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加藤諦三氏のいう『うつ社会』  

 早稲田大学教授の加藤諦三氏の本を何冊か読みました。
その中で印象に残った文言がありました。




うつ病素質者が、高度経済成長の時代をなんとか心理的に生き抜けたのは、年功序列と終身雇用があったからである。年功序列や終身雇用は、日本のサラリーマンにはなくてはならない制度だったのである。



ますます生活のテンポが速くなるのも、人々が生きる意味を見失っているからである。猛烈サラリーマンとかエリートサラリーマンなどは、経済成長で、生存の問題はなんとか解決してきたが、いわゆる実存的欲求不満に苦しんでいる。
 人が人生の目的を知らなければ知らないほど、ますますテンポを速めるしかないと実存分析で名高いフランクルはいうが、そのとおりである。



年功序列、終身雇用、運命共同体的企業、この三つが日本の経済を支えていたばかりではなく、日本人の心を支えていたのである。企業は従業員にとって献身の対象であった。
この三つによってでき上がっている社会構造こそが、「日本型うつ病社会の構造」である。この三つがあったから、日本人はこの程度のうつ病ですんでいた。
ところが、家庭が崩壊し、企業は本来の姿である機能集団になって、日本人は情緒的満足を求める場所がなくなってしまった。ビジネスマンは献身の対象を失って、金、金、金の価値観になってしまった。
経営者も「自分たちが日本を支えている」という誇りを失った。
それがうち続く大企業の不祥事の原因となっているのである。


「もう一度、世界一の日本」を取りもどそうとしている。しかし、それをしようとすればするほど、日本人の心は病んでいく。もう経済成長万能の考えはやめることである。経済的に世界に遅れたってよい。それがなんだというのだ。
 経済的に世界に遅れたら、日本に青い海はなくなるのか? 青い空はなくなるのか?


バブルの時代は、消費活動が活発な時代というのではない。あれは「安らぎのない時代」というのである。 それにもかかわらず、テレビの討論会を見ていると「消費活動を活発化させよ」と経済専門家の大合唱である。
 これほど提唱する政策が全て失敗しても、まだ同じことを繰り返す経済の専門家たちは、どうして、もう少し広い視点から経済を考えようとしないのだろう。
高度経済成長の最後の時代を褒め称える人々は、心が崩壊してしまった人々である。
人々である。女性でも心が満ち足りていれば、ブランド物は無理して買わない。
欲求不満の心の虚しさを埋めるために、女性はブランド物を買うのである。
欲張りは淋しいのである。欲張りは本当に欲しいものが何であるかが分かっていないのである。女から女へ渡り歩くプレイボーイが、本当に好きな女がいないのと同じである。


長い高度経済成長の間に、皆心が荒廃してしまったのである。お金で心が崩壊し、虚しさを埋めようと必死になっていたのが高度経済成長の時代だということを、私たち日本人はどうしても理解する必要がある。
 実存的欲求不満の時代、それが高度経済成長とそれにつづくバブルの時代である。実存的欲求不満に正面から向き合い、自己実現によってそれを乗り越えようとするのではなく、宝石や土地や株や高級外車などを買うことで、私たち日本人は心の虚しさを埋めようとしてきた。


人間関係が希薄な人はストレスに弱い。
 したがって、基本的には上昇志向をやめるということしか、方法はないと私は思っている。 今の日本で上昇志向で政策を進めるということは、一方で変革の政策を進めながら、つまり、ストレスが強まる政策をとりながら、他方でストレスに弱い人間を作る政策を推し進めるという矛盾をきたしている。
 企業の変革そのものが両方の効果を含んでしまっている。つまり変革でストレスが強まるが、その変革が終身雇用の崩壊のようなものをもたらすのであるから、人間関係を希薄なものにしていく。人間関係が希薄な人ほどストレスには弱い。逆にいえばストレスに弱い人は人間関係の希薄な人々である。
 実際に危険になったときにどれくらいストレスに感じるかは、人によって違う。今のような変革で不安の時代には、人はますますストレスに弱くなっている。


心理的には今のままで文句を言っているのが一番楽なのである。
「転換カや飛躍カ」というのは生きるエネルギーである。「安定した秩序空間に頼って生きている」ほうがエネルギーはいらない。したがって、エネルギーのない人は「めまぐるしい社会変化に適応」できなくて発病する。エネルギーのない人は、未知の不安よりも今の不幸を選ぶ。だから多くの人は必死で今の自分の不孝にしがみつく。
 私ははじめ、人々が死に物狂いで不幸にしがみつくのに驚嘆したが、それが未知の不安に対するおびえだと分かって、「なるほど」と納得できた。
 引っ越しを契機にうつ病者になることを「引っ越しうつ病」というが、それも同じことである。今の場所に満足していなくても、引っ越すのが嫌なのである。
そして今の家に不満を抱きながら広い家に住んでいる人を羨ましがっていたりする。


うつ病者は、他人から受け入れられることが生命的要求だとカレン・ホルナイはいう。それと同時に私にいわせれば、慣れた世界を離れたくないと言うのも彼らの生命的要求なのである。彼らは変化が怖い。だから彼らは保守的なのである。
私たち日本人がこれほど「変化、変化」と騒ぐのは変化が怖いからである。


『自由からの逃走』という名著を書いた社会心理学者フロムは、非生産的な生き方として、「市場的構え」「搾取的構え」等をあげている。その中の一つとして「貯蓄的構え」というのを説明している。
日本人が「貯蓄的構え」が強いことはすでに説明してきているが、「貯蓄的構え」の人は、「彼らにとって最高の価値とは秩序と安定」である。日本人はどちらかというと、この「貯蓄的構え」で「秩序と安定」を求める人が多い。した
がって、変化の時代は私たち日本人にとって最も恐ろしい時代なのである。


 権威に従属し、頼りなさを克服したがるうつ病者。
飯田氏のいう二つ目は、「最近は価値観の多様化、多分化が起こり、かつては社会の権威が明確であったが、今日ではこの所在が不明確となり、元来、体制的、目的や生きがいが見いだしにくい」。
保守的なうつ病素質者には人生のところが経済成長の結果、日本社会は経済的に豊かになり、人々の価値観は多様化した。その多様化にとまどったり、自らの価値観のなかで挫折したりという要因のなかで、彼らは発病していくのであろう。
 うつ病者の最大の問題は、自分の欲求に気がついていないということである。
また自我の確立されていない者には、価値観の多様化した社会は生きにくい。
「エリートコースもよいけども、肉体労働も面白い」という社会では、どう努力してよいか分からない。「大学もよいけれども専門学校もよい。大学院もよいけど就職しないのもよい」というのは、うつ病素質者には困る。


「知識社会は情報を動かすことによって、人やものの動きを少なくする社会である」。じつはこれがうつ病素質者にとっては極めて住みにくい社会なのである。
 うつ病素質者は本来、「情緒的な満足感」を得るべき関係ではないところにまでそれを求める。


行き詰まったときは逆が正しい。
 政治の責任に当たる人々が色々な政策を出す。それに対する批判が出る。すると責任者のほうは、「ではどうすればいいか」という問題に批判する人々は答えていないと言う。
 それに答えるのが責任者の責任者たるゆえんではないかと思うが、たしかに批判する人々は、「ではどうすればいいか」ということをハッキリと示していないことが多い。示されたとしても政府関係者案と同じように矛盾を含んでいる。あるいは政府関係者の示した案よりも酷いものが多い。
 つまり、どのような案を出しても、今の日本のデフレ経済の克服はかなり難しいということである。それは、上昇志向が行き詰まっているということなのである。本当の解決策は新しいライフスタイルの提示である。
 選択の道は二つある。一つは知識集約型社会への構造転換である。もう一つはとにかく生活のレベルを国民的規模で落とすことである。
 私は今までの心理学関係の本で、「行き詰まったときは逆が正しい」と書いてきた。アメリカの心理学者フィットティカーの本を読んでいたときに知った言葉である。
 おそらくほとんどの人は、今の日本経済が行さ詰まったということに賛成するだろう。では「逆が正しい」ということはこの場合はどういうことだろう。
 それは二つある。一つは、アメリカの成功をモデルにした経済学者や経済官僚の発言ばかりがテレビなどで目立つと同時に、政府の中で力を持っている。「行き詰まったとき、逆が正しい」とは、つまりこれらの経済学者や経済官僚が言っていることは間違っているということである。
 伝統的に家計貯蓄率の低いアメリカと、世界でも珍しい高い貯蓄率の日本と、同じ経済政策でうまくいくはずがない。


終身雇用を復活させる。
終身雇用は、移動国民であるアメリカ人には辛いが、定住志向の強い日本人にはありがたい制度である。生涯を保証されるというこんな楽で嬉しいことはない。もっといえば、狩猟民族と農耕民族の違いである。
だいたい、日本のサラリーマンほど勤勉でかつ解雇になることを恐れていたサラリーマンはいないのではなかろうか。
日本のサラリーマンほど解雇になる可能性が少ないのに、解雇になることを心配していたサラリーマンはいないのではなかろうか?
その不安感と恐怖感を取り除く役目を果たしていたのが終身雇用であった。
 ただ、今の日本人のように心が病んでしまって、すでに根っから利己主義になってしまった時点では、終身雇用をもう一度急に復活させるのには、無理な面も出てきた。
じつは、終身雇用は簡単に崩してはいけなかったものなのである。
これからは徐々に時代に合った形でこの終身雇用を復活させていくことが重要である。
もうひとつ、年功序列はもともとアメリカ人には無理なシステムである。


インドの貧乏な人は幸せでも、アメリカの貧乏な人は不幸だという話を昔インドで開いた。アメリカ人で貧乏なのは自分の責任である。自分が努力しないからだと自分も思うし、人からも思われる。しかし、インドでは貧乏なのは前世に原因があると思う人が多いから不幸ではないということをインドで聞いた。
 年功序列はもともとアメリカ人には無理と書いたが、なぜだろうか? それは日本に比べてアメリカ人は能力の差が大きすぎる。年齢に従って昇進などできるはずがないのである。アメリカは年功序列ではなく、能力主義にならざるを得ない。そうでなければ社会が回らない。

抜粋
『愛されなかった時どう生きるか』加藤諦三著 PHP文庫
『不安のしずめ方』加藤諦三著 PHP文庫



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