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カンボジアのツアー(アンコールワットとツールスレン)

ジャカランダの並木が道に影をつける。
バスの窓ごしに見上げると紫のジャカランダの花が、南国の太陽を遮ってくれている。
ブーゲンビリアやハイビスカスの赤や白ではなく、紫という花の色に一瞬ドキッとさせられ、いつの間にか、道行く紫を探し求めていたりする。

ここは、カンボジアの首都プノンペンである。
3月のプノンペンは暑く埃っぽい。
乾季の末期であり、雨季に入る直前の季節なのだ。
旅行のほうも末期に近づいており、お客様もだいぶ無口で怒りっぽくなってきた。
メインの観光地の観光はすでに終わっている。
あとは、この首都プノンペンを残すだけである。


カンボジアを訪れる全ての観光客の目的は、アンコールワットだ。
それほど、アンコールワットという名前は偉大である。
アジアを代表する世界遺産であり、その威風がすべての人を虜にするようだ。

5[1]

だから、首都であるプノンペンは、観光客にとって、ただの通過点であることが多い。
最近では、アンコールワットのある町シェムリアップまでアジア各地からの直行便が運行しており、首都であるプノンペンをスルーしてしまうツアーも多い。
確かに、プノンペンにアンコールワットに匹敵する遺跡はない。
王宮や国立博物館やウナロム・パゴタなどあるが、アンコールワットの名声に比べたら天と地ほど違う。皆、アンコールワットを見れば、その他の観光地は記憶から消えてしまう。
・・・ワットも・・・パゴタも寺院であり仏塔であり、すべては同類のシンボルであるアンコールワットに集約され、あとはどうでもいいようだ。

こんな首都プノンペンではあるが、アンコールワットに負けない遺産が、実は、ある。
アンコールワットは、歴史の史実から風化していったものを今から約150年前、フランス人博物学者アンリ・ムーオが密林の中で再発見し、再び表舞台に紹介し、現在に至っている。
こちらプノンペンの遺跡は、今から約30年前の歴史的事実を風化は許さないというカンボジア民衆の強い意志のもとで、今日まで残したものである。

ツールスレン博物館は、もとはリセ(フランス語で高校の意味)だった。それを1975年、クメールルージュが刑務所として改造し、1979年の首都放棄まで、膨大な数の収容者がここで拷問され、死んでいった。ベトナム軍に支援されたヘンサムリンがプノンペンに入場した際、急いで退却するポルポトは、すべての収容者を処刑し、死体を放棄していったという。
そして、今、その現状をツールスレン博物館として保存し、一般に公開してくれている。
血のりのついた拷問室、拷問の道具、狭く陰湿な独房、延々と続く死者の白黒写真や遺体の写真、頭蓋骨でつくったカンボジアの地図、・・・・・・・・・・
恐ろしい沈黙とともにそれらの現実を見学しなければならない。
自国民が自国民を拷問し殺した歴史!その数は、200万とも300万人とも言われている。当時900万の人口のおよそ3分の1が殺されたことになる。
ため息とともに靴音がこだまする。
暗い独房を覗き、芝生の植わった中庭に目を移す。
30年前のそのときに思いを馳せる・・・・
収容者と看守がいないだけで、ここにあるすべては当時のままだ!
太陽の強さ、明るさ、空気の湿り具合、やしの木が作るほのかな日陰まで、当時のままだ!
このノンビリとした空間の中で、歴史上稀にみる殺戮がいとも簡単に行われていた・・・・
アンコールワットの800年前の世界はなかなか想像しにくいが、このツールスレンは、すく身近な現実に感じる。

ツールスレン1

ツールスレン2

添乗員である私は、このツールスレン博物館を4人のお客様と回っている。
表通りに駐車しているバスの中には、14人のお客様が私たちの帰りを待っている。
私たちのグループは、私も入れて合計19名である。
ここに到着前、バスの中で、ガイドが簡単なツールスレン博物館の概要を話した。
「さあ、到着しました。バスから降りてくださーい」
ガイドがそう言って、バスから先に降りると、私の背後から声がした。
「添乗員さん!私たち、悪いけど、バスで待っているわ」
60歳代の婦人である。
そして、
「私も・・・」
「私たちも・・・・」
と、バスから降りないお客が8名もいた。

「皆さん、どうしましたか?」
ガイドが少し怪訝そうに聞いた。
「悪いけど、行きたくないらしいよ」
「そうですか」
ガイドが少しガッカリしたように答えた。

残りの10名を連れて、建物内に入り、拷問室などの説明が始まると
「悪いけど、バスに戻っていいですか・・」と6名のお客様が帰ってしまった。
その際、一人の夫人が、
「せっかくの楽しい旅が台無しだわ!」と私に言っていった。
仕方なしに、4名のお客様とともにノンビリとツールスレン博物館を見学することになってしまった。

見学が終わってバスに戻ると、退屈そうにバスの前で煙草を吸っていた紳士が、
「私たちは、世界遺産を見に来たんだ!こんなところに連れてくるな!」
と私に向かって叫んだ。
「しかし、こちらは日程表に組み込まれているんですが・・・・これからはよく確認してお申込みください」と言い返したが、何かむなしくなってきた。

ガイドが言った。
「アメリカ人やヨーロッパ人なんかは、皆、真剣に見ます。キリング・フィールド(殺戮現場跡でここで発掘された数千という頭蓋骨が展示してある)にも是非行きたいと言います。なぜ、日本人は見たくないのでしょう?」
「・・・・・・」
私は、答えなかった。否、答えられなかった。

私は、ふと、ある記憶を思い出した。
それは、昔、沖縄本島の添乗をしたときに、私がよくお客様に言われたことである。
「バスガイドに米軍基地の話や戦争の話は、やめさせろ!」
またはこうも言われた。
「青い海を見に来たんだから、暗くなる話はしないでほしい!」
沖縄から、米軍基地と戦争の話をとったら、話すことがなくなってしまうと私は答えていたが、沖縄を旅していて、沖縄の現実を避けて通ろうとするこれらのお客を当時私は信じられなかった。

なぜ、旅行が楽しくなければいけないのか?
なぜ、旅行中、暗い歴史に目を背けなければならないのか?

 私はバスガイドに何もいわなかった。もちろん、バスガイドは沖縄の女性たちであった。家族の誰かが必ずあの戦争にまき込まれた沖縄の人たちである。 


カンボジア最後の夕食をホテルのレストランで食べた。
たまたま私が座ったテーブルに、今日、ツールスレンを一緒に見学した4人のうちの一人、74歳の老紳士がいた。物静かで優しい表情のこの老紳士は、少しビールがまわってくると、私に向かってこのように言った。
「添乗員さん!アンコールワットもいいけど、今日見た刑務所も本当に良かった。自分の国の暗い歴史に向き合うのは、勇気がいることだよ。だから、私も真剣にみないと失礼になると思ってね」

旅行は、マスターベーションではいけないと思う。
思いやりとスキンシップと愛情を持って、旅と会話することが大切だ。
悩み考えた記憶は、常に前向きに成長する。

以前、ビルマ(現ミャンマー)のシャン州へ日本の戦友会を連れていったことがあった。
戦友会の言われるままに高原の一角にバスを停めると、
「ああ、なつかしいなあ・・・・
この木は昔からあった・・・・・
この花の色は、昔のままだ・・・」
と元兵士たちは、バスから出て、少年のような表情になった。
彼らの笑顔の上には、ジャカランダの紫の花が咲いていた。
ビルマ戦線の過酷な思い出が、このジャカランダの花の中に織り成されていることをその表情からはっきりと読み取れた。
4[1]


今回、プノンペンのジャカランダの紫に、皆、どのような思い出を刻み込んだのだろうか?
そして、私もどんな思い出を刻み込むことができたのか?
何年後か、何十年後か、再びカンボジアを訪れ確認してみたい。

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この記事に対するコメント

Re: タイトルなし

ciccia様コメントありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
管理人より

URL | InTouch #-
2010/06/18 13:40 * edit *

初めまして。海外添乗を6年、辞めて約9年になる者です。
以前勤めていた某旅行会社をネット検索していてこちらのHPにたどり着きました。
添乗員という仕事を始め旅行業界の問題点などを興味深く拝見させていただいております。
(文章がとても簡潔明瞭、かつとても心に響きます。)
カンボジアには一度だけ、21世紀の初日の出を見るツアーで添乗しました。不勉強ながらツールスレン博物館の事は知りませんでした。
拷問室、残る血の跡。確かに気持ちの良いものではないですが、それは歴史的事実。
お客様が旅行にいらっしゃる理由は様々ですが、せっかく日本と異なる歴史(それが悲しく悲惨な歴史であったとしても。)を物語る場所に行き、それを実際に感じる(見る・触る・嗅ぐ・聞く・味わう)事無くその土地を後にする...私個人的には「もったいない」との思いが先に立ってしまいます。
情報の氾濫する現代では「見たくない・聞きたくない」非の情報は情報量の多さからスルーしてしまう事も可能ですが、それで本当に「旅」をした事にはなるのでしょうか。
ガイドブックに載っている観光ポイントを「感じる」のではなく「確認」するのが「旅」なのでしょうか。
もちろんそれでお客様が満足されればそれはそれで一つの「旅」の形だとは思うのですが、私にはどうしてもそれが「旅」だとは思えませんでした。
これは私が添乗を辞めようと思った理由の一つでもあります。
旅行会社とすればツアーが売れれば良いだけであって、私の様な考えは甘いのかもしれませんね。

>旅と会話

その通りだと思います。
会話は一方通行では成り立ちませんよね。

InTouch様のこれからのますますのご活躍をお祈りするとともに、ブログの更新を楽しみにしております。

URL | ciccia #-
2010/06/16 01:11 * edit *
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