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ノイシュバンシュタイン城

 日本は、今、訪日外国人観光客の受入れを国をあげて応援している。

*訪日外国人3000万人プログラム
ビジット・ジャパン事業

ビジット・ジャパン事業は、2003年(平成15年)の1月に小泉総理大臣(当時)が施政方針演説において示した「2010年(平成22年)に訪日外国人旅行者数を倍増の1千万人へ」との方針を受けてスタートしました。我が国の観光魅力は、外国人の共感を呼び起こすソフトパワーであり、1人1人の交流を通じて国際相互理解の増進に寄与すること、今後わが国の人口が減少していく中で、外国人を呼び込むことにより、地域活性化やビジネス拡大を図られることから、観光庁が中心になって官民一体で取り組んでいるものです。


*平成19年度ビジット・ジャパン・キャンペーン事業の評価

・・・・・・・・・
(1) 高評価であった事業の主なものは、次のとおり。
○地域の外客受入体制整備(外国語による案内標記や情報提供の充実、空港アクセス・都市間・観光地と中心部の間といった二次交通の整備、地元関係者からなる連携組織の設立等)の動きと連動して実施した事業
○地域の様々なニーズ、提案の中から、テーマ、時期を統一することにより、プロモーションを連続的、集中的に展開し、認知度の向上を効果的に図った事業


(2) 低評価であった事業の主なものは、次のとおり。
○ルートの認知度、価格設定、団体向け・個人向けの区別等商品化に不十分な点があり、送客が伸び悩み効果的なツアー造成につながらなかった事業。
○新たなデスティネーションを開発すべく、認知度を高めようとしたものの、露出媒体が限定的で、認知度の向上につながらなかった事業。



 政府の試算では、2010年に1000万人、将来的には、3000万人まで訪日外国人を増やすつもりらしい。
ただ、昨年2009年は、約680万人どまりになった。2008年が約840万人だったから、キャンペーンむなしく減少してしまったようだ。今年は、中国人の査証の緩和措置も取られていることだし、まあまあ持ち直すかもしれない。

 外国人誘致のために政府が音頭をとって押しすすめている事業のなかで、効果があったものは、上記が示すように、「外客受入体制整備」や「地域のニーズや提案の連続プロモーション」だったらしい。

 外国人のニーズがあって、受入れ体制の整備をするのではなくて、自分たちのニーズを押し売るために受入れ体制を整備しているように感じられるが、基本は、わざわざ遠くから来てくださる方への我々の視点というのがとても重要ではないのかと思う。
 受入れ体制の整備は、お客への思いやりから生まれなければいけないのではないだろうか。

 東ヨーロッパ(今は中欧と呼ぶようだ)は、1990年前後、あいついで社会主義体制が崩壊し、西側諸国に門戸が開かれることとなった。
 今では日本人客のゴールデンルートとなったハンガリー・スロバキア・チェコ・ドイツ(東)も、当時は、ほんとうにセピア色がかっていた。古びた白黒写真のように、町並み、観光地、人間たちが見えた。プラハ城のような有名な観光地もほとんど修復、整備がされておらず、そこまで到達する足場もけっこう悪く、見学に苦労したものだ(当然、衛兵交代もライトアップもなかった)。今では、この中世の城を中心として周辺の環境整備までなされ、誰もが一度は訪れてみたいヨーロッパの代表的観光地のひとつになった。

*http://youtu.be/hpx699VsSlU

 中国は、西側に開放直後の1980年代までは、ほとんど観光客の受入れ体制などということを考えていなかったのではないか。それくらい、独善的でめちゃくちゃな手配だった。ホテル、レストラン、観光地、乗物、トラブルがないことのほうが不思議なくらいであった。なにせ、日本から中国に到着し現地ガイドが迎えに来てくれている確率が50%だったのだ!すべてが、自分たちのルールで動いていた。

 それが今は、比較的、快適な旅ができる。
90年代に入り、中国が完全な共産主義から開放路線に舵を切り替えはじめると、中国人の表情や動作もだいぶ変わってきた。サービスというものを考えるようになった。笑顔と思いやりが生まれはじめた。
 「豫園 (よえん)」というおもしろくない観光名所しかなかった上海に、1996年「上海博物館」が誕生したときはビックリした。「こんなものをつくっちゃうんだ」と思った。それくらい、世界でもトップクラスの見学者重視の博物館を街の中心に誕生させた。
 ただ、中国の開放政策の場合、日本の鎖国後の「富国強兵」政策同様、近代化に追いつこう!と、欧米に対するあこがれが、極端なかたちで国内に輸入されてしまってきているような気がしてならない。街を高層化、高速化し、市民の生活をITという最先端ファッションによってコンビニエンス化する。それこそ、誰もがあこがれであって、自慢できる創造物というがごとき「上海万博」を開く。
 中国を訪れる外国人観光客からしたら、以前のように、馬車や人力車が行き交い、街のあちこちから、饅頭の蒸気が立ち昇っているこの国のほうが想い出に刻み込めたかもしれない。


 ここ何十年、日本人にもっとも人気のあるドイツの観光名所に、『ロマンチック街道』とよばれる場所がある。
 ドイツ政府は、戦後復興事業の一環として、ドイツ中南部を縦に伸びる中世の街道を、『ロマンチック街道』と名づけて観光客誘致にとりくんだ。
 中世時代は、物資や人々の行き交う街道だったのだろうが、18世紀の産業革命後は、誰もが見向きもしなくなり、中世時代のまま取り残されてしまった街道沿いの(自由)都市をくっつけて、『ロマンチック街道』として、アメリカなどにセールスしたのだ。歴史にコンプレックスを持つアメリカ人は、この企画に大挙して押しかけてきた。ディズニーランドのように作られたテーマパークではない。ほんとうの中世の街に今も土地の住民が生活して、それぞれの日常があるのだ。その中のホテルに泊まれば、中世の住民になったようなタイムスリップを味わえる。・・・・・その後、日本人観光客も大挙して押しかけた。

ネルトリンゲン
ネルトリンゲン

 この『ロマンチック街道』で大事だったことは、中国とは違い、「中世」という時代を残すことだった。
この「箱」がとても大事だった。この「箱」を修復し維持していくことによって、新しい命を吹き込んでいった。
ここの町々は、博物館や住居跡のように、死んではいないのだ。パンを焼きコーヒーを沸かす臭いがし、泉で水を汲みバルコニーのプランターをうるおす。人々の靴音と声が石壁や石畳にこだまする。

 この『ロマンチック街道』の南端にある最大の観光地は、19世紀に建立されたノイシュバンシュタインというお城である。
 『ロマンチック街道』沿いの観光名所のなかで、一番現代に近い。
 現代に近い分、建造物としての価値はそれだけ目減りすると思うのだが、この城を建立させたバイエルン王の波乱万丈な人生ゆえ、歴史的価値は、『ロマンチック街道』のどの建造物より増しているように思える。
 王の名は、ルートヴィヒ2世である。
 とくに、近年でいえば、音楽家のリヒャルト・ワグナーとオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフの皇后エリザベート(シシィ)の名声が高まれば高まるほど、ルートヴィヒ2世の人生にも脚光が浴びせられて、彼の建てたノイシュバンシュタイン城の人気も上がるということになるようだ。

 大手旅行会社のパンフレットの表紙によく利用されるこのお城!
歴史的な人気もさることながら、見栄えも大変いいのだ。ディズニーが、シンデレラ城のモデルにしたというくらいのお城である。だから、その写真を一度目にしたら、どうしてもそこへ行ってみたいと思うはずである。

ドイツ

 けれども、このお城、到着するまでけっこう大変なのである。
このお城は、見晴らしのよい山肌の中腹に建立されており、大型バスではそこまで行けない。よって、ふもとの町で大型バスを降り、他の交通手段でこのお城を目指すのである。地元の観光協会が用意した交通手段は、馬車とミニバスである。歩いていくことも可能だが、若者でも結構な道のりなので、ツアー中高年客を歩かせるわけにはいかない。通常、一番大量輸送ができ、しかも安いミニバスを利用する。帰りは下りということで、歩かせることが多い。

 これだけ苦労して、やっと、ノイシュバンシュタイン城の入口に到着するのである。

 10年以上前であれば、ツアー客のチケットは、ふもとのホテルなどの代理店で購入し、お城に着いたら、チケット売場の列に並ばずに、そのまま入場口前の列に続き、内部の観光をおこなっていた。内部は、お城専属のガイドがグループごとにインターバルをもうけて要領よく案内してくれた。出口を出ると小さな売店がありそこでポストカードやガイドブックなどを売っていた。
 その当時は、苦労して入口までたどり着き入場口で多少並ぶことはあっても、内部は比較的ゆっくりと隅々まで見学ができ、城から外へ出るとおいしい空気と雄大な景色が待っていてくれた。

 10年ほど前、ノイシュバンシュタイン城の観光協会は、お客のためを思ってなのか?このお城の観光をシステム化した。
 お城の団体観光には、事前予約が必要になった。この事前予約は、観光のスタート時間まで予約しなければならない。しかも、その予約時間の1時間前までに、ふもとに新しくできたチケットセンターで、予約の確認書をチケットに交換しなければならなくなった。
 添乗員としては、けっこうなストレスだ。時間に遅れて到着することは許されない。
当然、時間に間に合わすように、早めに行動するようになる。予約時間の1時間以上前にチケットセンターに到着し、チケットに変更したとしても、そのまま、ミニバスで中腹まで上ったら、予約時間のかなり前に城入口に到着してしまう。入口などに早く到着しても、そこでは、他に何もすることがないから、ただ、予約時間がくるのをじっとして待つしかない。だからといって、ふもとで時間をつぶすのも、時間に間に合わなくなるのではないか?という恐れがある。結局、すこし早めにミニバスで上がり、入口前の適当な場所で各々時間までどうにか過ごしてもらう。入口の電光掲示板に自分たちの予約番号が表示されたら、やっとこさ、内部へ入場し、あちら側の指示に従って、専属ガイドもしくは、イヤホンガイド(日本語)で、各部屋の見学をする。この見学も、以前と比べたら、かなり簡略化され事務的なものになった。だから、かなり待たされたあげく、中へ入ったのに、ものの20分前後で内部観光そのものは終わってしまうのだ。「エッ!これでおわり?」と思ったときには、今まで見学してきたルートヴィヒ2世ゆかりの部屋より広そうなお土産屋で、出口がわからず迷子になっているという始末となる。こうなると、お客のハンドリングだけでも添乗員は疲れてしまう。噂で聞いたが、行方不明のお客を探すために、ふもととお城を何往復か走った女性添乗員がいたとか・・・・・・

 たぶん、ノイシュバンシュタイン城の観光協会の方々は、受入れ体制をより良くしようとシステム化し整備したのだろう。
 予約制にし、電光掲示、自動改札で入場客をコントロールできる。
 このようなシステムに投資した金額は、お土産屋を大きくすることによって回収できる。

 たしかに、そうかもしれない。
 ただ、それは、自分たちだけの利便性から生まれた発想ではないのか?
 お客の立場で生まれた発想ではないのではないだろうか?
 入場をコントロールしたいのなら、もっと別な方策はなかったのだろうか。

 実は、期待が大きいだけに、ノイシュバンシュタイン城というお城は、お城へ近づけば近づくほどガッカリする城である。
だからこそ、待ち時間などネガティブな要因をお客に与えたくないと思うが・・・・・・・・・
現状のままでは、入場しなくてもいいのでは?と思ってしまう・・・・・・・・




 

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この記事に対するコメント

No title

私は有名観光地よりも、Googleストリートビューで普通の人達が暮らしている街並みを見るのが好きですね。ドイツはまだ見られませんが…。(笑)

あと、日本が少子高齢化や人口減少に悩んでいると言いますが、これは先進各国に共通した問題ですから、他国も似たようなことを考えているかも知れませんね。観光客(=富裕層)の奪い合いになる!?

URL | ぽんぽん #qbk0ineE
2010/07/17 16:42 * edit *
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