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被災地で驚いたこと

 福島で被災した知人や肉親に会いに行ってきた。
 元気?なのかどうかほんとのところはわからないが、一生懸命頑張っていることは感じられた。
 会った瞬間に泣き出す人もいた。とてもそのような人ではなかっただけに、ここまで気丈に頑張ってきたんだなあと思った。

 そこで疑問に感じたことがあった。

 ひとつは、福島の被災者はけっこうホテルやペンション、旅館など比較的居心地の良い避難所で暮らしているということだ。確かに、最初の約1ヶ月くらいは大変な環境のなかで過ごされていたので、現在そのような居心地の良いところで移れたことは本当にすばらしいことなのだけれども、テレビで映される宮城や岩手の被災者たちは、相変わらず、体育館のような広い場所で共同生活をしている。仮設住宅ができるまで、というのであれば、3県とも同じ条件である。福島の被災者だって、とりあえず仮設住宅ができるまで(一応6月いっぱい)の処置ということらしい。東京のけっこう立派な公営施設や廃業した赤坂プリンスに避難しているのも福島ではないのか?
 
 わたしは、福島県だけずるいと言っているのではなく、どうしてこのような差がついちゃったんだろうか?と思った。もしかしたら、福島の被災者のほとんどは、原発避難者と重複している。だから、東京電力や国への不満を散らすために、ちょっとした「飴」を与えているのかなあと感じてしまった。
 今は立ち入ることのできない実家より確かに居心地のよい暮らしをさせて、いろんな書類がその避難所に届けられる。温泉に浸かりながらそんな書類を見たら、何も読まずに、ポンと判子をついてしまいそうである。


 そしてもうひとつ疑問というより驚いたことがあった!

 3月11日の大地震と津波・・・・
 その時点で避難を強いられた人がいた。
 そして、大地震や津波の被害にあわなかった人たちも、3月12日、福島第一原発事故により避難せざるおえなくなった。
 政府は、「念のため」といいながら、最初は原発3キロ圏内、そして、5キロ、10キロ、20キロ、30キロ、・・・・・とどんどん避難地域を広げていった。
 そのたびに、「ここもダメか!」と被災者は逃げ惑うこととなった。
 
 私が驚いたのは、このように『政府の避難指示』が出されたということなので、もちろん、地域ごとの避難誘導の青写真ができているものだと思っていたのだ。
 しかし、聞くとほとんどの人が、皆自力で情報を得て、どうにか避難所らしきところを探して逃げてきたようだ。
 
 ・・・最初みつけた避難所は、毛布も食料もなくこのままでは死ぬとおもい、ヒッチハイクで別な避難所へ、その避難所はぎゅうぎゅうとオシクラマンジュウ状態でもう空きがないということだったので、タクシーで別な避難所へ・・・・

 これでは、1人暮らしの高齢者や障害者が取り残されるのは当然だった!とおもった。
 誰も助けてくれないのにどうやって逃げたらいいのだろうか?
 
 そして、何日も経ってから、「ここは退避地域ですからすぐ移動してください」と言われたって、「もういいよ」ということになるのではないか。
 すでに3回も爆風をあびちゃったんだから・・・・・

 
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