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ロングフェローの日本

 
ロングフェロー日本滞在記―明治初年、アメリカ青年の見たニッポンロングフェロー日本滞在記―明治初年、アメリカ青年の見たニッポン
(2003/12/11)
C・ロングフェロー

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 著者ロングフェローが日本を訪問したのは、1871年(明治4年)である。父は有名な詩人であり、本人も27歳という若さながら、株の配当などでかなりの資産を持っていた。
彼は、明治維新後まもない日本を北海道から九州までくまなく見て回り気に入った街では長期にわたり生活している。
 彼のアメリカにいる父や妹との往復書簡などをもとに立教大学教授の山田久美子氏が編集した本が、『ロングフェロー日本滞在記』である。

 時代は、幕末から明治維新後である。現在の日本人にとってのその時代とは?さあ、想い描いてください!などともし言われたとしても、結局頭に想い描くのは、坂本龍馬や新撰組や西郷隆盛や戊辰戦争や白虎隊や・・・・・・。学校の日本史で習ったのもそういう英雄たちを軸にした年号の箇条書きであった。我々日本人がもっとも知っているつもりでいる歴史ははたして正しかったのか?いや、正しかったとしても、それは全体の中の一部であったものをまるでそれがすべてであるかのように認識させられてしまったのではないだろうか?
 ロングフェローは一人のアメリカ人観光客である。尊皇攘夷や開国など何も関係ない一介の観光客である。だから、当時の日本をとても素直にみつめてくれている。先進国の人間として優越的視線で日本を眺めてはいるが、日本全体を眺める視線はとても平等だ。それは、10年ほど前、アジアを訪れる日本人観光客の視点に相違ない。ロングフェローにとって、明治の元勲だろうと吉原の遊女だろうと、同じ日本人であった。実際、ロングフェローは、岩倉具視や三条実美などとも面会し、岩崎弥太郎や弟の弥之助ともよく遊んだ。また、何人かの愛妾を本当にいとしく愛していたようだ。
 この本のすごいところは、当時ではまだめずらしい写真が膨大に掲載されていることだ。また、その写真が、かなり鮮明なのだ。北海道のアイヌから長崎の丸山遊郭まで、明治維新まもない日本の普通の人々がたくさん掲載されている。その男女の表情、風景から、今と変わらない日本人の生き生きとした生命を感じることができる。そういう表情を見ていると、『生きよう』と頑張っている人間はいつの時代でも英雄に違いないと思えてくる。

*ロングフェロー・ハウスのホームページより(ロングフェローが所有していた写真)


 当時の日本は開国して間もなかった。当然、外国人慣れしてはいない。観光化もされてはいなかっただろう。そういう日本に対して、ロングフェローをはじめ、当時日本を訪れた外国人の多くは、日本の美しさ、豊かさ、人間の誠実さに、度肝を抜かした。そして絶賛した。
「世界でこんなに美しい国はあるのか」と・・・・・・
日本の普通の風景や日本人の普段の生活をみて彼等はそう思った。別に、日本人が外国人に見せようとして造った場所ではない。

 本日、ジャニーズの「嵐」が日本の観光大使(観光ナビゲーター)に選ばれたらしい。観光庁の外国人誘致作戦・「ビジットジャパン」で、ただ今、600万~800万人から年間3000万人まで外国人観光客を増やすらしい。ここ何年間、政府が音頭をとってアピールしたおかげなのか、中国が急成長したせいで自然と中国人観光客が増えたのか、定かではないが、たしかに外国人観光客は増加している。
 ただ、わたしから言わせれば、こうまでしたから、やっとここまでこれたのではないか!と思う。
こうまでしなかったら、今の人数までもいかなかった。だから、日本自身に魅力があり、外国人を引き寄せたのではないとも思える。
 これは私の偏見なのかもしれないが、この国に外国人を引き寄せるような雰囲気を持っているものがどこにあるのか?と感じる。ロングフェローが言った、「こんな美しい国は見たことない」と感じ入ったすべてが、今は存在しないのではないだろうか?どこへ、行ってしまったのか?それさえあれば、観光大使にアピールしてもらわなくても、世界中の観光客がこの国を訪れていたのではないだろうか。今更、昔の良さを取り戻すことはできないと思うが、どこかに、そのきれっぱしが落ちていないだろうか?と探すことはできるかもしれない。
 それをしないかぎり、いくら、観光大使に「嵐」を起用しても、ほんとうの意味での観光立国へは程遠い。バレーボールワールドカップと同じように、ジャニーズにテーマソングを歌わせても視聴率は取れるがバレーボール自体強くはならない。


 ロングフェローが一番気に入った街・長崎

 1872年3月15日(金)長崎にて
・・・・・・下関海峡から長崎までの沿岸も景色が素晴らしかった。巨大な垂直な岩がそびえていて、蒸気船が通過できるほどのアーチになっていた。
 僕は長崎がすっかり気に入ってしまった。こじんまりとした魅力的な町だ。木の生い茂る山に囲まれた良港で、いくらでも散歩道がある。・・・・・高慢な神戸や、ならず者の横行する横浜とは大違いだ。・・・



 ロングフェローが一番嫌いな街・神戸

 1872年2月24日(土)神戸にて
・・・・この一週間は神戸に滞在しているが、二度とこのような愚かなことはするまい。神戸から少し入った所にある滝を見物に出かけ、その後は本通りを、1,2度歩いた以外はがっかりして部屋に閉じ籠もり、もっぱら日本語の勉強をして過ごした。この惨めな土地では他にすることは何もない。それでいて神戸っ子たちは日本でこれほど良い町はないと思っている。・・・・・

 当時の神戸はすでに洋風の建物が多かった。ロングフェローは、『猿真似』といって、日本人の欧米化をバカにしていた。

 また、ロングフェローは、いくつかの景色を、自分の観たヨーロッパと対比させている。
当時の感想だけに、今と比べてみるとおもしろい。
ロングフェローに言われてみて、「そういえば・・・・」とも思うのだが・・・・そう思うと、すごい観光資源かもしれない。

*場所はどこでしょうか?
クイズ①(上が日本、下がヨーロッパ)
111.jpg

111a.jpg

クイズ②(上が日本、下がヨーロッパ)
222.jpg

222a.jpg

クイズ③(上が日本、下がヨーロッパ)
333a.jpg

333b.jpg




①函館の第一印象は、晴れた夜に入港したこともあり、湾岸の眺め全体が総じて四方を山に囲まれたジブラルタル(スペインのなかにあるイギリス領)に似ていなくもない。

Gibraltar.jpg

私のジブラルタルの印象は、「サルが観光名所となるのかなあ?」

②余市まで25マイル移動した。きれいな海岸線はソレント(イタリアのナポリの南)に向かう道にいくらか似ている。ロス(当時小樽と余市の間に本陣が置かれていた忍路=おしょろ?)で馬を取り替え、さらに4マイル進んだ余市でも、昼食の際に再び馬を取り替えた。奇妙な岩の柱が巨大な灯台のように立っているのを見かけた。日本人は「ろうそく岩」と呼んでいる。


③大阪川(安治川)の河口近くの天保山に投錨。周りの景色は非常に美しく、メッシナ海峡(イタリアとシシリーの間の海峡)近辺の南イタリアに良く似ている。

3333.jpg

今はどんなところなんでしょうか?今度行ってみたいです!




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