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オリオンツアーと太陽レクリエーションセンター

 先日、街を歩いていると、旅行代理店の店頭で、『オリオンツアー』と書かれたパンフレットをみつけた。
表紙の派手な写真や文字をみただけで、格安とすぐ想像がつくオリオンツアーのパンフレットを手に取り、私は、「まだ、潰れずに頑張っていたのか・・・」と感無量になってしまった。
 たぶん、そこそこと頑張っていたのだろうが、あまりメジャーな旅行会社ではないせいか、大手の代理店のカウンターにパンフレットが並べられることはなく気づかなかったのだろう。

 わたしが、なぜ『オリオンツアー』のパンフレットに感無量になったかというと、わたしが学生時代アルバイトをしていた旅行会社『太陽レクリエーションセンター』と『オリオンツアー』は盟友のような関係だったからだ。『オリオンツアー』からしたら、『太陽レクリエーションセンター』などと盟友呼ばわりされるおぼえはないといわれるかもしれないが、本当に似たようなセールス、客層、ツアーを組んでいた気がする。

 格安ツアーでターゲットは学生である。いろんな大学の部室へ飛び込みでセールスをすると、だいたい『オリオンツアー』のパンフレットがもうすでに置いてあったりするのだ。夏は、大学生向けに沖縄、高校生、大学生向けに伊豆七島や信州などの高原リゾート、冬は、おもに高校生、大学生向けのスキーバス。このデスティネーションも、オリオンツアーと太陽レクリエーションセンターはよく似ている。
 こんなぐあいだから、現地へいっても、オリオンツアーのバッチをつけた係員と空港、港、ホテルなどいたるところで出会うのだ。
 もちろん、JTBなど大手旅行会社のほうが大量に総客しているのだろうが、こういう旅行会社と値段の違う我ら格安学生ツアーがバッテイングすることはほとんど有り得ないのだ。
 たとえば、ホテル?などは悲惨であった。この格安学生ツアーがホテルなど利用することはなかった。民宿、旅館、よくてペンションである。沖縄の現地駐在などしていると、お客が今まさに空の上を飛んでいるときに、旅行会社が電話で、「お客さん、2人増えているから、よろしく」とか言ってくる。もちろん、もう部屋は用意できないから、民宿の部屋の真ん中に間仕切りを置いて、その増えた2人を押し込むだけである。クレーム?・・・・・・もちろん、クレーム!の嵐だ!だが、そんなことは、まったく気にしない旅行会社であった。私自身も、アルバイトで採用になるとき、「空いている時間は好きなだけ楽しんでいいから」と言われていたので、現在のような業務意識は微塵もなかった。旅行業というものを全く知らない私にとって、学生ツアーとはそんなもんなんだろう!ぐらいの認識しか当時なかったのだ。

 まだ、沖縄まで東京、大阪からの航路が在った時代で、格安なりの存在価値があったのであろう。2等航路の沖縄は、日数もかかるし快適でもない。とても、普通の家庭の主婦などが乗っていけるものでもないので、JTBなど大手旅行会社はそのような運送機関も宿泊施設も利用しない。時間はあるが金のない学生にはもってこいの『太陽レクリエーションツアー』や『オリオンツアー』だったのである。

 スキーバスも当時のニーズにうまく応えたのだろう。あのスキー用具を持って電車で現地ホテルまで行くのは結構たいへんである。スキーバスツアーなら、バスに乗りさえすれば、信州のホテルまで寝てるだけでいい。帰りもホテルまでバスがピックアップに来てくれる。夜行で格安となれば、電車やマイカーの出るまくはもうない。
 当時の鉄道関係者の危機感はけっこうなものだったのではないだろうか。わたしは、信州のある鉄道駅の駅長から呼び出されて、
「おたくのような会社が、このようなバスを走らせるからほんとうに困っている。旅行会社と鉄道はずっと共存してやってきたんだ!ルールを守るように!」
ときつくお咎めをいわれた。どうみたって、学生の私にそんなことを言われても困るのだが・・・・・・


 その後、格安で客層も主に学生だから、いい加減でもどうにかなるだろう!と太陽レクリエーションセンターは考えたのかもしれない。
 私から言わせれば、学生は、その後もっとも贅沢な人種になってきたようだ。

 太陽レクリエーションセンターが、当時の主催ツアー名である「サミーツアー」(ふくろうマーク)をそのまま社名に変更したという噂を聞いた。
 そして、しばらくすると、『サミーツアー』が倒産したという話を聞いた。

 そのころ存在した格安・学生ツアーは、もう皆、消えてしまったものと思っていた。
 だから、『オリオンツアー』のパンフレットをみたときは、郷愁とともにうれしさを覚えたのだった。
 そして、また、似たようなパンフレットに、似たようなツアーを企画している。
 ただ、100%HISに飲み込まれたようなので、そのうち、こちらも消えてなくなるのかもしれない。

 そういえば、3年ほど前だろうか、スキーバス(あずみ野観光バス)を主催して、1名の死者をふくむ27人の死傷者をだしたサミーツアー(株式会社サン太陽トラベル)は、この太陽リクリエーションセンターとは別な会社である。太陽リクリエーションセンターは、東京の御茶ノ水に本社があった。サン太陽トラベルは、1990年大阪で設立となっているので、もしかしたら、倒産した太陽リクリエーションセンターから社員の引き抜きなどはあったかもしれないが、会社としては別な母体と考えられる。サミーツアーという同じ名称を使用し、おこなっている事業もスキーバスなどほとんど同類であることから相像するに、太陽リクリエーションセンターの幹部が、そのノウハウを持って、サン太陽トラベルを「サミーツアー」化したのではないかと思うのだが・・・・・?
 この第二のサミーツアーも、3年前の事故の影響がたたってか、昨年11月、倒産してしまったようだ。








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この記事に対するコメント

東京御茶ノ水のサミーツアー(太陽レクレーションセンター)が倒産した折、東京、大阪、名古屋の各営業所が独立を目指し、サミーツアーの継承権をもつ当時の大阪所長が新たにサミーツアーを設立。
東京は現トラベルイン、名古屋はハートツアー(設立を目指したが、諸事情で断念)と、それぞれの拠点で当時の社員たちで会社を作っていった。
大阪サミーツアーは、その後、資金等の関係で、サン太陽とラベル倒産時の社長(当時白馬の某ホテル社長)が就任、運営していたが、内部的にはかなりの摩擦があり、バス事故前に、主たる社員ほとんどが辞め、新たに別の会社を設立、そして倒産にいたった模様。

引抜などあった訳でもなく、単純に、会社がこけてしまったから、仕方なく、それぞれの社員が会社を始めたのが事実です。

懐かしい時代でしたね。


ですので、

URL | 懐かしのサミーツアー #tHX44QXM
2011/10/05 17:25 * edit *
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