Home *  * All archives

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
tb: -- |  cm: --
go page top

野口悠紀雄著『無人島に持ってゆく本』より

 一昔前、『「超」勉強法』、『「超」整理法」、『「超」旅行法』など、超ベストセラー作家として有名だった野口悠紀夫先生。
 あのリーマンショックで完全に過去の人になってしまった。市場原理主義を信奉し、持論のIT論や構造改革を雄弁に説いていたが、そのほとんどが今では、ハズレ馬券のようになってしまった。

 そうなると、あの「超」のつくベストセラーシリーズも、すべて無意味だった気がしてくる。

 たとえば、野口先生の著書、「無人島に持ってゆく本」(1997年発行)の次の文章・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・
  経済における市場メカニズムと政治における民主主義とは、密接に結びついている。いずれも、独立した個人の自由な選択が基本とされ、それを集計することによって社会的な選択がなされてゆく仕組みだからである(実際、市場メカニズムとは、支出に比例した票数が与えられている投票メカニズムであると考えることができる)。これに対して、経済における計画経済は、政治面では官僚主義を不可避的に要求する。そして、現実の決定は、無責任原則に支配されることが多い。
 チェルノブイリ原発事故の詳細が明らかになるにつれて、旧社会主義国家の官僚体制が危機にいかに対処したか(正確には、いかに対処しなかったか)が、白日の下にさらけ出された。それは犯罪としかいいようのない無責任さであった。私が旧東ドイツ地区で見た街並みは、これと決して無関係の情景ではなかったのである。
 この旅行のときから、もう何年もたってしまった。旧西側からの再開発投資は、旧東側の姿を一変させたに違いない。道路は完全に舗装されて標識は新しくなり、アウトバーンの汚かったレストエリアの施設も整備されたことだろう。しかし、いったん破壊してしまった歴史的景観を元に戻すことは、きわめて困難であるに違いない。私に幻滅を与えた旧東ドイツの歴史的都市は、いまどうなっているのだろうか。


 社会主義をケチョンパンに非難している。1986年のチェルノブイリ原発事故に関し、旧社会主義国家の官僚体制のせいで、チェルノブイリ事故の犯罪的な無責任処理が生じたと断罪している。
 ・・・・・・・・・?
 今の日本の原発処理に、どう解答するのだろうか?
 チェルノブイリより酷いといわれている資本主義国家日本の対応を?
 きっと、先生のことだから、サブプライム問題同様に、持説の整合性のほうへ現実をすり合わせていくのだろうなあ・・・・・・・

 きっと、プライドの高い先生なのだろう?
 次の文章から垣間見えやしないか。


無人島に持ってゆく本―「超」整理日誌〈2〉無人島に持ってゆく本―「超」整理日誌〈2〉
(1997/10)
野口 悠紀雄

商品詳細を見る


電池をくれたスチュワーデス
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 実際、機内では、心のこもった応対を受けることが、時々ある。先日も、そうした経験をした。客観的に見ればとるに足らぬ小さなことであろうが、私にとっては忘れられぬ出来事だったので、紹介したい。
 離陸後、電子機器の利用が許される時になって、新しい電池がないことに気がついた。空港で買うつもりでいたのだが、台風の影響で成田エキスプレスが一時間半も遅れ、買う時間的余裕がなくなってしまったのである。
 あとで述べるような理由で、私にとって電池は機内での「絶対的必需品」である(数年前、パキスタンで飛行機に乗ったところ、所持品検査で電池をすべて押収された。これは爆弾の起爆装置を警戒してのことであるが、飛行中の残念な気持ちをいまでも忘れられない)。
 そこで、スチュワーデスに尋ねたところ、「ゲーム機を積んでいる場合には電池があるが、当機は積んでいないので、残念ながら差し上げられる電池がない」との返事であった。これは予期した答えだったのだが、わらをも掴む思いで、もう一人のスチュワーデスに聞いてみた。すると、「私のテープレコーダに入っている電池を差し上げましょう」という答えが返ってきた。
 これは、なかなかできない応対である。客用の電池を積んでいないのだから、「ない」と言えばすむことであって、それ以上の対応は公式には不必要だ。自分の持っている電池を差し出すというのは、完全な自己犠牲サービスである。
 こうしたサービスは、外国のエアラインでは絶対に期待できない。わが国のフラッグキャリアであるJALにこうしたスチュワーデスを見出して、私は非常に嬉しく思った。
 もちろん、私はこの申し出を辞退した。いくら客だからといって、乗務員の私物を巻き上げてしまうわけにはゆかないからだ。しかし、「お気になさらず」と再度薦めて下さったこともあり、また、もともと電池は非常に欲しかったので、ありがたく頂戴することにした。

 成層圏での音楽鑑賞
 以上が、ある日のJAL機内における隠れた「美談」の紹介である。では私は、なぜそれほど電池を求めていたか? 次に、その話に移ろう。
「パソコンを使うため」と言えば、格好よい答えになるだろう。それもあるのだが、実は、携帯用CDプレーヤーで音楽を聴くためだったのである。たかがCDと思われる方が多いだろう。しかし、私にとって、機内でのCDは、格別の意味をもっている。普段聴くのとは感動の度合いが違うように思うからだ。
 なぜそうなるのか、いくつかの理由が考えられる。一つは心理状態だ。
海外出張の前には、用事が立て込んでしまう。それらを何とかこなして、命からがらという状態で空港にたどり着く。乗り込んでシートベルトを締めると、いつも「今度も生き延びた!」と思う(『七人の侍』の最後の場面で、志村喬演ずる勘兵衛が、刀をつきながら「今度も生き延びたのう」と言う。あの心境である)。目的地までの飛行時間は、日常の仕事からやっと解放された自分だけの時間であり、音楽に集中できる。
 それに、シャンペンでいい気持ちになっているということもある。さらに、機内は地上よりは気圧も多少低くなっているのではあるまいか。私の勝手な思い込みだが、成層圏を飛ぶジェット機の機内は、与圧されているとはいえ、一気圧より低いのではないかと思う。このため、身体が膨張して、高揚した気分になるのではないだろうか? (このような感覚は、私の特殊事情だろうか? それとも、同じ感覚をもっている人は、他にも多いのだろうか?)。
 いずれにせよ、機中でCDを聴ける時間は、私にとっては実に貴重だ。
これが楽しみで飛行機に乗り込むと言っても、過言ではない。私がずうずうしくもスチュワーデス嬢の電池を取り上げたのは、このような事情による。

 一期一会
 ところで、話はここで終わるわけではない。実は、その電池はかなり消耗していたのである。新品ではないから止むをえないことだが、三〇分程度しかもちそうになかった。
 そこで私は、厳しい選択をせざるをえない状況に追い込まれた。CDは何枚も持ってきているのだが、それらをすべて聴くわけにはゆかない。慎重に優先順位を付けなければならない。電池の命は、次のCDにたどり着く前に、切れてしまうかもしれないからだ。何を選び、何を捨てるか。普段はあまり考えたことのない選択を迫られた。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・


 普通なら、このようなこと!スチュワーデスに頼まない。
 よっぽど困っているのかと思いきや、CDプレーヤーの電池だ!とは・・・・・・・・


 ちなみに、私は、旧東側時代の観光地が好きだった。
 「観光客さん!どうぞいらしてください!」とピカピカと綺麗に磨き上げた西側の観光名所より余程風情があったのだが。
 
 “やはり野に置けレンゲ草”



 

 

 

 
tb: 0 |  cm: 2
go page top

この記事に対するコメント

大使館の必要を読んで

わたしは、ヨーロッパにす住んでいますが、大使館の対応に疑問どころか恥を感じることが多々あります。
私も、大使館にとれば、無駄な業務を発生させる迷惑者なのでしょう、不法滞在を繰り返し、自分の用事で、彼らを煩わせている。しかし、私はそれ以上に驚愕する事実も垣間みてきました、ある時、滞在国で日本の免許証が有効化できるかを問い合わせると、彼女は私の日本語を理解できなかった。当時の大使は新興宗教の信者で、近親者を労働許可や滞在許可なしに職に斡旋していたのである、後にそれが問題化した、それ故に変な事がおきる。日本大使館に電話をかけ、片言の日本語で煩わしそうに対話といったものではなく、それはあなたの問題だから、当方には関知しようがないと、そう言われた。数年後、同じ用件で問い合わせると、後日指定日時に連絡をもらえれば、回答を用意するといわれた。結局、外務省見解は、法的検証は行ったとはなく、現状を傍観している状況なので、こちらとして前例と同じ対応はできるが、滞在国との整合性は保証しかねるとのこと、結局当てにならないのである。
そればかりか、新任の年の頃は私とそう変わらない若い大使館職員が、その仲間と酒を飲んでいるのを目撃したことがあるが、その席で酔ってしまったのか。彼は、なんと酔った勢いで仲間を連れ出し、息を切らせて戻ってくると、胸元から商品をとりだしなんと、仲間同士で笑いながら、万引きの成功を誇らしげに語った。ここは知り合いがオマエを守ってくれるオマエの地元ではないと言いたい、私は同胞として恥ずかしいと感じた、この国に居る必要のない人間が、この国に居る必要がある人間の対応を請け負っている。なんとも皮肉なことである。不法滞在から始まり、なんとかこの地に根を張ろうとするものからすれば憤りを覚える、信用こそ全てなのだ、未だ父親や祖父の代の名誉、メードインジャパンのお陰で比較的友好的に交流する事ができるが、何を隠そう今や日本人、円は昔話になりつつある今、
日本人はその良さと言われていた部分を失いかけている、オプションツアーの日本人のお客様をホテルに迎えにいくと
フロントの初老に一言いわれる、時間に正確な日本人ってのは今は嘘だなと、昔はこちらがなにもしなくとも
自主的に、時間を守っている日本人が全てだったと言われ、私としてははもう降りてくるさというのが精一杯である。ことお年寄りはすぐに胸を撫で下ろさせてくれ、初老にまだそんな事ないぜと言えることが多い。
こんな時代に生きるための必要でもなく、ものを盗むものを隣人として迎えてくれるものは居ないだろう。
彼が日本人であるように私も日本人であり、そしてこの国にいる全ての者から私たちは日本人と見られる、なんとも
やり場のない同胞感である。そういう奴は海外旅行以下の認識でこの国に存在し、滞在国に愛も敬意もなく
その二国間の狭間で個人外交をひたすら行う同胞を見殺しにするのである。
震災から三日ほど経ったある日、空港で出迎えをしていると某有名文化人が降り立ち、マネージャーと思わしき人物に
なにやら言っている、じゃあ僕は大使との食事があるからと、大使館付の車が迎えに来ていた。
そのころ我々日本人は日々の仕事に追われながらそれぞれが少ない情報の中で遠い故郷を憂いでいた。
こうやって公費を使う事が同胞に対する軽視の現れであると思えて仕方がない。
国籍の問題じゃないなにか日本社会というものが抱える問題を旅行業界や同胞に、あからさまに異国の常識を無視した
その傲慢さに見受ける事がある。


URL | 俄 #.hdhzgyY
2011/06/08 23:26 * edit *

私は「現代の」ベストセラーというものが嫌いなので
この人の本を読んだことがないのだが、読まないでよかったと思った。

「七人の侍」の「生き延びた」は全く意味が違う。
「生き延びてよかった」ではなく「また生き延びてしまった」であるはずである。

ノグチという男はこの程度だったのか。
CDを聴くために「電池よこせ」の時点で終わっているが・・・。

URL | 破門されし者 #5w8DYPMM
2011/06/06 13:06 * edit *
go page top

コメントの投稿

go page top

トラックバック

トラックバックURL
→http://intouch.blog56.fc2.com/tb.php/609-aa80cd5d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
go page top

新着記事+関連エントリー

カレンダー

カテゴリ

最新コメント

プロフィール

ブログ翻訳

旅行業の本

添乗に役立つ本

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。