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野田知佑氏と尾辻秀久氏

有名なカヌーイストの野田知佑氏が、カヌーに出会う以前の青春時代の旅を書き表した書「旅へ」は、旅行記としても人生論としてもとても有意義な本だと思う。
 旅とは、その旅する人の性格が随所のあらわれるものだが、この本にも無骨で要領の悪い野田氏の性格が垣間見えてくる。大学卒業後、仕事がうまくいかず、日本そしてヨーロッパを放浪した1965年頃、野田氏20代後半の記録である。

そして、もう一人の同時代の旅人、現在、国会議員で自民党幹部である尾辻秀久氏の旅行記もおもしろい。尾辻氏も20代後半、1966年にヨーロッパ、そして何年かかけて、中南米、アフリカと旅をしている。そのときの記録は、「ボッケモン世界を行く」「続ボッケモン世界を行く」「アフリカ旅日記」(写真集)と出版され(現在、尾辻氏のHPで読むことが可能である)、当時は無銭旅行者のバイブル的存在であり、尾辻氏自身、旅サークルを主催するなど、今で言うバックパッカーの教祖的な存在でもあった。


 バックパッカーといっても今とは雲泥の差がある。
当時は、渡航が自由化された直後であり、現金の持ち出し制限(約1500ドル)があり、その1ドルも360円である。しかも海外の情報はほとんどなく、当然「地球の歩き方」のような本はないのである。まだ、世界が遠い頃の旅であるから、それぞれの旅が既成外であり、波乱に満ちている。今の旅は、必ず、ガイドブックまたはインターネットから情報を得て、お金も十分持ってのものである。不安解消のお守りをあちこちに配置しての旅であるから、トラブルといってもたかが知れていて、そういう人の書いた旅本も自画自賛的で、こちらが感情を揺さぶられることもない。


ただ、この2人が旅した後に記した内容が全く正反対なのに驚く。
この意識の違いはなぜ起きるのか?

野田知佑著『旅へ・新放浪記1』文春文庫、文庫版のためのあとがき(1999年3月)

何事にも要領が悪く、ぼんやりとして、気が利かず、不器用な人間が、どうやってこの世を生きていくか。
 振り返ってみると、絶望的に生き方が下手である。何かやろうとしてうまくいったことが一つもない。いつもヘマをし、失敗してきた。
 38歳で離婚をして再び放浪を始めた時、こう思った。これからは本当に自分の好きなことだけをして生きる。自分に合わない都会暮らしや会社勤めを長年、我慢してやってきたのだ。これからは誰にも遠慮しないで好きなことだけをして生きよう。
 当然のことだが、人はどんな生き方をしてもいいのだ。しばらくの間はそれまでずっとやりたかった川遊びやカヌーだけやっていこう。そのうちそんな遊びにも飽きるだろうから、そうしたら田舎に引っこんで静かに暮らせばいい。そう思っていた。
 折からアウトドアブームが始まり、カヌーがもてはやされ、アウトドア雑誌がいくつも現われて、そこに書くようになり、にわかに忙しくなったのは皮肉だった。
 先日、新聞配達をしていた頃の仲間の一人と出会った。彼は強い口調でこういった。
「あの頃、まわりの大人たちはぼくたちに何かあるとすぐ、世の中はそんな甘くないぞ、世の中はもっと厳しいぞ、といって脅かしたけど、実際に世の中に出てみたらぼくが思ったより何倍も甘かったと思う。ぼくの希望や夢をあんな言葉で圧殺して邪魔した大人たちは許せませんね」
 かつての勤労青年は今や知的な白髪の老紳士となり、北海道の田舎で動物を飼って生きていた。彼はよく光る目や悩み多き人生は少しも変わっておらず、彼を見ていると、新聞販売店の狭い寮の中で「世の中が間違ってますよ」と憤慨していた青年の姿が彷彿とした。もちろん世の中が間違っており、青年は正しいのである。
 去年、フィンランドに行ってカヌーを漕ぎ、湖をいくつか伝って旅した。夜は小さな島にテントを張って、焚火をして過ごした。30数年前にこの国を初めて訪れた時のことがしきりに思い出された。あの時はいい大人にたくさん出会って運がよかった。日本では大人たちが、自由に生きようとするぼくをダメだといい、非難し、憎み、ぼくは全然自信がなかった。しかし、ヨーロッパで出会った大人たちはぼくの生き方をよしとし、「自分だって若い時は君と同じことをした。がんばれ」といった。あの頃の日本の大人たちの貧しさは言語道断だと思う。 
 その後、日本は金持ちになり、豊かになったといわれるが、実態はどうだろう。
 ヒッチハイクをして旅をし、そのことを書いて食っている若い友人がいる。彼の話によると、「他人の車に乗せてもらうなんて、そんな物乞いのようなことをして旅行するな。金をやるからちゃんと汽車に乗って旅行しろ」という大人が今でも少なからずいるそうだ。
 この国の大人は相変わらず貧しいのではないか。自分の子供たちに受験勉強以外のことは何一つさせず、若い者が何かしようとすると危ない危ないといって禁止する。外国に行くと、日本とは正反対に、受験勉強以外のことはすべてやって大きくなった若者を見かける。心身共にたくましく、見事である。
 最近、そういう窮屈な日本を捨てて外国に行き、市民権をとり、悠々と暮らしている日本の青年に会うことが多くなった。外国人になってしまったこれらの青年たちは大らかで、のびのびとしており、いろいろな点で驚かされる。環境さえよければ日本人も心の広い、感じのいい大人になれるのだ。




(南日本新聞「南風録」より)昭和46年3月11日付
「ボッケモン(尾辻秀久)帰る」
 自動車で世界旅行をしていた鹿児島出身の学生が、4年10ケ月ぶりに帰ってきた。
「ちょっと外国に行たっくっで」と出かけたのだが、結局、13万キロを走破し70ケ国を回る長旅になってしまった。鹿児島弁まじりの英語でアルバイトを続けながら、体当たりでなんでも見てきた。あっぱれ現代のボッケモンぶりである。

 海外旅行ブームが続いている。メガネをかけ、カメラをさげて、パリやローマを日本人の観光団体がかけずり回る。お仕着せのスケジュールで気ぜわしく、頭はお土産のことでいっぱいというふぜいの外遊族が少なくない。かつてのアメリカ人のように「旅行アニマル」などといわれるゆえんだ。
ボッケモンの場合は、同じ外遊でも自前である点が違う。
 出かけたあと日本では、青年が籍を置く東大を頂点に、学園紛争が燃えに燃えた。若い火は世界中に広がっている。世界中の同じ世代の若者たちは、何を考えているのか。じかにひざをまじえて語ろうとする青年の旅は、自然に長引いた。その彼が「世界の若者は元気がない。今こそ日本の若い世代がキバらねばならん」という。たのもしい。
 世界を回って得た収穫は「日本人でよかった。生まれかわっても日本人になりたい」思いを深めたことだともいう。人は外国に出て、初めて自分の国を見渡す機会に恵まれる。
そしてほとんどナショナリストになる。
一時の郷愁や狭い視野によるものなら、その場限りの愛国心に終わってしまうが、これだけの体験を踏まえたうえの実感だ。本物だろう。
 ブロークン英語が通じないので業をにやし「飯を持ってこんか」とどなったらわかった話。スウェーデンの少女と淡いデートをし、アメリカの女子学生を論争した話。本誌夕刊に連載されたボッケモン君の旅行記には、苦労を忘れさせるようなユーモアと痛快な話題が散りばめられていた。

 未踏の豪州、南アフリカにも機会を見つけてまた行くという。若いエネルギーが、ある時はふてぶてしくさえ見えることもあろう。だが昔の歌のとおり、薩州薩摩のブニセが世界をまたに駆け回る。明治維新の夜明け前に、串木野は羽島沖から海外留学のため密航した先達の血が脈々と流れているのを見る思いである。






                

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