Home *  * All archives

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
tb: -- |  cm: --
go page top

金子勝「戦後の終わり」

 慶応大学・経済学部教授の金子勝さんの2006年8月刊「戦後の終わり」筑摩書房を読んでいろいろと勉強になった。とても3年前に書かれた本とは思えないぐらい、今の日本に当てはまる。


現実問題の解決から遠ざかる方法・・・・「戦後の終わり」筑摩書房より


  もちろん自分を多少は知性を持ち合わせていると思いたい人々は、それだけでは満足しない。社会や経済が行き詰まると、新しく起きている断片的情報をなにがしかの論理で一応つなげてくれる「理論」が求められる。しかし実際には、新たな理論の革新を試みたり受け入れたりしようとせずに、むしろ古くさい枠組みに現実を押し込めようとする傾向が強まる。研究者を含めて「既得権者」たちは、失敗の原因が自らの理論の枠組みそのものに原因があることを認めようとはしない。たとえ、つぎはぎになっても、古い道具箱から取り出した道具だけで新しい現象を説明しようと試みる。それには、いくつかの段階がある。
 まず第一段階として、直面している問題が論理的には永遠に解決不能なのだという「逃げ場」を作る手法が用いられる。「小さな政府」対「大きな政府」、市場重視か政府介入か、効率性か公平性か・・・・といった二分法が典型的である。この二分法をいったん受け入れると、両者は単なるバランスの問題なので、社会的な微調整で対処するしかないということになる。裏を返して言えば、この議論のフレームは基本的枠組みの変更を受け入れない。そして、この対立軸の枠内であれば、問題は根本的に解決しないまま行ったり来たりするだけなので、どちらの立場に立っても永遠にその枠内で生き残ることができる。その意味で、両者は一見すると対立関係にあるように見えるが、実は共犯関係にあるといえる。
 実際、表面上は社会批判する者であっても、この二分法の中に問題を閉じ込めようとする者は現状肯定という意味では同じである。この二分法を利用するえば、枠組みそのものを壊す革新者を「極端な意見」として退けることで、あるいは彼らを従来からあった「異端思想」に分類してレッテルを貼り、自分を物分りのよい「中立的立場」として装うことができるからである。その実、自らには創造的な独自の主張や立場はなく、古くさいリベラリズムや愛国主義を手をかえ品をかえ繰り返しているだけにすぎない。こうして学者や評論家たちは「安全な場所」を手に入れる。商業主義に基づくメディアもそれを利用しようとする。
 自ら批判者として繕う方法はいくらでもある。感情的に激しい言葉を使って人を「批判」したり、常識を「批判」する格好をとったりする。あるいは、(新しいアイデアも論理の一貫性もないのだが)ペダンティックに過去の学説や思想の断片をつぎはぎする「物知り競争」を演じて、自分を「知的な人間」だと錯覚させ、その信者たちを分かったふりにさせる。しかし、それは社会問題や経済問題に正面から取り組む人たちをからかい、人々をそこから遠ざけていく、ある種のシニシズムの役割を果たす。
 ところが、当然のことながら、時代は転換期にあるのに、無理矢理さまざまな問題を古い二分法の枠内に閉じ込めて理解しようとしても、現実の問題は一向に解決しない。そこで第二の方法として、原理主義のイデオロギー的思考が復活してくる。とくに歴史の転換期には、複数の要因が複雑に絡み合うので、起きていることが何で、それがどこへ向かっているのか、一般には理解しにくい状況が生まれる。人々は今置かれている状況を理解できないので、余計に不安感が増す。その点、原理主義のイデオロギーは、複雑な要因による因果連関や政策の波及経路を、ある種の単純明解な「理屈」で切り捨てて割り切ることで、人々を分かった気にさせることができる。
 それは、現実の問題の具体的な解決を彼方に追いやるという点に特質がある。たとえば、市場原理主義者は民営化や規制緩和を主張するが、実際には政府のない状態(たとえば、ブッシュ政権を支える新自由主義者のグローバー・ノーキスト、あるいは日本では松下幸之助の「無税国家」という主張を見よ)などありえない。それゆえに、融通無碍に経済政策に使われることになる。経済状況がよくなれば、規制緩和や民営化のおかげにされ、経済状況が悪化すれば規制緩和や民営化が足りないということにされるからだ。それは明らかな論証不可能な命題である。
 こうした市場原理主義の「論理」は、実はかつてのマルクス主義のそれと似た「論理」構造を作り出す。問題がなかなか解決しないのは、結局は革命が起きていないからなのだということになる。つまり、原理主義的思考は、永遠に到達しえない世界を設定することで、現にある具体的問題について解決を絶えず先送りして、人々の間に思考停止状況を作り出すーー「彼岸の彼方にいけば、それは解決するのだ」と。こうした時代には宗教原理主義も強まるが、その意味で、経済学の原理主義的思考も共通性を持っている。
 第一の冷戦型の政策二分法と第二の原理主義的思考の流布が基盤となって、第三段階になると、的か味方かという二分法とバッシングという手法が広範に使われるようになっていく。この手法が、ナショナリズムや在日外国人差別などと結びつくと、最も悪質で危険な手法になる。政治としては最も安直な手法だが、社会や経済が困難を抱えている時期には、有権者の政治的支持を得るには最も効果的な手段となる。


tb: 0 |  cm: --
go page top

トラックバック

トラックバックURL
→http://intouch.blog56.fc2.com/tb.php/62-8111e405
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
go page top

新着記事+関連エントリー

カレンダー

カテゴリ

最新コメント

プロフィール

ブログ翻訳

旅行業の本

添乗に役立つ本

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。