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深夜特急と猿岩石

 *アンチ『深夜特急』のブログより

 評論家・佐高信の『タレント文化人150人斬り
タレント文化人150人斬りタレント文化人150人斬り
(2002/10)
佐高 信

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沢木耕太郎氏について、

・・・・・・・・・・・・人間はここまで思い上がれるものなのかと、私はしばし呆然とした。独り悦に入る(勝手にひとりでおもしろがっている)というコトバがあるが、沢木はこのように、己れのマスターベーションを商品化してきた。・・・・


 
 わたしは、何度かドラマティックなタイトルに引かれて沢木耕太郎氏の本を手に取ったことがある。いざ読み始めると、その期待度とは裏腹な内容にがっかりして最後まで読みきれないことが多かった。その原因はまさに佐高信氏のいうようなことなのだろうと思う。

 沢木耕太郎 深夜特急ノート『旅する力』のなかにも、同様な感覚を抱かせるくだりがある。

旅する力―深夜特急ノート旅する力―深夜特急ノート
(2008/11)
沢木 耕太郎

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 『深夜特急』は1986年5月に1巻・2巻(第1便・第2便と称す)、1992年10月に最終巻(第3便)が発行された。その文庫版は1994年に6巻に分けて発売された。そして、『深夜特急』はその後、大沢たかお主演でドラマ化されることになり、1995,6年頃から3年をかけて製作され全3回に分けてテレビ放映された。その間、1996年4月から10月、日本テレビのバラエティ番組『進め!電波少年』の中で、猿岩石が同じようなアジアルートをヒッチハイクで西へ進み、最後はロンドンまでのはちゃめちゃ貧乏旅行をおこなった。

 大沢さんたちがドラマの制作のために旅に出ているときに、ちょうど日本では猿岩石という人たちが出てきて一大ブームを巻き起こしていた。日曜日の夜に放送されていた「進め!電波少年」という番組のひとつのコーナーに、猿岩石というお笑い芸人のユニットが出てきて、その二人が『深夜特急』と似たようなコースを辿ってヒッチハイクをするということを始めたのだ。もちろん、私に連絡があったうえでのことではない。とにかく売れない二人組の芸人を拉致するようにして日本から連れ出し、香港かどこかにポンと置き、十万円だけ渡して、あとは『深夜特急』と同じようにロンドンまで行けと命じる。予想通り、二人は与えられた金をすぐに使い果たしてしまう。だが、そこから本当の旅が始まることになる。ヒッチハイクをしたり、野宿をしたり、アルバイトをしたり、時には飢えたりしながら艱難辛苦に耐えて旅を続けていく二人の姿を、同行しているディレクターがビデオで撮って番組で流していく。
 これがすさまじいほどの人気を博した。それには、過酷な旅を続けているうちに、売れないただのお笑い芸人と思われていた二人の顔が、しだいにいいものになっていったということがあったかもしれない。実際、映像からは、旅をしていく過程で彼らがしだいに純化されていくような感じさえうかがえるようになっていったのだ。
 その番組のプロデューサーとはのちに会って説明を受けることになるが、彼によると、東京六本木の青山ブックセンターという書店で、平台に並んでいる『深夜特急』を眺めているうちに、「そうだ、俺の友達に沢木耕太郎みたいなことをやろうという奴がいたが、あいつらは今頃どうしているんだろうな」とふと思ったのだという。そして、「これと同じことを誰かにやらせてみたら面白いんじゃないか、それを撮ったら面白いんじゃないだろうか」と考え、そのアイデアを猿岩石で実現させてみたというのだ。
 これは番組的に大成功し、夜の十時台にもかかわらず、二十パーセント以上の視聴率を取るというほどの騒ぎになった。
 猿岩石の二人は、無事ロンドンに到着したあと日本に帰ってくるや、西武球場で大観衆を集めて「凱旋ライブ」をやるというところまでいって、ブームは頂点を極めることになる。その頃から、私のところにもコメントをくださいという電話が頻繁にかかってくるようになった。「猿岩石についてどう思いますか?」とか、「自分の旅の模倣をされてどう思いますか」といった内容だった。私は、いわゆるコメントを発するということがあまり好きではないので、「申し訳ないけれど」とすべて断っていたが、最後には「ニューヨーク・タイムズ」からもコメントがほしいと言ってくるようになった。日本の若者たちがああいう苛酷な旅に憧れるのはなぜなのだろうかという趣旨だったが、もちろんそれも断らせてもらった。

 とにかく、猿岩石が大ブームを巻き起こしている一方で、小野氏と大沢さんたちのグループは黙々とユーラシアを移動し、撮影を続けていた。自分たちは著者に許可を得て、いわばオーソライズされたものをやろうとしているのに、全然関係ない人たちが先に『深夜特急』 の一種のパロディを作って大向こうの喝釆を博してしまった。それってなんだかまずいよなあ、というのが小野氏たちの正直な感想だったと思う。
 しかし、私はいったん帰ってきた小野氏たちに、猿岩石の二人にはかわいそうだけど、彼らはすぐ消えて忘れ去られていくことになると思うよと言って慰めた記憶がある。
 それにはこういうことがあったからだ。
 猿岩石が帰ってきて大ブームを巻き起こした直後に、ちょっとした問題が起きた。猿岩石の二人は実はインチキをしていたというのだ。危ないところは飛行機でパスしてしまい、実際にヒッチハイクなどしていなかったという、いわゆる「キセル問題」が起きたのだ。しかし、猿岩石とその番組のプロデューサーは、「あれは要するにドキュメンタリーではなくてバラエティなんだからそんな厳密なこと言わないでくださいよ」と笑って済まそうとした。
 実は私も、キセル問題などどうでもいいことだと思っていた。たかが旅の番組を作るのに、無理に危険を引き受ける必要はないと思っていたからだ。しかし、その番組の本質的な問題は別のところにあるとも思っていた。
 それは最終回に集約的に現れていたのだが、無一文の二人がドーバー海峡を渡ってロンドンに到着するというその回の映像を見て、これは困ったなと私は思った。すべて嘘だったからだ。二人はフランスのカレーでフェリーに乗り込む寸前の車をヒッチハイクしてドーバーを渡り、イギリスに入国することに成功する。しかし、いくらヒッチハイクだと言っても、見知らぬ二人の船賃を払ってまで車に乗せてくれようとする人がいるはずはないし、無一文の彼らをイギリスの出入国管理官が入国させるはずがない。その回の映像がすべて「ヤラセ」だというのは一目見れば歴然としていた。
私が気になったのは、そこで嘘をついた、「ヤラセ」の映像を撮ったというだけではなかった。
この二人の若者は、一年とは言わないまでも、少なくとも半年ものあいだ何とかロンドンまで辿り着こうということを唯一の目標に過酷な旅に耐えてきた。その結果、日本で番組を見ている人たちに、彼らは顔つきも変わり、精神も澄んでいっているのではないかとまで感じさせるようになった。それは、その旅が、仕事であると同時に、それ以上のものになっていったのではないかと想像させたからだ。
 猿岩石の二人は、ある意味で騙されるようなかたちで仕事としての旅をすることになった。だから、当然、最初のうち、その旅は「余儀ない旅」だった。しかし、視聴者には、彼らがその「余儀ない旅」を続けていくうちに、単なる「余儀ない旅」ではなくなっていったように見えてきた。つまり、「夢見た旅」に変わっていったように思えてきたのだ。ロンドンも、当初は単なる建前上の終点にしかすぎなかったものが、いつしか夢のゴールになっていったらしい。なぜなら、彼らは必死に旅をしていく中で、変化していったようだったから。それが視聴者の心を動かしたのだろうと思うのだ。ところが実際はそうではなかった。彼らにとっては、依然としてその旅は仕事の旅、「余儀ない旅」の延長であり、ロンドンは単なる番組上のゴールにしかすぎなかった。
 もし旅によって本当に彼らが変わっていったとすれば、つまり旅が自分たちを売り出すための手段ではなく、旅すること自体が目的となっていたら、最後に「ヤラセ」で乗り切ろうという番組の論理とは違った決断をしていたのではないかと思うのだ。そんなことを考えもせず、しようともしなかった二人は、多分あっという間に消えるだろう。なぜなら、彼らはその旅で何も変わらなかったから。たまたま、旅先で十分食べられないというようなことがあり、たまたま肉体的にシェイプされただけの話で、精神的なシェイプは全然されていなかったから。
 やはり、私の予想どおり、その「猿岩石ブーム」はあっと言う間に去っていくことになった。・・・・



佐高信氏の言葉を借りれば、「人間はここまで思い上がれるものなのか」ということだろうか。
このアジアルートを横断するのに、いちいち沢木耕太郎氏の承諾を得なければならないのだろうか。本来のシルクロード(ルート)であるオアシス路が中ソ国境など往来できない区間を挟むため、当時のアジアとヨーロッパを横断するインディペンド・トラベラーは南のアジア(ハイウェイ)ルートで旅するしかなかった。『深夜特急』とほとんどルートが重複するマジックバスの歴史は40年以上前からである。「進め!電波少年」のプロデューサーがたとえ「深夜特急」からヒントを得たとしても、べつにいちいち沢木氏に断わらなければならないことではない。『深夜特急』という言葉だって、固有の商品名とはいえないだろう。誰がどこで使用しようがかまわない類のものではないのか。沢木氏本人が言っているように、『深夜特急』というタイトルは、オリバーストーン(脚本)の出世作『ミッドナイト・エクスプレス』(1978年)からヒントを得ているのだから。

 猿岩石もかわいそうだ。番組のストーリーどおりに彼等は演じたのであり、自らの意志で旅をしたのではない。名前どおり猿まわしの猿を演じきった。最後だけ自分の思い通りに脚本を作り変えてくれ!などとはいえないだろう。彼らの人気が一時的だったのは、別な要因ではないのか。
 
 
 アジアを多少なりとも旅した経験があれば、猿岩石のストーリーはおかしい?ということにすぐ気づいたはずだ。まず、ヒッチハイクという無理もあるが、タイから西へ、ミャンマー、バングラディッシュ、インドは陸路では横断できない。わたしは、こんな「ヤラセ」をやっていいのか?と当時おもった。これをみて、自分もいってみたい!という若者が出てきたらどうするのか?と。この「ヤラセ」を本当だとおもって、ヒッチハイクをおこなったら、かなり危険である。万が一「死ぬ」ようなことがあれば、誰が責任をとるのだろうか?その後、わたしと同じように「おかしい」とおもう者からクレームがついたら、この番組のプロデューサーは、沢木氏がいうように、『「あれは要するにドキュメンタリーではなくてバラエティなんだからそんな厳密なこと言わないでくださいよ」と笑って済まそうとした』。笑い事じゃないだろう!とわたしは怒りをおぼえたが、後々の状況を観察すると、このプロデューサーのほうが時代を見ていたのかなあとおもった。つまり、彼は、「これはバラエティー番組なんだから、本気で見ているような人はいません、心配いりませんよ!」ということだったんだとおもう。そのとおりになった。

 個人旅行者のバイブル、『地球の歩き方』の編集部は、当時、この猿岩石のブームに頭をかかえていたらしい。『「地球の歩き方」の歩き方 』という本のそのへんのことが書かれている。当時、『地球の歩き方』は、個人旅行のイメージを変えようと努力していたらしい。ハングリーで貧乏くさくリスクの高いイメージから、OLがちょっとした有給休暇でいけるちょっぴり贅沢で安心なイメージへ。それを、この猿岩石ブームは再び昔の貧乏くさいイメージへ引き戻そうとしている!

「地球の歩き方」の歩き方「地球の歩き方」の歩き方
(2009/11/18)
山口 さやか山口 誠

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 こちらも心配いらなかった。だいぶ前から、若者はハングリーに考えることをやめたようだ。若者は老人のように保守的となり、大人顔負けの要領の良さだけが目立つ時代になってきた。だから、一人旅でほんとうにリスクを背負うより仲間とエンジョイするほうを好んだ。苦労して日程を組むよりパッケージツアーの安心を好んだ。個人旅行の場合でも、一人で行くのではなく、2,3人の仲間とオーダーメードするだけで満足した。猿岩石や『深夜特急』のドラマを見ようと、『地球の歩き方』が心配したタイプの層は平行線を辿っただけでけっして増えることはなかった。

 ひとりで旅に出るというと、「どうしてひとりなの?」とか「何しにいくの?」と聞かれるのがおちである。たぶん、彼らにとって、一人旅というパフォーマンスは、お笑い芸人が身体を張って熱湯につかるのを、おもしろおかしく眺めているのと変わらないのであろう。それだけ、若者のエナジーが内側へ向いてしまっている気がする。または、エナジーそのものが、親のゆりかごの中で、なかなか解けないオブラートに包まれたままなのかもしれない。


 逆に、猿岩石や『深夜特急』で刺激を受けるのは、中高年のほうかもしれない。
 中高年のほうが、単純に夢を抱ける世代なのかもしれない。
 そう先もないことだし!


  


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