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ジョン・ラスキンの経済と自然

 
 
  『旅に出る日』岡田喜秋著 中公文庫より
 

 旅をする気持が行動に移され、今日のように普及することを戦後しばらくの間、誰が予想しただろうか。「国破れて山河あり」の実感があったと思っているうちに十年経ち、あっという間に日本の自然美は穢され、皮をひんむかれた形になってしまった。
 今から百年ちょっと前に生きていた英国の経済学者ジョン・ラスキンの言葉をおもい出す。

john_ruskin[1]

彼は経済学者というよりも、美学者、美術評論家として後世に名を残しているが、それだけに経済社会の見方が、人間的だったと言えるのである。
 彼は経済学者としては、ヒューマニズムをその底辺においてつねに主張した。資本主義経済学、功利主義に批判的だった。しかも、彼が生きていた時代は、いわゆる英国の産業革命が起った直後である。石炭という燃料が誕生し、これを利用して蒸気機関車が発明され、英国はその先駆者として名を売った。
 当時 自分の国であるイギリスで苦労の末、発明して、走らせはじめた蒸気機関車に対してこんなことを言っている。
「イングランドには、今や機関車の火のとどろきで満たされぬ静かな渓谷など、ひとつもありません。イングランドには、石炭の灰を持ち込まぬ一片の土地もありません。
 また、外国の都市で、その美しい古い街並みやしあわせな庭園に、白癩病のように巣食いひろがる新築のホテルや香水店が出来、 皆様の伸ばした足跡が残されていないところは、ひとつもありません。(中略)皆様の母国の詩人たちが、いつも敬愛してやまなかった、あのアルプスそのものをさえ、まるで皆様は、石鹸をなすった竿のように歓喜の叫ひ声をあげて、登ったり降りたりなさっています。・・・・・」
 今日、日本で、蒸気機関車を、「消えゆく郷愁の乗物」などと言って、老世代はもちろん、若い世代まで懐しがり、SLなどと称して愛惜しているが、すでにそれが出来た当時でさえ、蒸気機関車に対して、こういう批判した人がいたことを改めて考えてみてもいいのである。
 産業革命の時が、第一次公害時代だったとすれば、原子炉時代の今日は、第二次ではなく、末期的症状かもしれない。自然美の破壊についても、ラスキンはすでに攻撃的だった。
「皆様は、自然を軽蔑してこられました。フランスの革命家たちは、フランスの大聖堂を馬小屋に変えましたが、皆様は世界中の大聖堂群を競馬場にしてしまいました。娯楽についての皆様の一致した観念は、鉄道列車に乗って、聖堂の見物をして、祭壇を眺めながら、食事をなさることなのでしょう。
 皆様は、シャフハウゼンの滝に鉄橋をかけられました。ウィリアム・テル礼拝堂のわきのルツェルンの崖にも、トンネルを掘られました、ジュネーブ湖のクラーレンス側の岸を破壊されました」
 彼は若くして、美術評論家として評価されただけあって、実景の裏付けをもって、美の破壊を指摘している。これは、ふつうの美術批評とはちがう。旅をしなければ言えない。そこにラスキンの行動力と独自性があった。彼の経済理論は、同時代のリカアドやジョン・スチェアート・ミルとはちがって、人間の「富」より「生」を高く見た。人間の「生」だけが富であり、「生とは、その中に、愛のちから、歓喜のちから、讃美のちからなどすべてがあるべきだ」と彼はあえて言った。それだけに、彼の旅路での指摘は、説得力をもつ。
「これまでわたくしが人間界で目撃した光景のなかで、もっとも悲しむべきものとして二景ほどあげるなら、その一つは、シャモニーの渓谷にやってきたイギリス人の衆愚どもが、さびた曲射砲をぶっ放してよろこんでいる光景です。もうひとつは、チューリヒのブドウ園の人々が、ブドウの収穫にキリスト教徒として、感謝をあらわすために集まるのはいいが、朝から夕方まで乗馬用のピストルをぷっ放している光景です」
 彼が日本の春のお花見の「高歌放吟」と「落花狼籍」を見たら、何と言ったであろう。彼は、人間の生んだ富よりも、富を生んだ人間のあり方について、自問自答していたのである。

岡田喜秋(おかだ・きしゅう)プロフィール 大正15年(1926)東京に生まれる。旧制度松本高校文科をへて、東北大学経済学部卒。卒業期に発表した紀行文が河上徹太郎氏らに認められて以来、風土・人物観察を取り入れた独特の紀行文作家として地歩を築いた。 この間、昭和22年(1947)、日本交通公社入社。月刊「旅」編集部に属し、同34年(1959)から46年(1971)までの12年間は編集長として戦後の'旅ブーム'に先鞭を着けた。

Rheinfall.jpg
シャフハウゼン、ラインの滝と鉄橋








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