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慇懃鄭重

 「武士道」解題 李登輝著 より

《 》の部分は、新渡戸稲造著の『武士道』より引用

作法の慇懃鄭重(いんぎんていちょう)は、日本人の著しき特性として、外人観光者の注意を惹くところである。もし単に良き趣味を害(そこな)うことを怖れてなされるに過ぎざる時は、礼儀は貧弱なる徳である。
 真の礼はこれに反し、他人の感情に対する同情的思いやりの外に現れたるものである。それはまた正当なる事物に対する正当なる尊敬、したがって社会的地位に対する正当なる尊敬を意味する。
 何となれば、社会的地位は何ら金権的差別を表わすものではなく、本来はじっさいの価値に基づく差別であったからである》

 いま台湾は、すぐ隣の沖縄と実に親密なつき合い方をしています。文字通り一衣帯水といった地理的な親近感もありますが、やはり沖縄の人々が、県都の那覇に「守礼の門」を構えているという事実にも象徴的に表れているように、非常に「礼」を重んずる、他者に対して実に心の温かい人々だからでありましょう。そして、このような形の「礼」は、武士道の根幹として、古来「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂(みずほ)の国」に住む日本人全体に通じる「慇懃鄭重なる作法」として、列島全土にくまなく浸透し定着してきたものです。
 疑いもなく、日本そのものが「守礼の国」以外の何ものでもないのです。新渡戸稲造先生は、『武士道』の中で、このような優れて日本人的な「礼」を、「愛」と結びつけて、次のように述べています。

《礼の最高の形態は、ほとんど愛に接近する。吾人は敬虔なる心をもって、
「礼は寛容にして慈悲あり、礼は妬まず、礼は誇らず、勝らず、非礼を行なわず、己れの利を求めず、慣らず、人の悪を思わず」・・・・・・・・・》

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 明治維新後、西欧の洪水にまみれた日本人は、新しい価値観にかなり当惑を覚えたことだろう。拒絶する者もいれば、すすんで取り入れようとする者もいたであろう。
 肩肘を張って対面を気にする生活がいやになった若者が発生したかもしれない。
 そういう個人が日本から飛び出していったかもしれない。
 欧米の価値観を学んで日本へ取り込もうとした者もいたかもしれない。
 あちこちで西洋作法のモノマネで酔いしれていたのだろう。
 良い事も悪い事も、ごちゃまぜになって明治、大正、昭和と過ぎてきた。
 
 ただ、根本のところで、慇懃鄭重な心は、日本の集団社会で生き残っていたのだろう。
 寄合、地域社会、家族、学校、会社など、ひとりの人間は、多くの集団に接して一生を送る。
 そういう多くの集団を支えていたのは、慇懃鄭重な心だったのではないだろうか。
 そういうコミュニティを通して、慇懃鄭重な心は、多少形を変えながら、受け継がれてきたのではないだろうか。

 わたしのような日本人(そういう息の詰まるような日本が嫌だった)が外国へ行って歓迎されたのも、「日本人は誠実、まじめ、礼儀正しい、嘘をつかない、勤勉、・・・」という慇懃鄭重な先人たちのおかげだった気がするのだ。

 しかし、ここ10年くらいの間に、この今までの様相が、すっかり変わってしまった。
 日本人が評判の好かった時代は、遠い昔のように感じる。
 世界のあっちこっちで、日本人の悪い噂を聞く。
 以前の日本人は、ただ外国における慣習を知らなかったばかりに恥をかくことが多かった。このようなことは、けっして悪い噂とはならない。 
 最近の悪い噂は、慇懃鄭重(礼)の心の喪失によって起こることが多いのではないだろうか。

 2年前イタリア、フィレンツェの大聖堂に落書きし記念写真を撮っていた女子大生たちが、よい例である。このようなことを非常識と認識できない「礼儀の貧弱さ」は、社会学的にみれば、一短大生の私事で済まされる問題ではないであろう。

らくがき

 わたしがそう思う背景は、あちこちで似たような話を聞くからだ。
 ホテルやレストランにて集団で騒ぐ。現地の人々が注意しても知らん顔で改めるわけでもない。禁煙の観光地で平然と煙草を吸う。警備員が注意しても最後まで吸い続ける。現地住民を皆どろぼうと思っているのか現地の方々のすべての行為を疑ってかかる。自分がカバンのどこにしまったのか忘れてしまったメガネをメイドに盗まれた!と現地人に犯罪者の汚名をきせておきながら、一切謝ろうとしない。日本語なら解らないだろうと侮蔑・差別的言葉を現地の人々に投げつける。・・・・・・・・・・

 ここ10年間で、いちばん変わったもの?
 それは、集団ではないだろうか。集団がドンドンと破壊されている。家族でさえバラバラだったりする。
 かろうじて残っている集団でも、中身は没個性化している。
 IT社会となり、インターネットによって、新たな集団に属し、新たな友人とメールやツイッターで結びついたとしても、そこから、慇懃鄭重な作法を感じとることは不可能であろう。
  

 これだけ、すべての集団が破壊されてしまうと、新渡戸稲造先生がおっしゃった「作法の慇懃鄭重(いんぎんていちょう)は、日本人の著しき特性として、外人観光者の注意を惹くところである」ということは、もう期待できないのかもしれない。

 今では、「慇懃鄭重」どころか、子供から大人まで、「欲」まるだしの人間でなければ、日本で評価されることはないようだ。
 没個性化の友であるマスコミがそれに発車をかける。


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