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こころが風景をみる

旅に出る日 (1979年) (中公文庫)

岡田喜秋著『旅に出る日』中公文庫より


 ・・・・・一昔前は、船で印度洋を横断して、はるばると欧州の地中海を目指した。

katorimaru.jpg

その間、嵐に会い、水平線しか見えない退屈な日時がつづいたにしても、船中で欧州のコトバにも別れ、着く頃には、社交力もやしなわれ、自然なムードづくりができた状態でマルセイユあたりに上陸したものである。
それが、戦後は、どうだ。あっという間に、パリに着く。ロンドンヘ着く。
 人々は疲れているだけでなく、旅というものへの導入部を持つことがない。この導入部が、実は旅だったのだが、今や目的地へ着くことだけが旅のように思われてしまった。
 そして、それが旅だと思いこんでしまう現代人は、気の毒だ。ある人は、中世の頃が、人間にとって、もっとも魅力のある旅ができたのではないか、とさえいった。
それは、乗物を極端に早くさせることだけで、旅情がそれに比例するとはいえないからだ。乗物だけではない。人は、あまりにも未知のものを持たなくなってしまった。
がわかっているように錯覚してしまった。
行く前から、すべてがわかっているように錯覚してしまった。
 そのうち、人々は、もうわかってしまっているから、旅などに出る必要はない、といいかねない。
旅とは未知のものを知るだけの行為ではないのである。旅をして、「絵はがきそっくり風景」という感想を口にするような人にとっては、旅はしない方がいい。
 旅は心の中でもできる。病床に臥している人の方が、現実にそこを旅している人よりも旅情を味わっていると指摘した。それはイマジネーションがゆたかだからだ。その証拠に、小銃の中に描かれた風景や土地をあこがれて、そこへ行き、現実は失望したといって帰ってくる人がいる。
小説家が嘘をついたのではない。現実が先行して実景を変えたのでもない。
 旅情というものは、意外に、その人の心の中にあるものだということである。ある土地へ旅して、何が心に残ったか、それを胸に手をあてて思い返してみるとわかる。
テレビをみているのでは経験できなかった未知の人との出会いや、その人が喋った独得のアクセント、その人と別れたときの後姿、そしてその時自分が味わった何ともいえない感情、そうしたものが、旅の忘れ得ぬ一こまではなかったか。そういうイメージは、つねに自分の心の側にある。
 こころが風景をみるのである。




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