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達人の英語・白洲次郎

*GHQ=CIAなのか!ゲーツ国防長官
*プリンシプルのない旅行会社たち

 白洲次郎は英語のバイリンガルとして有名だが、白洲次郎の英語について娘である牧山桂子氏が著書におもしろい記述をしている。

次郎と正子―娘が語る素顔の白洲家 (新潮文庫)次郎と正子―娘が語る素顔の白洲家 (新潮文庫)
(2009/11)
牧山 桂子

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『次郎と正子』牧山桂子著より


 父と英語

 京都に行くには新幹線はまだなく、特急「つばめ」に乗っていった頃のことです。八時間もかかる長旅でした。つばめには展望車という車両があり、両側に一列ずつ、窓の方に向いた座席がありました。父は自分と一緒の時は私も展望車に来せてくれましたが、私一人の時は許してくれず二等車でした。
 ある京都行きの展望車でのこと。我々の他は、すべての座席がアメリカ人の観光客で埋まっていました。東京駅を出発して間もなく、彼等はウイスキーやビールで、あたりを憚らない大声の宴会を始めました。今でもはっきり覚えているフレーズなのですが、そのうちの一人が“I've never heard such a funny story!"と言った途端に彼等の大爆笑が起りました。私には、それまで父が必死で我慢しているのが顔色で解りましたが、それを聞くやいなや父の様子が変り、突然立ち上ると彼等の大爆笑に負けない大音声で、“Shut up!"と一喝しました。固唾をのんで成り行きを見守っていた私が次の瞬間目にしたのは、うその様な静寂でした。父は娘の手前、自分の行動を恥じるような照れ笑いを浮べてゆっくりと座席に腰をおろし、「機先は制せねばの」と呟きました。
 それから彼等の宴会は静かなものに変りましたが、驚いたことにしばらくすると、その中の何人かが、手に手にウイスキーやビールのグラスを持って父の所にやって来ては和気藹々(あいあい)と談笑し、それは京都に着くまで続きました。アメリカの人というのは心が広いなあと思ったのを覚えています。
 その時は、父が「機先を制する」ことが出来たのは、それが母国語でない英語だったためかと思いましたが、後日の別の事件で、彼が元々、機先を制することに長けていたということが解りました。
 ある夜、私が運転する車の助手席に父を乗せた鶴川への帰途、千駄ヶ谷駅前を通りかかった時のことです。当時はまだ、女の子が運転するというのが珍しかったせいでしょうか、信号待ちで隣に停るたびに、一台の車に乗った四人の青年たちが、面白半分に懐中電灯で私の顔を照らすのです。三つ目か四つ日の信号で、父は突然ドアを開けて飛び降り、青年たちの車のドアを開けると、二人の襟首をつかんで引きずり下ろし、後ろの座席の二人にも大声で降りろと言い、何かを怒鳴り始めました。驚いたことに青年たちはひたすら謝罪するばかりです。気がすんだ父は助手席に戻り、「フン、だらしのない奴らだ」と呟き、何事もなかったかのように、私と帰路につきました。娘の前で、父親の面目躍如といった風でした。今の世の中でしたら、“老人、若者に刺される”という記事が新聞に載ったかもしれません。
 父が生涯で、何度も機先を制することが出来たのは、彼の風貌が大きく味方をしてくれたからに違いありません。また、アメリカ人たちを怒鳴りつけることが出来たのは、母国語でない英語だったせいだと思ったのも私の勘違いだった、と徐々に解り始めました。十代後半から二十代半ばという人生のスタートの時期、長期間を英国で過した父にとっては、英語と日本語の両方ともが、勉強して覚えた言語だったのではないかという気がしてなりません。私が、学校の宿題などで辞書を引くのが面倒くさいときに英単語の意味を聞きますと、父は英語を日本語に訳せないことがしばしばありました。例えばbookの意味を問いますと、「本」とは答えず、「bookはbookだ」と頑張るのです。こりゃ駄目だと、私も諦めてしまいました。
 また、皆で何かの話題で大笑いしていても、一人だけ何がおかしいのか理解せず、笑いの収まった後で、説明を求めるのです。しようがなく説明するのですが、おかしかったはずのことも、間があくとまったくおかしくないということが随分あり、辟易したものです。本人がその事に気付いていたかどうかは定かではありませんが、母の話によると、息子さんの留学の相談にみえた方に、「僕のようになるからあまり小さい時に外国にやらない方がいいよ」と言っていたそうです。
 子供や孫に何か文句がある時は、自分では決して直接言わず、必ず母に言わせていました。嫌われるのが怖いという一心だったようです。
 父の生涯を通じてのイギリス人の友人、ロビンおじによりますと、ジローは大学に入って来た時にはもう英語が出来たというのです。父にそのことを聞いてもはっきりとは答えてくれず、後年不思議に思って叔母に聞きますと、ハイカラだった彼等の家庭では、子供たちを教会の日曜学枚に行かせていて、教会の牧師様に英語を教わっていたということでした。
 道理で、音痴だった父が知っている歌が三つだけあり、そのうちの一つは関西風の賛美歌でした。


  「イエスさんわて好いたはる わてのイエスさん
  浮き世はゆうたかて わてのイエスさん
  イエスさん強いさかいに わてのイエスさん
  怖い事あらへん イエスさんわてについたはる」
というもので、これが父に教わった唯一の歌です。

 ・・・・・・・・・・・・・




 う~~~~ん、大事なことは、「機先を制す!」か!
 添乗員にとっても心得ときたい言葉だ。

 空港で席がない!といわれたとき・・・・・
 ホテルで部屋がない!といわれたとき・・・
 ドライバーやガイドにイジワル!されそうになったとき・・・・

 大事なのは、「機先を制す!」ためには、こちらが理にかなっていなければいけないだろう。
 理にもかなわず相手の面を叩いたって、バカにされるだけだ。

 ただ、理にかなっていても、白洲次郎のように、なかなか相手と立ち向かうのは勇気がいる。
 どっちかといったら、泣落としとのほうが日本人にはあっているかもしれない。
 まあ、どちらにしても、語学力より他の才能を求められる気がする。



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