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独裁者は誰だろう?


  ほとんどのマスコミが、「小沢一郎は独裁者」と騒いで非難している。
 わたしは、不思議でならない。
 ほんとうの独裁者にたいして、今のマスコミが、非難するようなマネができるのだろうか?
 もう大分前から、マスコミは、正義感やジャーナリズム魂を棄てたはずではなかったのか?
 だから、ほんとうに独裁者であれば、マスコミは利益優先でその者に迎合していくはずである。
 その証拠に、小泉純一郎の時代、マスコミは太鼓持ち(幇間)や露払いのごとく、独裁者と一体化していた。
 
 マスコミが非難できるということは、まだ独裁者などではないことを指しているのではないか。
 小沢一郎が独裁者だったら、マスコミは、「小沢一郎は独裁者」などと叫べはしない!

 そこから考えると、独裁者は別にいるのではないか?
 マスコミが絶対非難できない独裁者が・・・・・
 そういう独裁者と利益を共有するマスコミが、正義感やジャーナリズム魂を大義名分に、一生懸命、世論を誘導しようとしているのではないだろうか。
 
 
 添乗中よくこういうお客がいる。
 「添乗員さん!ショッピング時間が短いと、みんなが言っているよ」
 「添乗員さん!あの男性の一人参加のかた、薄気味悪いと、みなが言ってましたよ」
 「添乗員さん!夜の食事(フリータイム)、どうしたらいいのと、みなが言ってましたよ」
 「添乗員さん!次の観光地、長く時間をとってほしいと、みなが言っているよ」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 こういうお客の話を信じると大変なことになるのだ。
 この手のお客は、必ず、「みなが・・・」という言い方で、自分の欲求を実現させようとする。
 この「みな」というのは、自己実現のための「詭弁」である。
 これにひっかかって、このお客のとおりのことをしたら、ほかのすべてのお客からクレームがくるのだ。
 そのときは、もう後の祭りである。

 マスコミもバックに大衆の意見がさもあるかのように仕向ける。
 「みなの意見です」というように仕向ける。
 石橋を叩くように、「世論調査」という絶対値で、「詭弁」に保険をかけることを忘れない。

 こういう「詭弁」にだまされないためにはどうしたらいいのか?
 添乗を例にあげれば、「みな」の一人一人に聞いて見ることだ。
 まあ、全員でなくていいが、個別に聞くことが肝心である。
 そうしないと、他の人の意見に同調することが多いのだ。
 当然、当事者がいれば、当事者のはなしを聞いて見ることだ。

 マスコミでいえば、当事者の小沢一郎のはなしを聞いてみればいい。
 マスコミの詭弁がよくわかる。
 マスコミは、「独裁者」「説明責任」という言葉を、戦前・戦中の「愛国心」「非国民」という言葉のごとく利用している。

 
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この記事に対するコメント

腐ったマスコミ

 アメリカではオバマがチェインジと謳って政権を取った、日本も鳩山政権に成って一生懸命チェンジしようとしている。 しかし走狗と成り亡者と成り果て腐ったマスコミは相も変わらず恥知らずなコメントを流し続けている。  我々日本国民は正式な選挙で民主党を選んだのに、マスコミは一人悪あがきをしているのは何故だろう。  
 
 この光景はおかしくないだろうか?  大きな潮の流れは変わったはずなのに、マスコミ(表層)の流れは相変わらず。 上と下の流れが逆に成っているのである。 
 
 自然界にはこういう事はある。 潮の干満で川の水位が上下するのがそれだ。 川は常に海へと流れて行くのだが、潮が満ちる時、塩水楔といってその下を海水が上流へと遡って行って川の水位が上昇するのだ。  しかし目に見える川の流れはやはり海へと流れている。

 人間社会においてこういう事は、自然現象ではないだろう。  そして私達はこういう事例を知っていると思っている。 例えば戦前の大本営発表。 例えばソ連崩壊前の東欧諸国とか平壌のテレビ放送とかを見て。 或いは今のイラクとかイランとかアフガニスタンとか。  

 実際にその場において暮していたらどのようなものなのだろうか?  実際のところ、私達は一度に一つの物しか見る事が出来ないのではないだろうか?  

 もしあなたがサラリーマンで毎朝満員電車に揺られ、東京駅とかで下車したとしたら、満員の電車、改札から吐き出される人混みがあなたに映る現実です。 そして会社に着いたら忙しい仕事が待ってます。

 そんな中でどんな変化を感じ取れるのでしょうか? 景気が悪く成ったとかは有るかもしれないけど、毎日見る景色に大きな変化が有るわけなど無く。  あわただしい内に日々を終えているのでは無いでしょうか?  

 情報網が発達しインターネットも現れて世界はますます狭く成ったと言われます。 が人間の生理機能が拡大されたわけではないのです。  それよりあふれかえる情報洪水や、各種最新のテクノロジーの中で我々の感性は確実に鈍く成っている事でしょう。  

 それは想像力という考える力です。  バーチャルテクノロジーという物は具現化された創造空間では有りますが、あれが想像力その物ではないはずです。
 そして想像力は共感と相互補完の関係に有ると思います。 (もちろん学術的に定義するものではありません)

 つまりこのような状況、いわゆる一般大衆のこのような状況・・・日々働き、毎日同じような日々を送る中・・で新聞・テレビ等のマスコミを通して客観的に社会を把握していると思い込んでるのが、案外実体かもしれません。  そしてそれを最大限利用しようとする者達がいるのです。

 これは本当に大きな間違いなのです。 そしてこういう物を意図的に扱うというのは、実に悪質な行為なのです。  

 昔の例など今と比べたら、無邪気なものだったのでしょう。 少なくとも愛国心が有り、自分の利益の為ではなかったでしょう。  今のマスコミは、時代を経て本当に巧妙で悪質です。 そして何より個々の人間に・・人間性の欠片も見いだせない。  
 見かけが全てで、それを維持する事が人生の全てなのでしょう。 

URL | 雷次郎 #-
2010/04/14 09:37 * edit *
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