。夏目漱石に絶賛されたこの小説は、被差別部落を扱い、社会に大きな問題点を投げかけた。
 藤村は、この小説の中で、「部落差別はいけない」ということを強く主張してはいない。ただ、現実にあることを自然体で冷静、第三者的に書いていく。藤村の本心は確かに、常に「弱者の味方」であったとは思うが、決して感情的にならない。そのことが、たとえば、藤村全集の月報で、文芸評論家・中村光夫に、次のような論評を受ける。
「藤村の小説をよんで若いころあきたりなく思ったのは、彼の女性にたいする冷たさです。恋愛しても自分のことしか考えず、相手の献身は当然のことととしてうけ入れるだけで、ちゃうど蜘蛛が網にかかった虫をくらいつくように相手の骨までしゃぶりながら、自分ではそれに気づかずもっともらしい顔をしている。
 こういうところが救いがたい偽善者のように思われて、むやみに反発したのですが、今日になって自他の経験を通じて考えてみれば、恋愛にはたしかにそういう一面があり、彼は彼なりに自分が感得した側面を誠実に告白しているのだ・・・・・・・・・・」


 島崎藤村は、ヨーロッパへの旅でも、至るところでヒューマニストであることがわかる。そのことは、『破戒』における作者の視点をみているようである。
たとえば、船旅で出会う、「日本人が中国人にえばり散らす態度に嫌悪感を覚えたり」「現地人の貧しさに優越的に接するヨーロッパ人と距離をおいたり」している。
 その当時、このような考えの人がいることに驚くと同時に、まだこの時代だからこのような人が多数いたのではないかとも思う。この後、日本がアジアを陰惨さる歴史に巻き込んでいく過程で、日本人もアジアの一等国民という意識を当然と思うようになっていったのかと思う。
 
 一方、藤村は、ヨーロッパでの生活の中で、東洋的な風貌であるから、あちこちで、ジロジロと見られ、ヒソヒソと話されることにかなり参ってしまっていた。もともと社交的とは言いがたい性格だったのか、人にジロジロ見られないように、リュクサンブール公園とか美術館を好んで出かけている。
また、自分は旅行者としては年齢不相応なのではないか、ととても気にしている。42歳という年齢である自分が、見聞のために、海外を放浪していることに、「いい歳をして!」という恥ずかしさを自分自身で持ってしまっている。現地でフランス語学んでいた藤村だか、シャイでバカになれない人間にとって、会話を身につけるのはいつの時代でも難しい。

私は、藤村の一連の旅の中で、上記のような心象を読んで、大きな驚きをもった。
なぜなら、今でも、全く同じことが起きるからである。
藤村から100年後の今でも、日本人は、とてもヒューマニスト?(偽善者)である。
そして、年間約2000万人近くの日本人が、海外へ渡航している今でも、大都市を少し外れれば、必ず、現地人の強い視線を浴びるだろう。
特に小さな子どもの視線は、正直なだけに、自分をよそ者と強く意識させ、「村八分」にでもあったような気にさせる。
「日本人か中国人か?」という視線・・・・・・特に子どものしつこさ。
その視線の意味を、日本人は、「中国人と間違われているのではないか?」と意識する。
中国人はかなり昔から、世界へ渡り、現地慣習を無視した違法的商売をしているため、ユダヤ人同様どこでも嫌われている。
その「中国人と間違われたくない」と思い、「私は日本人だ」と叫ぶことになる。
叫んだ後、「私は日本人でよかった!」と思うタイプと「自分自身が中国人を差別したことに自己嫌悪」に思うタイプがある。
藤村は間違いなく後者のタイプだ。
そして、1930年代、日本が軍事色を前面に出してきた頃から、「私は日本人でよかった!」というタイプが増えてきたのではないだろうか?

そして、現代、間違いなく、「私は日本人でよかった!」タイプが増えている。
それにも増して、現地人の視線など全く無頓着に振舞う日本人のほうが多いかもしれない。



『海へ』島崎藤村著

〈上海〉
・・・・・上海も私に取っては、離れて行きたいと思う国の一部ではあった。そこもまだ日本だ。私は、世界に於ける一等国の国民といふやうなことを無暗と振廻して欧羅巴人の仲間入りをさも誇りとしたり無智な支那人を擲ることを得意としたりするやうな左様いふ同胞の全く居ないところへ行きたかった。私は一切のものを忘れたかった。愛する日本を忘れたかった。あの憐れな世紀の焦燥を忘れたかった。私は自分の暗い心が、多くの失望に失望を重ねた悲しい社会的の経験からも来て居ることを白状せずには居られない。
 われわれの汽船は驚くばかり濁った海へ出た。揚子江の河口から流れそそぐ・・・・・

〈シンガポール〉
・・・・・・船客は思い思いに貝細工だの人形だの絵葉書だのを土人から買求めた。港に碇泊するわれわれの船をめがけてカノオを漕寄せる土人もあった。不思議な声を出して手を挙げて見せるのは、銭を海に投げて呉れという合図だった。旅のつれづれに高い甲板の上から銭を投げるものがあれば、土人は直ぐに水の中を潜って行って拾い出して見せた。こんなあさましい慰みも、初めて見る眼にはめずらしかった。

〈ケープタウン〉・・・帰路(英領・南アフリカ)
欧羅巴を見た眼でこうした阿弗利加(アフリカ)の植民地を見ると、すくなくとも向ふには純粋なものがあり、ここには外来の勢力を無理に押し込んで造りつけたやうな濁ったものがある。すべてが実に雑然紛然として居る。成るほどここには建築物として立派なものがある。しかしその一つでも殆んど調和したものが無い。私はこうした植民地を見た眼でもう一度自分の国を見るといふことが何となく気がかりになって来た。

〈ダーバン〉・・・・・帰路(英領・南アフリカ)
半日ばかり知らない町で暮らして見るうちに、私はあの波止場で一番最初に見た土人から、あの針金のやうに巻き縮れた髪から、あの恐ろしげに光る眼から、あの気味の悪く黒い皮膚から、あの赤い唇と際立って白くあらはれる歯から、一概に獰猛な性質のもののやうに自分の感じたことを改めなければならないやうに成って行った。私はまた、黒人を淫欲の対象として見るやうな、ある一部の欧羅巴人を憎むやうにも成って行った。ダアバンの博物館を見た眼を移して、町々を行きかふ人達の中に出て見ると、あの土人の製作品として陳列してあった南京玉をおもしろく意匠したものなぞが土地の婦人の身を飾って居ることが分る。


『エトランゼエ』島崎藤村著

・・・・『あのフランス人は何を君のところへ訊きに来たんですか。』
と私は散歩に出た途中で、連れの大寺君に尋ねて見た。私達は天文台前から程遠くないリュキサンブウルの公園の内を歩いて居た。そこは『小リュキサンブウル』とも言って、本公園の方へ通ふ静かな樹蔭と草地の見える場所であった。大寺君はしばらくマロニエの並木の下に立って、私達の側から離れて行く素性の知れない男を見送って居た。
『あなた方は支那人でせうか、それとも日本人でせうかツて、そんなことを訊きに来た。』
 と大寺君は忌々しさうに私に言って見せた。何故見ず知らずの男がそんな事を訊きに来たかは一寸私には読めなかった。
『見給へ、あの男は賭けをして居るんだ。僕等を支那人に見立てたものと、日本人に見立てたものとが居るんだ。何方か負けた方が金を出すんだ。それでわざわざあんなことを聞きに来た。』
 その大寺君の言葉に思はず私は君と顔を見合せて笑った。私は大寺君が他から顔をじろじろ見られるぐらい何とも思って居ないやうな旅慣れた様子に感心した。そこへ行くと、町で行き逢う男や女の視線を避けようとするだけでも、私の足は下宿の方へ急いだ。



・・・・・・・
 こうした黙し勝ちな旅行者の境涯から言っても、私はリュキサンブウル公園の美術館にあるものを独りで探りに行きたかった。そこで出掛けた。
 『あ、異人が通る。』
 と言ひたさうな眼付をした町の子供が公園の入口に遊んで居た。私はその辺で、小さな帆掛け舟を手に提げた二三の子供にも逢った。
 エトランゼエ(異国の人)--という気分が私に浮んで来るやうに成った。よく東京の銀座通りあたりで毛色の違った人達を見かける度に、異人が通ると思って見送ったものだが、旅はその私の位置を転倒した。そして私が毛色の違った人達に向けた眼は、あべこべに自分の方へ向けられるやうに成った。今は私の方が異人かと思った。

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