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「ひとり旅はさびしい」・・・・・でも、

「ひとり旅はさびしい」・・・・・でも、


『旅の楽しさ』山本さとし著/講談社現代新書より


・・・・・・旅にある程度の危険はつきものであるが、・・・・二人連れだと、おたがいに緊張は緩和し、事故に対する警戒心はゆるみがちで、二人だからこそ危険ということもあり得る。
 その点、一人ならかならず危険に対し、たえず神経を敏感にとがらせ続けるのがふつうといえる。
「ひとり旅はさびしい」という言葉の中には、そういう緊張の連続からくる疲労感も加わるが、これには慣れるにしたがい、じょじょに緩和される。いや、慎重に行動すべきところと、ほっと息のつけるとこをよくわきまえるようになれる。こうして、たよる人のいないひとり旅は、他人追従の旅より、確実に旅のすべてを身につけていくことができる。


・・・・・・さびしさのない旅は感激も中どころに終わるのではなかろうか、と考えられるからである。さびしさを味わってこそ、旅にいちだんと磨きがかかり、忘れ得ぬ旅としての印象が強まるものである。



・・・・「旅に出て、真の自分を見つめることができた」・・・・旅にはそういう性質も具備している。
・・・・・・・「忙」という字は、心を亡ぼすと書く・・・・もし、忙しいと感じたときは、自分の心が亡びる前兆と考え、その心を取り戻すためにも、ぜひ旅に出かけるように努めたい。旅は脱日常とともに、日ごろ失われがちな心の復帰もかなえてくれる。


 

旅はけっして、感傷、郷愁、感激だけを味わう場ではない。自然や仏像にうたれたその後には、かならずといってよいほど、それを味わった自分をじっと見つめる目がやしなわれるものである。
 人間は、考える葦といわれる。学名ホモ・サピエンスと呼ばれる、考える動物である。だから、旅の途中で、見たり、聞いたり、歩いたり、泊まったり、食べたりする行動の背後には、かななず思考がともなう。
 夏目漱石の文章には、「山路を登りながら、こう考えた」(草枕)など、旅の途中での思索に触れたくだりが多い。
 ジャン=ジャック・ルソーの最後の著作『孤独な散歩者の夢想』は、「ひとり徒歩で旅したときほど、ゆたかに考え、ゆたかに存在し、ゆたかに生き、あえていうならば、ゆたかにわたし自身であったことはない。徒歩はわたし思想を活気づけ、生きいきさせる何ものかをもっている」と延べ、「自分の魂と語り合う楽しみに浸りきろう」・・・・・・旅の感動は、その対象物を離れて歩きだした途中でおこることが多い。そのあと、ふだん机の上では味わえない思考が、泉のようにほとばしることもある。どうやら自然にめぐまれた道を、ゆっくり歩くということは、洋の東西古今を問わず、人間にとってぜひ必要なことらしい。



 ジャン=ジャック・ルソーの場合、人生そのものが旅人だったかもしれない。
スイスのジュネーブ生まれなので、ジュネーブに、ルソーの生家がある。ジュネーブの少し北、ヌシャテルには、ルソー博物館がある。活躍したのは、フランスのパリなので、パリのパンテオンにお墓がある。最後の著作『孤独な散歩者の夢想』は、ルソー終焉の地、パリ郊外のエルムノンビルという村で書かれたものらしい。最近では、この終焉の地を訪ねる日本のツアーも見受けられる。ただ、稀有の漂白人ジャン=ジャック・ルソーを訪ねるのに、対極の旅人、日本のお仕着せ過保護ツアーで行くのも何となく皮肉に感じる。
 ここは、孤独な散歩者となって、訪ねてみたい。




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