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アンチ『深夜特急』

 わたしは、沢木耕太郎という作家が苦手だ。
とくに、沢木氏が書いた『深夜特急』という本が苦手である。

深夜特急〈第一便〉黄金宮殿深夜特急〈第一便〉黄金宮殿
(1986/05)
沢木 耕太郎

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 なぜあの本がベストセラーになったのかよくわからない。どこもおもしろくないのだ。
 この本は、沢木氏自身が、1970年代中ごろ、香港からポルトガルまで、一人旅したときの記録である。たしかに、1970年代、このような旅をする者はそう多くはなかっただろう。日本語で書かれたガイドブックのない時代。一大決心であったにちがいない。だからといって、日本人がまったくいなかたったわけではない。そのアジアのルートを旅する日本人は、欧米の書籍に出てくるぐらい、稀有な存在ではなかった。そして、その旅のルートも、過去もその当時も、多くの旅人の轍がくっきりはっきり踏み込まれた道である。書かれている内容だって、ごく普通のことだ。このルートを通った誰もが受ける普通のできごとである。いや、普通よりちょっと・・・と思える箇所さえいくらかある。そのナルシスト的文体と正反対にずいぶん消極的だなあと思えるくだりも見受けられる。そのうえ、言い訳がましかったりするのだ。普通だったら、こんなんで本になるのか?と思う旅人が多いのではないか。それぐらい平凡だ。しかも、沢木氏の場合、ある程度のお金というギャランティを持参していた。金銭的リスクを負わない無銭旅行者(バックパッカー)。また、沢木氏が意識するかどうかは別として、彼には作家(ライター)という大義名分があった。これは大きな逃げ道だ。旅行者にとって、作家というのは自分の立場を正当化させるよい職業なのだ。いつでも、作家ということで、自己保全できる。つまり、彼の軸足は人一倍、リスクのかからない場所を力強く踏みしめていた気がしてならない。
 そして、最もいけ好かないのは、その自分に酔いしれたような文体である。たいした旅ではないのに、なんでこんなにカッコつける必要があるのか!読んでいるうち、自分のカッコよさを引き立てるために、現地のエピソードが用意されているのか?と思えてくる。

 2008年に発行された『深夜特急ノート・旅する力』沢木耕太郎著では、驚くべきことに、新聞に書かれたこの本の時評を自ら掲載している。高田宏氏の書かれたその時評は、

 旅行者が多くなり、旅が日常化するとともに、旅をより深く生きる者たちが出てきている。・・・・・・・・『深夜特急』はおそらく『何でも見てやろう』以後の、この種の作品の最大のものであり、二冊の本はつねに比べられるこのになろうが、小田実の旅と沢木耕太郎の旅は、外見に似たところは多いけれども、明らかに異質のものである。
 繰り返して言えば、この四半世紀で旅が深化したのであり、また、二人の若者の生きる時代が変わってしまったのでもあり、それに加えて二人の著者の資質も別なのである。『何でも見てやろう』を優れた文明批評と読むことはできても文学作品と呼ぶことはためらわれる。『深夜特急』は、旅のなかで自分の底へ降りてゆく、これは一つの文学作品である。


小田実と沢木耕太郎に似たところなんてあるのか?
『何でも見てやろう』は、小田実しかできない旅である。彼が持っている語学力と教養があったからこそ、可能だった旅であろう。読者のほとんどはそれを理解したうえで、『何でも見てやろう』のなかの小田実の物怖じしないパワーに自己投影していったのではないだろうか。パワーさえあれば、自分にも何かが見えるのではないかと。そして、自分自身の旅ができるのではないかと。いっぽう、『深夜特急』は誰でもできる旅である。沢木氏以前にも以後にもよくあった普通の無銭旅行である。なんのパワーもメッセージ性も感じない。しいて言えば、「私」である。小田実の『何でも見てやろう』は、「私」があるようで、「私」がないのに比べて、沢木耕太郎の『深夜特急』は、「私」がないようにみえて、「私」だらけだったりする。上記時評で、「・・・旅が深化したのであり、また、二人の若者の生きる時代が変わってしまったのでもあり・・・」とあるが、沢木氏が旅したのは、70年代のまだベトナム戦争が終結する前だろう。今の時代ではない。だから、「二人の若者の生きる時代が変わった」などは関係ない。単純に信条と性格が違かったのだろう。小田実が常に隣人愛的であったのに比べ、沢木耕太郎は自己愛的だった。自己愛はコンプレックスの裏返しであることが多い。『深夜特急』と読むと、この著者は、コンプレックスのかたまりではないかと思えてならないのだ。これを文学作品などと読んだら、ホンモノの小説家は怒るのではないだろうか。沢木耕太郎なら、下川裕治や前川健一、蔵前仁一のほうがよっぽど文学者ではないか。私は、内山安雄や前川健二が好きだが!同時代的には、『深夜特急』なら、上温湯 隆 の『サハラに賭けた青春―上温湯隆の手記』や藤原新也の『全東洋街道』のほうがよっぽどバックパッカーのバイブルにふさわしい。とても素直で深いのだ。

サハラに賭けた青春―上温湯隆の手記 (1975年)サハラに賭けた青春―上温湯隆の手記 (1975年)
(1975)
上温湯 隆

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全東洋街道 上 (集英社文庫 153-A)全東洋街道 上 (集英社文庫 153-A)
(1982/01)
藤原 新也

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 このようなことを言うと、わたしのまわりにいる旅好きからかなりのパッシングを受ける。わたしのまわりにも『深夜特急』のファンは多い。わたしは、そういう人たちをみると、この人たちは沢木耕太郎と同じ周波数で旅する者たちなのだと思うようにしている。


 評論家・佐高信の『タレント文化人150人斬り』より

沢木耕太郎


『週刊文春』九五年十月二十六日号の阿川佐和子対談のゲストは沢木耕太郎で、それは沢木の次のような発言から始まる。
「この対談の中で、おそらく僕は前代未聞、そして今後も現れない貴重なゲストだと思う。その意味、分かります?」
 阿川が首をひねっていると、沢木は、「答えは簡単。僕は年に一、二回しか対談しないんです。今日が今年の二回目なんだけど、前の対談の相手が阿川弘之さんだったんですよ。一体、どういう一年なんだろうかと(笑)」
 と続ける。人間はここまで思い上がれるものなのかと、私はしばし呆然とした。独り悦に入る(勝手にひとりでおもしろがっている)というコトバがあるが、沢木はこのように、己れのマスターベーションを商品化してきた。「年に一、二回しか対談しない」というのは楽屋話であり、舞台で語るべきものではない。多くの人にとっては、それがどうしたという話でしかないからである。
 初代の中村吉右衛門は得意役の加藤清正になりきって幕があがるのを待っている時、新聞記者にサインを求められて、
「私は清正です」
 と断ったというが、沢木には常に″清正″ になっているようなところがある。いつも気取ってドーランを落とさない。だから、前記の阿川対談で、鼻持ちならないキザな発言をするのだろう。
 それは対談だけでなく、作品にもそのまま表れる。沢木の代表作は大宅賞を受けた『テロルの決算』だが、社会党の委員長だった浅沼稲次郎を刺殺した十七歳の少年、山口二矢を描いたこの作品では、山口と浅沼の生涯が交互に描かれる。そして、「両論併記」ならぬ「両人併記」で、結果的に山口が持ち上げられることとなっているのである。山口は最初、テロルの対象として、浅沼の他に当時の日教組委員長、小林武、共産党議長の野坂参三、社会党左派の松本治
一郎、自民党容共派の石橋湛山と河野一郎の六人をリストアップし、最後に浅沼に絞った。
 そして逮捕されるとすぐ自殺したこの劇的な少年の十七年を沢木は克明に迫ったのだが、その営為は、最近、オウム真理教の麻原彰晃を擁護した吉本隆明に通ずるものがある。吉本は、たとえば産経新聞のインタビューで、
「うんと極端なことを言うと、麻原さんはマスコミが否定できるほどちゃちな人ではないと思っています。これは思い過ごしかもしれませんが、僕は現存する仏教系の修行者の中で世界有数の人ではないかというくらい高く評価しています」
 と語っている。
 麻原のやったことを市民社会の論理で否定しても仕方がないというのだが、結果を無視して動機だけを重視する吉本は、劇的瞬間を撮るのに夢中で、日常生活に背を向ける沢木に多大の影響を与えているのである。沢木も早晩、吉本のようなボケたことを言うようになるだろう。



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