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砂漠に魅せられて

 アンヌ・フィリップは、中国フランス大使館に勤務する夫フランソワとともに、1946年から2年かけて、シルクロード(ウルムチ~カシュガル)をトラックキャラバンで旅した。革命の嵐が吹き荒れる中国西域を旅した最後の西洋人であった。
 その記録を、『シルクロード・キャラバン』という本にまとめた。
その本のなかには、沙漠に魅せられたひとりの旅人のすがたが垣間見える。

silk-map[1]

『旅の話』 鶴見俊輔 長田弘著 晶文社より
[馬上の孤独(シルクロード・キャラバンについて)]

鶴見 「なぜこの旅をするのか」ということを、どこでも夫妻は問われます。いちおう答えるんだけど、ふかい動機については説明しない。それは文学的な技法でしょう。この紀行のテクニックなんだと思う。説明すると、かえって失われてしまう部分がある。それをちょっといってるのが、「人間が好きになれない人には、砂漠へ行くことを勧めたい」というところですね。「そういう人も、砂漠では、人間の存在やその闘い、勇気、知性に涙ぐむほど感動し、人間を愛することを知るだろう。私が都市のもつ人間的な美しさを理解したのも、この砂漠でのことである。都市は人間の作品なのだ
 ここにこの旅のかくれたモティーフが出ていると思います。場所の見きわめですね。なぜ快適さをいったん離れて旅をするかというと、人間をしっかりとらえるため、自分の実人生をとらえなおすためだという。人間は快適さのなかで身につけた惰性をそぎ落とさなければならない。そういう決心が彼女にはある。
長田 砂漠というものの意味を、この地方の伝説として誌してるところがあるでしょう。「昔々、この地方には、いくつもの川や、深い森や、たくさんの町や村があって栄えていた。ところが、信心深く高潔であった住民たちが堕落した。神は長いあいだ辛抱強く待っておられたが、とうとう住民を罰しようと決心なさった。ある闇の夜、砂が塊となって一晩じゅう天から降り注ぎ、住民を一人残らず埋め尽くした」・・・人がもってる価値観をひっくりかえすところとして、砂漠が語られている。

Silk-Road.jpg

 砂漠というと不毛の地だと思う。でも砂漠と実際につきあう人たちは、けっして不毛とはとらえていない。ワヒツドは「砂漠というものは攻撃的だ」という。そして「深い感銘を受けた」と。怖れが感銘をもたらす。そういう価値観のひっくりかえしが起きる場所が砂漠じゃないでしょうか。
 旅をはじめる前は、水路ができれば砂漠はゆたかになるだろうと、アンヌさんは思っている。ここが「・・・・二千年余の昔から、抗争と征服と反逆と鎮圧によって、多くの生命が奪われてきた砂漠であることを知った。もしも血が大地の糧になるのなら、この地方はさぞ肥沃になっていることだろう」と。しかし、ずっと旅がすすんでいくと、砂漠でつかまえた天竺鼠の血を連れている犬に吸わせるところが出てきておどろかされる。血が水、文字どおり、血が生命の水になってる。そういうものとして砂漠の生命がとらえられるようになる。感じ方、とらえ方が逆転してくるんです。
 あるいは、「遠くの方から男が一人やってくる。それがどんなに奇妙なことか、すぐにはぴんとこなかった。大洋の沖合いで蝶を見かけるようなものなのに。その男は車までやって来た。まだほとんど子供の漢族系中国人である」というところ。てっきり大人がやってくるんだと思ってると、子どもなんですね。遠近法がちがうんです。砂漠の遠近法のなかでは、子どもも大人も大きさが対等なんだ。都市の遠近法のなかでは、どこまでいっても大人は大人、子どもは子どもの大きさしかないでしょう。
 アンヌさんは西欧の人だから旅の行程を距離で測るんです。ところがキャラバンの人たちにとって距離は日数で測るものなんですね。距離で測る考え方と、日が出て日が沈むまでという区切りで測る考え方とでは、いまどこにいるかという感覚、存在の感覚がはっきりちがうでしょう。
 宗教がもっとも強烈に存在しているのは砂漠じゃないでしょうか。シルクロードはそうだし、イスラエルがそうでしょう。それはやっばり砂漠というのが価値観のひっくりかえる場所だからですね。アンヌさんが人間ぎらいの人に砂漠に行くことをすすめるというのも、人間のもってる価値をひっくりかえして見つめられる場所として砂漠を考えてるからですね。

Xinjiang.jpg

 さっき「友愛」といわれたんで思い出したんですが、たとえば希望というのはギリシア時代には恐怖とおなじく悪に分類されていた、とハンナ・アレントがいってるんです。で、人間にとっての善というと、いちばん大事なものとされたのは友愛だった。いまは希望というものをためらわず善のほうにかぞえるけれども、それは西暦以後の感じ方にすぎないんですね。「こっちが善でこっちが悪」といういまの分け方とはちがう分け方、いわば太古の知恵というか、価値観が、伝説をとおして砂漠にのこされている。砂漠はそこに行くともっとも古い記憶がはっきりよみがえってくる場所でもあるんじゃないですか。


 アンヌ・フィリップが旅した頃の中国・天山南路は、よそ者が簡単に足を踏み込むことのできるようなあまい土地ではなかった。キャラバンを編成し、案内人をたよりにゴビ、タクラマカン砂漠の道なき道を前進するしかなかった。
 現在は、道はアスファルトで舗装され、天山越えも比較的労を要さなくなった。まわりの風景も、砂漠の灌漑化が至るところでおこなわれ、公道沿いから完全な砂の砂漠に出会うこともない。石油の鉱脈が発見され、人の往来が激しくなるにつれ、生きた砂漠がとても無機質な屍骸のように映って見えてきた。

 上記の長田氏が最後に、ギリシア時代は「希望」は「悪」であった、ということを言っている。その「価値観が、伝説をとおして砂漠にのこされている」と。
 これを読むと、ある映画をおもい出す。
 映画のなかでは、「運命」というものをテーマにしていた。
《運命は自分が切り開くものだと・・・・・・・・》というイギリス人ロレンスと砂漠の族長アリの闘い。 
この「運命」に「希望」を持つということが、砂漠では「悪」だった。

 今の世の中、すぐ夢だとか希望だとかを持て!というお説教をあちらこちらで当然のごとく聞く。
しかし、それに反する時代、地域、生き方があった!ということに驚かされる。
と同時に、そのことに、『希望』を持って!しまう。

 *アラビアのロレンス 

・・・・・・・・
第一次世界大戦が始まって2年目の1916年のことである。

ロレンスは案内人と共にフェイサル王子を訪ねる砂漠の旅に出た。
果てしなく広がる砂漠。
やがてマスツラの井戸に着いた。
水を飲み休んでいると、遠く地平線の彼方から黒い点が近づいてくる。陽炎の上に霞んでいる点がやがて形になってきた。案内人が銃を取ったその時、一発の銃声がし、案内人が倒れた。
駱駝に乗った男はハリス族の族長アリ(オマー・シャリフ)と名乗った。案内人の頭は撃ち抜かれていた。
「何故殺した」 ロレンスは言った。
「私の井戸だ」と、アリ。
「私も飲んだぞ」 
「あんたはいい、ハジミ族がこの水を飲むのは禁止されている」 
「アラブは部族同士で戦う限りいつまでも無力で愚かな民族にすぎないぞ」
ロレンスが言い、フェイサル王子のところへ案内するというアリを断りコンパスを頼りに行くと言い張った。
「1日かかる、迷えば死ぬぞ」 アリが言った。

途中の岩場でロレンスを待っていたのは英陸軍将校ブライトン(アンソニー・クェイル)だった。
共にフェイサル王子のテントへ着いた。
迎えたのはアラビア反乱軍の指導者フェイサル王子(アレック・ギネス)であった。
アリも着いていた。
「アカバを陸から攻め落とす」ロレンスが一晩中考えた結論だ。
「正気か?」 アリが驚く。
「それにはネフド砂漠を横断せねばならん、コンパスでは渡れん。神が創った最悪の土地だ」
「渡ってみせる」ロレンスは言う。
「50名貸せ、砂漠を渡ればハウェイタット族がいる」
「盗賊だぞ、金でしか動かん」
「だが勇敢だ、大砲があるぞ」
「海に向けられている、内陸に向けた大砲はない、正気じゃない」アリは信じられなかった。

 ロレンスはアリとその部下50人を引き連れて出発した。
砂漠が続く。
まさに死の行軍だった。喉が渇き水場までの我慢だった。
途中、着いてこない人間がいた。
ガシムだった。
倒れてしまったのか。
ロレンスが戻って探してくるというのをアリが止めた。
「もう、死んでる、戻れば死ぬぞ、それが運命だ」
「・・・運命などない!」
ロレンスは振り切って戻る。
やがて一行が水場で休んでいると、ロレンスの使用人の若者が遠くからやって来る駱駝を見た。
後ろにガシムを乗せたロレンスだった。
皆が歓声で迎える。
ロレンスは笑顔で水を差し出すアリに言った。
「運命などない・・・」
ロレンスはそう言うと泥の眠りに落ちた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


*ポール・ボウルズとメトロノーム

現代、砂漠において「希望」は「悪」と気づくまでには、相当の日数を単調だが過酷な砂漠の景色とともに生きなければ無理であろう。「もういやだ!」と思ってからしばらくいることによって「運命論者」なっていくのではないか・・・・・・・・・・
 団体ツアーではちょっと無理かもしれない。
中国・敦煌の鳴沙山やモロッコ・メルズーガの駱駝ツアーでは、砂漠の作り出す幻想に魅了されはしても、運命論的とまではいかないと思う。

 やはり、サハラを縦断するか?
 まだ、間に合う!
 いまに、こんなふうになってしまうかもしれない。
*夢の大陸横断鉄道
 ロンドンまで2日!だって!!



 
 
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