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旅の目的

旅の目的


『旅の発見』岡田喜秋著(玉川選書)の中で、評論家の草柳大蔵が、
無目的な旅ほど愚劣なものはないですよ。ヒッピー的なものからは何物も生まれませんよ
と言っていた。


他にも同様のことをいう人たちを私はたくさん知っている。
旅の目的がそんなに大事なのだろうか?
目的を持つと自分の旅を正当化した気がするのだろうか?

「私は、雑誌記者で、ここに来た理由は、取材なんですよ・・・・」

「このレストランで、食事をするのが、この旅行の目的ですわ!」

目的がないとフリーターにでもなった気がするのだろうか?

日本人は目的が大好きだ。
「旅」はよく「人生」にたとえられる。また、「人生」はよく「旅」にたとえられる。

学校の卒業式でも会社の入社式でも、演壇に上がった賓客のもったいぶった話の多くは、
「人生に目的を持て!」という内容だ。まるで、目的のない人間は、半人前だと言わんばかりに聞こえる。誰もが、イチローや益川教授になりたいわけではないだろう。一生、とり立てて目的もなく、流れに沿って、浮き沈みして生きて何が悪いのだろうか。

「旅」にしても、目的に縛られる必要はないだろう。目的は、自分自身を正当化し、目的遂行のために他の可能性を見過ごす場合もある。または、排他的になる場合がある。

しいて、無目的という目的があってもいいじゃないか。
「旅」の第一の目的は、「無目的」でなければならないと私は思う。そして、偏見に囚われず、自分自身の新たなひらめきに一喜一憂してほしい。

草柳大蔵氏の「ヒッピー的なものからは何物も生まれませんよ」というフレーズは偏見以外の何物でもないであろう。
そして、その偏見を生み出した原因は、「目的を持たなければダメだ!」という価値観にあるのではないだろうか。

『旅の発見』岡田喜秋著(玉川選書)より


 スチブンソンというイギリスの作家は、19世紀末に『旅はロバをつれて』という実際の体験にもとづく一冊の紀行文を書いた。彼は、当時でも、すでに、旅が、味けないものになりつつあることを知っていて、その欠陥をおぎなう形の旅を創造したのである。汽車のある時代だったが、あえてロバをつれて出かけた。彼はすぎてゆく一刻一刻に、生き甲斐を感じさせる努力を考え出した。彼は、「徒歩旅行について」という一文のなかで、こういう。
 「私はどこかにゆくために、旅に出るのではない。どこにでも、とにかく、行くのが目的だ。問題は動き廻ることであり、文明の羽根ぶとんを降りて、大地が花崗岩でできているところを歩いて、足にすい石がふれることを感じることである」
 彼はロバをつれて、フランスの田舎をゆっくりと旅した。それは、馬よりものろい動物であることを承知で、それだから、よりたのしく、予期しないさまざまなできごととの出会いが起こるだろうと期待して、この同伴者?をえらんだのである。当然その旅は、人間を素朴な状態においてくれる。
 「私は野蛮人が知っていて、経済学者には盲点になっている事実を発見した。自分は今、野外にいるすべての生物と共に同じ体験をしている。
 自分はいま文明の牢獄をのがれている。しばらくの間、善良な動物として、自然に飼われている羊の群れの一匹となっていることを思うと、実に独特なよろこびにひたるのである・・・。
 神は原野に泊まることを何も拒みはしない。そこには、毎晩、寝床が用意されていて訪れるものを待っている」
 彼はやがて夜明けのひとときを迎える。
 「厳粛なよろこびに包まれた、夜は次第に明けてゆき、何か美しい。そこで意外なものがありはしないかとあたりを見廻したが、黒い松の木や、くぼんだ空地、そして草をたべているロバ、すべてもとのままの輪郭であった。光線が変わってゆくだけで、それがすべてに生命と感情を打ち込み、それだけで私は異様な興奮をおぼえた」
 スチブンソンは、若いころから創造的な旅を考えていたのである。それは、彼の時代にかぎらず可能である。ただ、人は、それを考えつかないだけである。
 人は、どうして、本来の人間感情を復活させる努力をしようとしないのか。これは、いつの時代でも、反省されるべきことである。人は、本来なら味わうことのできるたのしみを自分から捨てている。スチブンソンは、やがて星の美しさを見直す。
 「空のほかにテントがなく、大地のほかに寝床がなかった時代でも、人間の頭上には、同じように、星は輝いていた」
 旅における何かとの出会いも、それから起こるおどろきも、実は「対象」からだけ生まれるのではないということだ。「対象」は、昔からそこにある。「対象」は何の変哲もない現代人である場合もある。その実例は、すでに、具体的に語った。
 恋というものが、多くの場合、人間の心を動かすように、それと同じ程度の反応をあらゆる対象に対して示すだけの心の土壌をつねに持っておくことである。恋が旅の中で生まれれば、もっともすばらしい、といつの時代でも、若者たちは言う。それは、ある年齢を越えたら不可能にちかくなるからである。「分別」というものが、心の素朴な動きを邪魔する。出会いはあっても、それを拘束させようとするもうひとつの自分が生まれている。
 若さは衝動的な行為を生ませる。それが青春の特権でもある。恋も旅のなかで生まれるとき、精神の昂揚が加わり、忘れ得ぬものになる。おそらく、そのとき、その状態にある人は、素朴な感動にひたっているはずである。それを思い出すべきである。
 恋心は、ひとつの原型である。原型を忘れた日常行為が多すぎるのが現代である。旅は、恋に次いで、人間の本来の気持ちをよびさます行為ではないか。人生の出会いのなかで、おそらく、一生、その人の心につよく刻まれるひととき。
 それを生かすも見逃すも、その人の自由である。
 「人生は旅」という表現は、こうした面からも言えるのである。それは、書物のなかで出会うべき言葉ではなく、自分自身の行動の中から生まれるべき言葉である。


岡田喜秋 おかだ‐きしゅう
1926‐
昭和後期-平成時代の紀行文作家。
大正15年1月2日生まれ。東北大在学中に紀行文を発表し、卒業後日本交通公社にはいる。昭和34年「旅」編集長。日本各地に取材して人生と旅をテーマに作品を発表。58年横浜商大教授。著作に「よみがえる旅心」「旅のあとさき」など。

草柳大蔵 くさやなぎ‐だいぞう
1924‐2002
昭和後期-平成時代の評論家。
大正13年7月18日生まれ。大宅壮一に師事。「週刊新潮」「女性自身」の創刊にくわわり、集団執筆によるトップ記事をつくる。雑誌連載の「山河に芸術ありて」「現代王国論」以降、評論家として人物論、組織論、女性論を手がけた。平成14年7月22日死去。78歳。神奈川県出身。東大卒。著作に「官僚王国論」「実録 満鉄調査部」など。



知人から下記のメールをいただきました。ありがとうございます。
<実は数年前にR.L.スティーヴンソン トレイルをハイキング旅行しましたので。今でもこのコースは面白い事にロバと歩きたければロバをレンタルしてくれるところもあります。ガイドブックもありますしね。でも野宿はしなかったな。>



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