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酒鬼薔薇聖斗と山地悠紀夫

『ハンニバル』という恐ろしい映画があった。『レッド・ドラゴン』、『羊たちの沈黙』『ハンニバル・ライジング』に共通するキャラクターは、ハンニバル・レクターという快楽殺人鬼であった。狂喜の表情で人殺しを行い、それを貪り、血をすする・・・・

ハンニバル1

このハンニバルのごとく、1997年に起きた事件があった。
神戸市須磨区で起きた酒鬼薔薇聖斗こと「少年A」の起こした2件の児童連続殺傷事件である。
とくに、2件目の淳君の殺人はハンニバル映画そのものであった。
彼は淳君の首を絞めて殺すと、首を切断し、それを袋に入れて、自宅の玄関から自分の部屋へ持ち込み、お風呂でその頭部の汚れを綺麗に洗いながし、くしで髪をとかし、口に宣戦布告のメッセージまで添えて、学校の門の前に置いたのである。少年Aはその一連の行為のなかでは、淳君の生血まで飲んだ。

少年Aはハンニバル同様、快楽殺人者であった。
ただ、ハンニバルと違うところは、その年齢と快楽後の虚脱と自殺願望だろうか。

少年A

私の家近くのレンタルDVDショップの奥の間にアダルトコーナーがある。その暖簾をくぐると別世界のようなまぶしさがある。
痴漢、熟女、巨乳、盗撮、投稿、人妻、近親相姦、お姉さん、コスプレ・・・・・
と整然と並ぶカテゴリーの前で、男性諸君が自分の性癖とにらめっこしている。ケースを手にしては戻し、手にしては戻し・・・と。この別世界の中は、一人者が多いせいか会話はない。目を合わせないことは暗黙の了解だ。他人の趣味を詮索したりはしない。色白メガネの学生さんが近親相姦コーナーを必死にまさぐっていたとしても、ヨレヨレのスーツを着た中年おじさんがOLコーナーでケースに書かれているあらすじを必死に読んでいたとしても、ここでは変質者ではない。

このアダルトコーナーを覗きながら偉そうなことは言えないが、ここへ入っていつも思うことは、カテゴリーのレイプコーナーのDVDがけっこう多く借りられていることだ。最初、それをみて、もしかしたら、この街はレイプ好きが多いのか?と不安になった(私が襲われるわけではないが)。
ただ、よく考えてみると、レイプ物を借りている大人はそれを観ることで消化しているわけで、別の言い方をすれば、安全な街(健全ではないが)といえるのかもしれない。

本来、性的サディズムそのものは、相手との共感性を大事にする優しいモノなのかもしれない。
私は、SM界の巨匠・団鬼六先生の本をずいぶん読んだが、団鬼六先生を始めこの世界の人たちは、基本的に、「思いやり」の深い人たちではないかと思った。あくまで、性癖であり対象相手に感謝の気持ちを持っている。


 --- なるほど、では先生にとって理想のSMとはどのようなものなんでしょうか

「SMというと、ボンテージファッションに鞭、ロウソクというイメージを持つ人が多いでしょ。でも僕の小説にはあんなの一度も出てきません。実は僕、痛いの嫌いなんだよ(笑)
その昔日活ロマンポルノの撮影現場に立ち会った時、監督が脚本から逸脱して、逆さ吊りのシーンを加えようとしたりすると、僕は監督に懇願してそれを中止させた事もあった。SM小説の第一人者なんて言われていた、この僕がですよ(笑)
僕のSMはソフト派であって、心の底を流れるのは精神的拷問です。
例えば夫婦喧嘩して、亭主が机をひっくり返して出て行って、奥さんが泣きながら片付ける、そういうものに僕はぞくぞくと興奮するんです」

--- すみません。「亭主が机をひっくり返して出て行って、奥さんが泣きながら片付ける」という状況は、勉強不足の僕には興奮する要素が感じられないのですが……。

「のっぴきならない状況に追い込まれた時の女の色気、猿轡をされ、喋りたいんだけど声が出ない、その必死の思い、恥ずかしい思い、煩悩、苦しみ、孤独感、どうしても逃れられないという歯がゆさ、恐怖感。
あらゆる責めが一つ一つ加わるたびに精神的な揺さぶりをかける。SMの楽しみ方というものは、マゾヒズム、サディズムの背徳性、夢幻状態への倒錯感、高貴さと淫靡さが共存し責めぎ合いながら生まれると思っています」

 --- 先生が理想とするSMは、お互いに相手のことを知り、愛し合ってないと成立しないんですね。そんなパートナーを見つけるには男女共に魅力的な人間でなければならないと思います。どんなことを心がけていればいいんでしょうか?

「女性はひたすら隠そうとする羞恥心、男性は隠されたものを見ようとする飽くなき探求心」




では何故、少年Aの場合の性的サディズムはあれほどまでの快楽殺人鬼となったのだろうか?

犯行文1
  犯行声明

それは、彼の原点に、相手に愛情を抱かない共感性の欠如があったからだろう。専門家は幼少時の体験というが、特に母親から愛情を感じることは全くなかった。逆に失神するほど母親に憎しみを感じていた。その上に性的サディズムが加わった。しかも、彼はまだ幼く、その性的対象は、女性とはならなかった。よって、性的サディズムは、単純に弱者への攻撃となった。

 

少年A 矯正2500日全記録 (文春文庫)少年A 矯正2500日全記録 (文春文庫)
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上記の本より
性的サディズム
 神戸地検はAの殺人の動機をこう説明していた。
「大事に思っていた祖母の死を契機に、死に強い関心を持ち、小動物を殺し解剖して楽しむうち、人を殺してみたい欲望を持つようになった」
 しかし、ある法務省関係者は「『人の死とは何か』という哲学的な関心から殺害を思いついたのではなく、性衝動に後押しされることで、殺人の欲望が初めて生まれたのでしょう」と異を唱える。
 後で詳しく述べるが、Aの性衝動の発現時期や強さは、他の少年と全く同じだった。
男子の性衝動は、脳が一定以上の興奮状態に達すると、射精に至り解消される。脳に興奮をもたらすイメージは、個人差が大きいものの、大多数の男子は異性のことを考えたり、女性の裸体やセックスなど性的場面を想像しながら自慰行為をする。しかし、不幸なことにAの場合、自慰行為の際にイメージするのは、動物の殺害や人を殺すシーンだった。
 Aの「性的サディズム」は、鑑定留置時に行われた精神鑑定の、最初の質問で明らかになった。
「いやだったら答えなくてもいいけれど、自慰行為はどのようなシーンでする?」
「中学一年生の時に、人間を解剖し、貪り食うことを想像して自慰行為をはじめました」
 Aはなんのためらいもなく話した。精神鑑定にあたった医師たちは、この回答ですべてのパズルが一瞬にして解けたという。
 Aの性的衝動は、ホラービデオ、動物への残忍な虐待、そして殺人妄想によって引き起こされた。Aは友達も同じだろうと思い、自分の自慰行為について打ち明けたが、「おかしいんとちゃうか」と撥ねつけられ、さらに衝撃を受けた。友達と一緒に、自分の部屋でアダルトビデオを見たときには、友達が下半身を硬くして興奮しているのに、自分は何の興味も感じなかったことにショックを受けたという。
彼は自分の異常性に気づいて苦しみ、心の中に「バモイドオキ神」という守護神をつくって拠り所とした。世界的にみても、十代の少年の性的サディズムの克服例は、これまで報告されていない。
 ある精神科医はこう分析する。
「幼い頃、母親に厳しく躾けられたAは、母親から愛情をかけられたと感じることができなくなっていた。自分の異常性を母親に相談できないどころか、対人面で一種の発達障害が見受けられる。彼は異常な自分には生きる価値がないと思う一方、弱肉強食の独自の思想を構築していった。弱者は殺されてよいという、殺人衝動の正当化です。Aの脳は、性中枢の発育が未発達でした。第二次性徴期に攻撃中枢と性中枢が未分化のまま、攻撃中枢だけが発達したのです」
 事件当時十四歳のAは、思春期の真っ只中にいた。からだの各部分に、男性としての特徴(第二次性徴)が現れ始めた時期だった。ペニス、睾丸が大きくなったり、性毛(陰毛)、体毛(わき毛、すね毛、胸毛、ひげ)が生えてくる。のどぼとけが出てきて声変わりをし、筋肉や骨格が発達してからだががっちりしてくる。そして、精通が起こるのもこの時期だ。Aは通常の男性のように異性を意識して射精したのではなく、ネコの解剖で精通を体験した。
 通常は性的な欲求が高まると、大脳内にある視床下部というところから、性腺刺激ホルモンを出すよう脳下垂体に命令が出される。分泌された性腺刺激ホルモンは、中枢神経系を通して、男性なら精巣、女性なら卵巣に作用し、精巣からは男性ホルモン、卵巣からは女性ホルモンが出される。ホルモンは血液によってからだの各部分に運ばれ、それぞれ第二次性徴が現れるようになる。
 男性の場合は、攻撃性の中枢が先に発達して暴力的になり、その後、性的な中枢が発達するという。通常の健康な男性なら、そういう順番で変化が現れるが、Aの場合は攻撃性の中枢だけしか発達しなかった。脳中枢のニアミスは思春期の始まりに生じやすく、終わりまでには自然に解消されるケースもゼロではないという。しかし、Aのニアミスは解消されなかった。
「一〇〇%、男子としての性中枢が未発育だったことによる問題」
 関係者は事件の原因をそう分析した。
 性衝動が盛んな年頃にもかかわらず、不思議なことに事件から一年間ほど、Aは全く自慰行為をしていない。全くその気にならなかった。人を殺すという行為によって、体の内から湧いてくるエネルギーが枯渇してしまったのだ。女子少年院に入ると、ほとんどの女子も性的エネルギーが枯渇して生理が止まるという。・・・・


少年Aの事件は、日本を震撼させた。
それだけに少年院の関係者は、少年Aをどのように更生させるべきか大きなプロジェクトをもって取り組んだようだ。
専門家の一致団結のもとに、少年Aは、自殺願望しかない廃人から徐々に自己を見つけ出し、自分の犯した罪と向き合えるようになってくる。女性や人間や生き物を愛することが自然とできる。クサビとなっていた母親を客観的にみることができるようになる。自分の殺した児童の遺族、そして自分の母親の書いた本を何度も何度も読む。
少年Aはのちに、「事件そのものは、ついこの前のことのようによく覚えていますが、その頃の自分のイメージはまるで夢か幻のようです。犯罪によって自己の存在を確認しようとしたこと自体が理解できません。2度と同じ気持ちになることはないと確信しています」(『少年A矯正2500日全記録』より抜粋)と言っている。
まわりの関係者も彼に再犯の恐れはほとんどないと確信している。
彼は今、一生懸命働きながら、遺族への謝罪の日々を送っている。

私は、ある意味、少年Aはとても恵まれていたのではないかと感じる。大きな罪を犯したからこそ、彼のための大きな矯正プログラムが実行された。その道の専門家たちが、十分な智恵を出し合った。そして最も恵まれていたことは、彼には家族がいた。彼を最後まで信じようとする家族が彼の帰りを待っていた。


ここで私は、その後起きたもうひとつの少年犯罪の哀しみを感じずにいられなかった。

yamaji[1]

大阪姉妹殺人事件の山地悠紀夫の死刑が執行されたのは昨年2009年の7月28日だった。判決確定から2年2ヶ月、2005年11月の事件発生から3年8ヶ月だった。
彼は上告・控訴を拒否したので、判決確定は早かったが、その後死刑まで2年2ヶ月というのも短かったような気がする。それとも、彼が法廷で「法律どおり死刑確定から6ヶ月以内で執行してください」と自ら要求したのだから、2年2ヶ月でも長かったということだろうか?

彼はこの殺人事件の前、2000年、17歳のとき、自分の母親を金属バットで何度も強打しなぐり殺していた。

死刑でいいです --- 孤立が生んだ二つの殺人死刑でいいです --- 孤立が生んだ二つの殺人
(2009/10/02)
池谷孝司(編著)、真下周(著)、佐藤秀峰(イラスト)

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電気、ガス、水道まで止められるほどの貧困、父のアルコール依存と暴力、そして肝硬変による父の死。母親との親子関係もうまくいかない。母親の男関係と買物依存症による借金、取立て屋がアパートまで押しかけてくる。中学校でのイジメ、不登校。高校進学も許されず就職試験にも落ちてしまう。家計を助けるために新聞配達をしていた彼の財布の小金にまで手をつける母親。彼の初めて恋をした女性に無言の嫌がらせ電話をかける母親・・・・・

何十年も前の話しではない。
IT時代の話だ。
山地悠紀夫は1983年の生まれ。世間がバブルに酔いしれ、携帯電話やインターネットなどとハイテク時代の真っ只中で、山地悠紀夫は、飢餓に苦しみ、家族や世間から受ける不安や恐怖から必死に自分を守ろうとしていた。

彼は母親殺害後、少年院にて、アスペルガー症候群の診断を受ける。この精神的特長が彼の犯罪を助長したようだ。
多くの専門家の分析では、このアスペルガー症候群の治療をしっかりと受けさせておけば、彼がその次の犯罪である大阪の姉妹を殺すことはなかったとのことだ。

少年院では、やっと自分の居場所を見つけたらしく、山地は生き生きと過ごした。約3年半の少年院生活では、退院のために、一生懸命技術を身につけ、将来の夢を語っていた。
しかし、天涯孤独の彼の身元引受人となってくれる人は誰一人いなかった。
結局、彼は、厚生保護施設に仮住まいしながら仕事を探すことになったが、職探しはうまくいかず、更生保護施設に出入りしている者からゴト師という犯罪集団のボスを紹介されそのファミリーの一員に加わりやっと居場所を確保することができたのである。しかし、その最後の居場所であるゴト師ファミリーでうまく仕事ができず追い詰められた彼は、ゴト師ファミリーと同じマンションに住んでいた姉妹の姉の帰りを待ちぶせ、ドアが開くと同時に襲いかかり、乱暴し殺害した。その後帰宅した妹も同様に殺害してしまった。
専門家に言わせると、姉が彼の理想像だったのではないか?彼が母性を抱ける年上の女性に引かれる習性があるようだ。

彼は自分の犯した犯罪において、一切、反省や謝罪をしないで死んで行った。

母親殺害について、少年院の担当者がどんなに反省させようとも彼の情が動くことはなかった。
アスペルガー症候群の特徴である共感性と反省がないということなのか?論理性で突き詰めれば彼は納得したという。情に訴えてもそれに左右されることはなかった。母親殺害は、彼の母親との関係のなかでは論理的に成立するらしい。ただ、人を殺したら死刑になるということも、彼は論理的に支持しており、「自分は母親を殺害したときに死刑になると思っていた」と話す。
だから、今回、姉妹2人を殺害したことは、死刑になって当然と思っているのだ。しかし、この事件は母親殺害のように身内ではない。ほとんど面識のないアカの他人を殺したことは彼の内で論理的に成立するのであろうか。

「我思う、ゆえに我あり」

姉妹殺しで捕まったときに、彼は殺人を認めず、このデカルトの有名な言葉を口にした。

わたしは本当に山地が殺したのか?今でも疑っている。母親を殺害したときは、自ら警察に電話をかけ自首している。姉妹殺しのときは、「自分ではない」と否定したあと、「まあ、いいか」とその後、警察の作成した調書をすべて肯定している。証拠が揃っているのだろうけど、ほんとうは他に犯人がいるのではないか?と思ってしまう。


「まあ、いいっか!」
もう自分の人生を終わらせたかったのではないか?
自分という人間をこの世に誕生させた世界に対する復讐のように思えてならない。
「母を殺したときの感触が忘れられなかったから」
「ワクワクしてジェットコースターに乗っているようだった」
「苦しむ姿を見て楽しくなった」
あきらかに、世間を挑発している言葉ではないか!

そのように世間を壮絶とさせた言葉とは反対に、死刑囚となった刑務所の中では、すべての欲を捨ててただ早い処刑のみを望んでいたようだ。すべての面会を断り、死刑囚に許される特別措置も断り、愛読書の「ローマ人の物語」塩野七生著の差入れを返却した。(この本を読んだとは!)・・この大作は、全15巻(文庫版40巻)で、最終巻の発行が2006年12月だ。山地はギリギリこの物語の結末を読んだということか?帝国ローマと自分の人生をどのように見つめたのだろうか?

ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上)    新潮文庫ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) 新潮文庫
(2002/05)
塩野 七生

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山地悠紀夫は死刑判決後、母親殺しの際の弁護士に、遺言とも思える最後の手紙を出している。

「私の考えは、変わりありません。『上告・上訴は取り下げます。』この意志は変える事がありません。判決が決定されて、あと何ヶ月、何年生きるか私には知りませんが、私が今思う事はただ一つ、『私は生まれてくるべきではなかった』という事です。今回、前回の事件を起こす起こさないではなく、『生』そのものが、あるべきではなかった、と思っております。いろいろとご迷惑をお掛けして申し訳ございません。さようなら」

この『生』そのものを全否定した文章は何なんだろう・・・
「生まれてくるべきではなかった」という文言。

少年Aと山地悠紀夫。
快楽殺人者だった少年A。
自ら快楽殺人者だと言った山地悠紀夫(彼の性欲は至ってノーマルだった)。
二人は共に共感性がなく無責任であった。
二人は、共に少年院で立ち直る勇気をもらって社会に復帰した。
少年Aは、家族を含め多くの関係者が見守る中で社会に復帰した。
かたや、山地悠紀夫は、家族や親戚もなく、たった一人で、少年院から社会へ放り出されてしまった。
事件を起こす前の拠り所のない不安な生活に、再び戻されてしまった。
2番目の事件後、多くの関係者が悔やんでも悔やみ切れない出来事であった。
また、母親殺しのとき、アスベルガー症候群という診断を関係者がもっと大きく受け止めて、少年Aのように医療少年院で治療をうけておけば・・・・


彼の最初の事件の時の精神鑑定であるアスベルガー症候群。
その一番の特徴は共感性と責任感がない。
共感性とは、人の痛みを自分の痛みのように感じる思いやりのことである。
何かに似ていないか?
そう、まさに、旅行会社をふくめた今の社会そのものではないか。共感性と責任感がない。

旅行会社でも多くの社員が、「入社すべきではなかった」といって、去っていった。
しかし、その本当の真意は、「こんなはずではなかった」という仕事への愛着からくるものではないだろうか?

山地悠紀夫は、「生まれてくるべきではなかった」と言った。
彼は、それだけ「生」にこだわっていたともいえないだろうか・・・・・・
我思うゆえに我あり、とつぶやき、自分の性格を一言で表すと聞かれて「衒学的」と応えた山地悠紀夫。

『死刑でいいです --- 孤立が生んだ二つの殺人』池谷孝司(編著)、真下周(著)の本の中では、このようなことが書かれていた。


・・・・・・・・
たびたび足を運んだ上原家(殺された姉妹の実家)の庭では、春先、黄色や白のパンジーが雨に打たれていた。
 それは、山地が唯一、中学校で教師から配慮を受けて「居心地がいい」と感じた窓際の席から眺めた花でもあった。
「私を思ってください」が花言葉だ。




パンジー



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この記事に対するコメント

続き

 JR福知山線脱線事故の初公判がありました。  TVで遺族の方?が会社の経営体質を問う事が出来るのは画期的?であると云う様な発言をしていました。   
 経営体質を問われるべき会社はごまんと有る、このブログに登場しない他業種にもいくらでもある。  しかしこれほど世間を騒がせた事件にして、これほどの時間と労力が費やされてようやくその経営責任を問うにいたれたと云う事でもある。
 過密スケジュール等の問題は当初から指摘されていたし、原因を作ったとされる経営幹部の名前も事故当初から上がっていた。   なのにである。

 一般庶民には何が出来るのか? 添乗員は? 
 現地にて我が身と家族を顧みずに、皆が怖がってツアーをキャンセルし・しばらくはツアーの催行が出来なくなり・社会問題としてその根本を問い質そうと云う程の大事件を起こしたとして。  

 或いは両親から祝福されて生を受け、反抗期を迎えながらも一生懸命に働く両親のお陰で無事に学校を卒業し、夢を膨らませて社会人として踏み出した筈なのに・・・・。   手垢にまみれた薄汚い精神の持ち主に囲まれ、学生時代に経験したボランティア活動、子供の時聞かされたアンデルセンやグリム童話・・などなどと現実の汚物溜とのギャップを乗り越えられないままに、精神の崩壊を迎え・・・・。    ついにその生きた汚物に天誅を加えたとしましょう。   世間に知ってもらう為にもエキセントリックで猟奇的殺人が良いかもしれません。    

 そうしてそこに至った経緯を、その精神の崩壊に至る過程をつまびらかにする事によって、初めて社会にその根本原因を訴えるのです。

 しかし!!  法律も社会も冷たい!!  
 
 恐らく、その因果関係の整然性により(会社の人、上司、担当者、等)、精神の崩壊と云う悲劇性は一顧だにされず、単なる凶暴な犯罪者として葬り去られるのです。

 ならばいっそう弱くて無実の人達を大々的被害者にしてしまいましょう。
 少なくとも誰かが本に残してくれる程に。

 

URL | 大黒屋 #-
2010/12/21 18:21 * edit *

No title

私は今回の記事と今迄のブログを読んで思った事が有ります。  それは世の中何かおかしいのではないか?   っと言うとありきたりですが、何か変な迷路に自ら迷い込んだ社会を作ってしまったのだろうかと云う事です。
 
 はっきり言って サカキバラなどサッサと死刑にすればよかったと思っています。  色々分析する事の意味は何が有るのでしょう?  その種の専門家にっとっては有難い実例であると云うだけでしょう。   この極悪な犯罪者の内面を色々分析してみる事はできるでしょう。  しかしその様な物は極論すれば第三者の文学的趣味と云うモノではないでしょうか?
 
 一般の文学には評論家と云う人達がいます。  文芸批評と云う世界も確立されていると思います。   そして今、巷にはアングラのエロアニメ、ゲーム(と云う呼称で良いのかどうか分かりませんが?)が相当数出回っているようです。  つまり経済活動として立派に成り立っていると云う程にです。  その内(或いは既に)、専門の評論界も成り立つ事でしょう。  現にAV評論家はもう既に存在しています。  
 しかし一般のAV評論家はしょせん助平映画評論家でしょう。  
 対してアニメ等仮想世界であってこそ進む事の出来るエロティチズムの根源的・実験的追及と云うモノは、或いは単なるエロスを越えて人間の存在そのものを問い詰めて行く事が可能な世界でもあると考えられますから、将来的にはその文芸批評も十分に存在価値の認められるものだと考えられます。

 しかし所詮それだけの事ではないのでしょうか?  文学的趣味の世界と云う事です。  現実の世界には全く無実の被害者が居るのです。   その事を脇に置いてしまうのなら何でも有りになってしまいます。  
 例えば死後の世界を信ずる人達の集まりではどうでしょう?   ネットでの呼びかけによる集団自殺・・・・・或いはオウム真理教?
 現にそれらの人達の個々の内面に光を当てたルポタージュ?・本が売られています。   その事に関して経済的生産性が行われているのです。  つまり「事件のお陰で、いくらかの収入を得られた」と云う表現が出来る所があるわけです。

 振り返って今迄に出て来たアホな旅行会社の社員達はどうでしょう?  
 社会現象としては、「貧すれば鈍す」と云う言葉で表わされる事でしょうが、それぞれに関わって来る人間が同時にその主体でもあるわけです。   
 「誰にモノを言っているのだ!」 「それがあなたのしごとでしょ!!」・・聞いたようなセリフを何の躊躇いもなく並べたてる:人間の屑達。   しかし彼等とて自分の生活を何とか良くしようと無い知恵(気の毒な事に本当に無い!)を振り絞っての事であれば、同じ人間に生まれながらのその愚かさは悲劇として同情の対象です。   つまり逆の立場に立った時、間違っても自分ならやらない様な事を平然とやるその人間性を私は(そしておそらくこのブログ読者も著者も)軽蔑しているのです。  そしてその軽蔑される人間性の持ち主の不具者としての悲劇性も其処には存在します。   しかしその様な事を言っていては切りが有りません。
 ましてやセクハラなど、エロスとしては・これが許されるのなら、 絶好のシチュエーションかもしれません。  SMの入り口の第一歩では?  薬か何か卑怯な手を使われて、そしてついには心底軽蔑している相手から・・・女としての存在原点を呼び覚まされるのです。  そこにはもう勝者も敗者も無い、エロスのカオスの世界・・・。   谷ナオミでも無い、杉本彩でも無い平凡な容姿の一般人でも立ち入れる至極の世界が・・皆さんを待っているのかもしれません・・・・・。   そうしてやがて食いつくされるのはセクハラをしかけた男の方です。  これぞ柔の極意・・・・・。

 ここに一体何の意味が有るのでしょうか?   たまさかの一興に本を読んだり、五百円もしないでDVDを借りて見ればいい世界です。

 サカキバラに関して言えば、その被害者及び今を生きるその被害者家族にとって、この犯罪者が今生きて・生を送っている事に何の意味が有るのでしょう?   この犯罪者は過去を踏まえて立派な人間に成ったら素晴らしいでしょうか?   或いは過去をすっかり忘れて、何事も無かったかの如くに普通の人間として当たり前に家族を持って生を全うしたらよいのでしょうか?

 何処かに悪質な性を持つ権威者が居て、ある種の社会的実験をしているようにも思えます。

 日々を生き、生活を送る、一般の人達とは別のスパンで、別の尺度で世界を見れる立場に居る人達が居るのでしょう。

URL | 大黒屋 #-
2010/12/21 10:34 * edit *
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