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旅の恥はかきすて



 
なぜ今、「武士道」か 日本及び日本人の復活―この「自助の歴史・精神」が将来を救うなぜ今、「武士道」か 日本及び日本人の復活―この「自助の歴史・精神」が将来を救う
(2002/07)
福田 和也

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抜粋

 武士道において「恥」は重要な要素です。恥を知ることが、武士道の実現に大きな力となるからです。
 たとえば、侍は紋付きの服を着ていましたが、それはなぜかと云えば、悪いことをしたときに、それが「どこの誰なのか」わかるようにするためです。
江戸時代には「武鑑」という本があったので、ある程度以上の家紋は、すべてどこの旗本のものかがわかるようになっていました。
 したがって、紋付きの服を着ることは、名札をつけて歩いているのと同じなのです。
それを着ている間に恥ずかしいことはできないし、喧嘩を売られたら買わなければならない。市中で狼藉(ろうぜき)も働けない。
 つまり、紋付きの服を着ることは、「その紋にたいして恥ずかしくない振る舞いをせよ」という強迫でもあったわけです。
 かつては、学校の制服や会社の制服にも同様の役割がありました。そういう意味では「世間の目」に敏感だったのでしょう。
 ひるがえって現代を眺めれば、これはもう「無名性の時代」です。
 都市生活自体が「無名の世界」になっています。
 しかも、私自身、それを心地よく感じています。正直な話、駅で立ち食いそばを食べているときに、「先生」と声をかけられるぐらいばつの悪いことはない。先日、川崎でコロッケそばを食べているときに、「福田先生ですか」という声を聞き、口に入れたものが出そうになりました。テレビに出ていないからまだましですが、無名性というのはつくづくありがたいと思ったものです。
 しかし、みんながそれに慣れているために、「名を惜しむ」という感覚がなくなってしまいました。
 無名性の怖さは、「恥」を気にしないことにあります。
「旅の恥はかき捨て」と云いますが、そこに「他人の目があっても、知らない人であればいないのと同じだ。だから何をしてもいい」という感覚が生じるのです。
 「知らない人は存在しないのと同じだ」ということは、要するに、意識を狭めているわけですから、自分にたいして向けられる意識も、そのぶん、希薄になります。
 極端なことを云えば、自分も存在しないのと同じになるのです。現代人が悩む「自己の希薄さ」は、そのあたりにも原因があるでしょう。
 無名性のなかに「自分は他者とともにいる」という認識が、漠然とでもあればいいのです。
 しかし、公共の場にいても、そこが他人との共有空間ではなく、一人ひとりが狭い檻(おり)に入っている感覚が強くなってしまっています。電車のなかでウォークマンを聞き、自分の世界に入っている姿は、とても象徴的です。
 今は、本当に「知らない人はいないのと同じ」という意識の人を町中で見かけます。
 これは年齢性別を問いません。
 先般、四十過ぎぐらいの婦人が、電車の扉のところにしゃがんでパンを食べている光景に出くわしました。品のない行為ですが、いい歳をした大人がそれをやっているのです。
誰も見ていないと思っているのでしょう。
 これは、電車のなかで化粧する若い女性と一緒です。
 では、電車のなかでパンを食べる人、人前で化粧をする人が、どうすれば自分の行為を離と思えるのだろうか。
 あるテレビ番組が街角で化粧をしている若い女性に、「恥ずかしくないのか」とインタビューしていました。
 すると、その女性は「耽ずかしくない」と答えたのです。
 ところが、街角で化粧をするところを撮影されることになり、その後で再び同じ質問をすると、彼女は 「恥ずかしかった」と云いました。
 カメラを向けられて初めて、彼女は人に見られていることを意識したのです。
 結局、周りにいる人も自分と同じ普通の人間であり、つねに自分のことを見ているのだと意識すること以外に、「恥」を感じるようになる道はないようです。
 また、本当にみんなが、「義」を実現するために生きているのかどうか、ということも問題になるでしょう。
「義」を追求する意志がなければ、「名誉」への関心も当然薄くなります。
 そういう状態で、「恥を知る」「名を惜しむ」などということをいくら教えても、それは、ザルで水を汲むようなものです。


電車で化粧
(わざわざ広告までだして!・・・標語の多い国、地域、会社ほど民度が低いのでは!)


 *飛行機内で食事が終わり、映画が始まった。まわりが暗くなり乗客も仮眠状態となったので、わたしは最後尾のトイレへ行った。ドアの取っ手横は、「VACANT」の文字。わたしは、取っ手を軽く押し、中へ入ろうとした。そのとき、「アッ!」という嗚咽とともに、お尻をまるだしにして便座の上にまたがっている女性と目が合った。まだ20代とおぼしきその女性は、背後にある扉に手を押さえようとしたのか、ものすごい形相のまま背後へ倒れかかってきた。わたしは、とっさに、背後から、便座にまたがっているお尻をかかえた。その瞬間、彼女にとってはとても悲劇的なことが起こった。・・・・「プーーッ!」と・・・・・
 こんなに若い女性がどうして、洋式便座にまたがっていたのかは不明である。
 飛行機のトイレは、「VACANT](空き)の場合、中は照明は点灯しないはずなのだが、なぜ不思議に思わなかったのか・・・・・・・・
 それとも、よっぽど、急いでいたのか?
 たぶん、この女性は、はじめて飛行機に乗ったのかもしれない?
 見も知らない異性にお尻をかかえられて、「オトシモノ」までしてしまった。
 彼女は、きっと、「恥かしい」と思ったはずだ。

toilet]

 まあ、「旅の恥はかきすて」と思うひとは、それが「恥かしい」と意識しているわけで、意識できるひとにとって、「旅の恥はかきすて」と自己暗示するぐらいのほうが度胸がすわってよいのではないだろうか。
 「知らない人は存在しないのと同じだ」と無意識に体得してしまっている人は、「恥」がなんなのかもわからないはずだ。
 



 
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