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殺すな!

 わたしは小さい頃、親に、「戦争なんて結局人殺しではないのか!」、「戦争の最高責任者は天皇だろう!」、「みな、無駄死にだろう!」・・・・・・・・とか散々言っていた。その度に、父親は、「行ったことのないものに何がわかるんだ!」と私をたしなめた。そういう父親だって、戦争に行ったことなどなかったのに。東北の田舎で木によじ登ってB29が上空を飛んでいるのを眺めていただけである。ただ、わたしと違うのは、戦前の教育を多少なりとも受けていたことだけである。

 ただ、こういうことを言われるともう何とも応えようがない。
 経験者しかわからないことって当然あるだろうし、そういうことはとても重要だろう。どんなに戦争モノの本を読もうとこれだけは「それでは・・」とすぐ経験できるわけではない。子供のいない母親が、「子供のいないあなたには母親の気持ちというのはわからないのよ!」といわれるのと似ているかもしれない。(母親は子供がほしくて、私は戦争にいきたいわけではないのでそこが違うが)。

 そういうもやもやを引きずったまま青年なった私は、添乗員として、戦争を考える機会を得た。
 フィリピン、ミャンマー(旧ビルマ)、ガダルカナル、北インド(コヒマ)、中国東北(旧満州)・・・・
 戦争関係者や遺族や公務や宗教関係者などをつれて。

 もちろん、添乗中、わたしが親に言ったような発言を、戦争に深くかかわったこのような方がたにするようなことはしない。
 しかし、共に戦地を歩かせていただいた者の確信として、多くの仲間を戦場で失くした戦友会の高齢者たちは、私が父親に言ったような不躾な質問をしたら、たぶん、何も言わずに頷いてくれたことと思う。それは、肯定したという意味でも否定したという意味でもないだろう。

 言葉を必要としない現実がそこには横たわっている。現実を語るには言葉では足りないのだ。
 その確固たる証拠と思えるのは、彼らの記憶力である。
 50年以上前のことを鮮明に覚えているのだ。
 どこに川が流れ、その近くに農家があり、その裏に木が2本あって、そこから道を登ると洞穴があって・・・・・彼らの記憶のカラーフィルムがまわり出す。
 戦後さまざまな人生を歩んだであろう彼らの歴史の中にそれだけ深く刻まれた戦争。
 深く刻まれたその理由は、それが外地だったからでも青春だったからでもない。
 「死」と直面している緊張感があった。死がとても身近にあった。 

 だから、彼らが今目にしている現実は私が見えているものとは違うのだ。
 私たちが今目にしている昔のままの世界
・・・どこに川が流れ、その近くに農家があり、その裏に木が2本あって、そこから道を登ると洞穴があって・・
 の他に彼らの目には、今は亡き戦友と川に水を汲みに出かけたときの笑顔や、洞窟の中で息絶えた戦友のくやしそうな顔や、青く澄んだ空に敵機の轟音が近づいてくる恐怖感や・・・いろいろな事象が鮮明に見えているのだ。

 「ごめん!・・ごめん!・・・ごめん!!」
 大きな叫び声をあげながら、急に、川岸まで走り出し川に飛び込もうとする元兵士。
 ジュースを買ってきては元上官に敬礼する元兵士。
 
 心底から決して消えることのない彼らの戦争の記憶。
 これこそが、戦争のほんとうの残酷さを教えてくれているのではないか。
 わたしは現地でふとこう思ったことがあった。
 彼らに忘れえぬ記憶を刻ませているのは、記憶することすら許されなかった多くの同胞たちの屍ではないだろうか。

 そこにあるのは、「戦争」「平和」「正義」などという実態のつかめない大儀ではなく、「殺したくない」「死にたくない」「両親に申し訳ない」「家族に会いたい」・・・という個人的なものだ。
 その末端の叫びは、過激な者の下では、「軟弱」「意気地なし」ということでかたずけられてしまう。

 現在、「戦争は悪い」とごく普通に誰もが言うだろう。
 しかし、多くの日本人は擬似戦争的なものを好んでいる。
 スポーツや経済で「ニッポン」を一丸となって応援する。
 ゲームやアニメでも、正義の使者が敵をやっつけていくモノが多い。
 大勢がマスコミによって誘導されれば、「いい戦争もある」とごく普通に誰もがいう時代が簡単にやってくる気がしてならない。
 
 わたしが戦友会などと戦地へ同行して思った結論は、戦争をしないと誓う以前に「人を殺すな!」という信条を人間の核として持たなければならないのではないかということだ。
 「殺すな!」は、自分に対して、相手に対して、の叫びと誓いである。
 すべてがそこから始まるのではないだろうか。
 戦争が「殺する」行為ならば、戦争はできないのだ! 

 
 戦争に行かなければこういう死に方をすることもない。
 実際は、非戦闘で亡くなったものが多かった。

『猫は夜中に散歩する』田中小実昌著(旺文社文庫)より
・・・・・・・・
そして、昭和十九年十二月、ぼくは山口の連隊に入営し、すぐ、中支派遣善部隊の初年兵として、朝鮮半島、満州をとおり、中国に送られた。
・・・・・・・・  
 朝鮮、満州、北支、中支と長い列車輸送の旅がおわり、揚子江をわたって、南京に着いた翌々日に、ぼくたちの分隊の藤井という男が死んだ。
 ちょうど、南京城内をB29が爆撃した日で、遠くからながめると、B29がばらまく爆弾がしらみの卵のようで、ぼくたちは、小高い丘の上に伏せ、ものめずらしく見物していた。
 その最中に、藤井は目をむき、ひきつけをおこし、B29の爆撃がおわって、もとは紡練工場の倉庫だった宿舎にかえったときには、死んでいた。
 これが、ぼくたちの部隊の脳炎の第一号で、南京の城内にうつってからも、ずいぶんたくさん脳炎で死んだ。
 ぼくの身近なところだけでも、小学校のときの友だちで、陽気でオッチョコチョイで、オッチョコというあだ名の男が脳炎で死に、つづいてワニも死んだ。
 ワニもあだ名で、谷口といい、中学のときのバレー部の主将だった。
 谷口とは同室で、夜の点呼のあと、ぼくは谷口にタバコの火をかしてやった。脳炎は空気伝染をするそうで、みんなマスクをし、タバコの火のかし借りも禁止されていて、「こがいなことをしたら、いけんのじゃがのう」とぼくと谷口は、ぼくたちの中学があった広島県呉市のコトバではなしあった。
 そして、消灯になり、しばらくたって、ギヤア、というような悲鳴が闇のなかでおこり、「また、脳炎か」とぼくは、うつらうつらしながら、軍隊毛布のなかに首をひっこめ、あとできくとそれが谷口だった。
 脳炎はなおってもパカになる、ときいていたが、病院にはこばれて、命がたすかった者はなかったようだ。
 もちろん、ぼくたちは隔離されていて、ショウコウ水(?)でうがいをさせられたが、このうがいで吐きだしたショウコウ水をすてにいくのは、いやな仕事だった。
 だいいち吐きだしたショウコウ水をいれるのが醤油樽かなんかで持ちにくく、おまけに急な階段で、また南京の冬は寒く、階段に氷が張っていたりする。
 だから、階段で足をすべらせ、脳炎のパイキンがうようよいそうな、汚ない気味のわるいうがいの吐き水を、頭からひっかぷったりすることもあったが、この、だれでもきらう仕事を、ぷつぶつ言いながらも、よくやった千葉という男がいた。
 千葉は、広島県の福山のちかくの村の者だときいたが、猿蟹合戦の栗みたいな顔で、まるで訓練をうけていないほとんど初年兵ばかりのぼくたちの、長い行軍のあいだも、自分もへばりかけながら、仲間の背のうをしょってやったりした。落伍すると、すぐ、ゲリラにやられてしまうということだったのだ。
 そんなふうなので、千葉は要領はよくなく、湖南省のはしのほうで鉄道警備の部隊に編入されてからは、気のきかない初年兵だと古参兵たちにバカにされていた。
 終戦後、千葉とは別れ、ちょうど一年たって、昭和二十一年の八月、上海で復員船をまってるときに、ひょっこり、またあった。
 しかし、千葉は高い熱をだしていて、くちびるが白くヒビ割れ、なにも食べずに、自分の食糧をぼくにくれ、復員船にのれないで死んだ。
 ・・・・・・・・・・・・・・・



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この記事に対するコメント

BlackWater


なんとか・プリンスってぇふざけた名前のイギリス人がやっている会社だ。
傭兵と言うと何となくロマンチックかもしれないが、軍人の派遣会社だ、中に居るのもお頭の程度が知れてるような連中だ。  軍隊を出た後、他にいい仕事が無く、高給に誘われた憶病な者たちの集まりだ。 今や戦争も民間委託なのだ。 
先日の新聞に出ていた、―アメリカ軍のイラク引き上げに当たり民間の軍事委託会社からの派遣を増やすと。 彼らが要人とかの移動の際の警護とかに付き、チョットの事でもやたらぶっ放して良いのである。  無実の、通りがかりの、イラク人が何人殺されようとも・・それを取り締まる法律が無い・・と言う、摩訶不思議な理屈で通ってしまっているのだそうだ。  (Big Boy rules)
そんな民間会社の中でもブラックウオーターは優良企業らしい・・。  インターネットで見るとそのおぞましさが分かるだろう 。
戦争請負会社という表現も有る。 戦争と云う言葉を使うと始めっから不可避な事の様に聞こえるが、その実、火の無い所に煙を起こし、戦争を不可避なモノに持って行く事こそがその目的なのであろう。  まさしく戦争を起こす事を請け負う会社である。
映像を見よ! インターネットを見よ! イラク人達の眼を見よ! 中東の人達も(南米の人達も、インディアン達もアイヌ人達も)皆同じ人間なのだ。 意味も無く親兄弟を、同胞を殺されて・・それを忘れて暮らして行く事などあり得ないであろう。  
派遣社員の連中も捕まると厳しく殺される。  狂犬病の様な頭の連中の中にも、個々の事情により他に良い選択肢の無かった善良な者もいるかもしれない。  だが狂った世界の中ではそういう者から滅んで行くのだ。  そして故郷には彼を待つ善良な家族が、またいるのである。
しかし、バベルの塔の一件以来、お互い遠く離れたところに住む者達は、その家族達は訳の分からないまま悲しみを紡ぎ、憎しみを糧として生きて行く事に成るのである。
   以下中略
かくして大金持ちは、さらに大金持ちに成るのであろうか。
民間会社ならそこで使用する火器の調達先選定なども随意なのだろうか?

URL | 白玉 剣持 #-
2010/08/23 20:37 * edit *

残暑お見舞い

戦争を語るのはとても難しい事だと思う。 そして戦争を語るとはどういう事を言うのだろう。 昔、今東光と言う人が極道辻説法というのをやってて、戦争に行ったというのは戦争をやったという事ではない、元帥とかそういう位の人が戦争をやったと言えるのだ。 
とか何とか言ってた。  その頃は良く意味も分からなかったが、そういう物なのかと分からないながら思ったのが記憶に残っている。  

それはつまりどういう事かという難しい定義を語る知識が私には無い。 しかし今思うのは、例えば一つの独立した国家として軍隊を持たない国はあり得無いだろうと言う事だ。   
必要悪と単純に考えても良いのではないか。 我々が大国の非を説く時、大企業の非を説く時、ならば何故彼等はそれをやるのか? 軍事力を、巨大資本を背景とした彼等の強者の理論を行使しているからだ。  現実問題としてその非を問う時、何をバックにしてそれを言う事が<出来る>だろうか?  少なくともこの丸い地球を考えた時、神様でも信じる以外 「真に公平な裁定 」 を下してくれる者が、或いは天国以外にそういう場所があるだろうか?

アメリゴ・ヴェスプッチがコロンブスがアメリカを発見した頃、彼の国の原住民がしっかりした国と軍隊を持っていたら・・・(あまりにも馬鹿げた仮定なので以下割愛)
イギリスが新大陸に対してもっと牧歌的?に接していたら(上に同じ)
アフリカ大陸にも○△×□~(〃)

ただこの事と個人の体験はまったく別の物だと思う。 その意味では私も戦争はしてはいけない、反対であると思っている。 若い頃は軍隊と言う物に憧れを抱いた事も有る。   
それを間違っていたとは思わないが、歳を取り昔よりはもっと色々なものの見方が出来る様に成って来た時、その悲惨な現場を思うと、想像すると、話を聞くと、読むと涙が止まらない。

日本では毎年 暑い季節がやって来ると テレビで昔の戦争の事を思い出させてくれる
この一人ひとりの人間としての悲しい体験を 永遠に語り継ぎ 決して忘れてはいけないのだ。  

そしてこの時、「人からされて嫌な事を、人にしてはいけない」と言う単純原理を世界に伝えるのだ。

「戦争とは政治の一形態である」とクラウゼビッツとか言う人が行ったとか・・・そこで提案が有る。  政治は大人のやるものだ。  国連加盟各国は35歳以上大学卒業者以上をもって軍隊を構成するようにすればよいのである。 その方が国民の健康増進にもなる。 平均寿命も伸び、医療費削減にもつながる。 何なら50歳以上でも良いかもしれない。 思慮分別の有る大人がどうしても仕方が無い時、覚悟を持って臨まなければならない時も有るであろう。 もしかしたら違う方へ銃口を向ける者がいるかもしれないネ!

URL | 春雨太郎 #-
2010/08/23 18:33 * edit *
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