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マジックバス 4

マジックバス 1
マジックバス 2
マジックバス 3
『スパニッシュ・キャラバンを捜して』中上健次(新潮社)1986より

 インドから出発したマジックバスは、かつてはパキスタンのベシャワールからカイバル峠を扱けてアフガニスタンに入ったらしい。ところが、アフガニスタンにソヴィエト軍が介入して以降、これに抗するゲリラとソヴィエト軍に支壊された政府側との恒常的な戦争が続いているので、ルートは大きく変った。その時は、アフガニスタンに入らずに、イランに抜ける事になった。そのイランが、マジックパスに同乗したイギリス人やドイツ人の間では問題だった。
 御存知ない方が多いと思うので記すと、イランに入国するのに、日本人はヴィザが必要でない。イギリスやドイツ、オーストラリアの同乗客はヴィザが必要だ。それで、出発地のインドで旅行者施設に泊まりヴィザの発給を延々と待っていた。
「どうして日本人だけヴィザが要らないのだろう」
 たまたまテレビ局のヤラセで、インドからロンドンまでの長旅の客となった、おそろしくおしゃべりのロシア系イギリス人の老女ジーナに訊くと、ちょっとやそっとで耳馴れそうにない凄い訛の英語で、「日本が遠いからじゃないの」
 と言う。 
「三井とか三菱とか、日本の企業が進出しているからだな」
 私が言うと、何が気に障ったのか、ひとくさり、回教の悪口を言い、
「そのうち、日本も、追い出される。出て行けと言って」
と手を振る。クエッタを抜けたバスは、途中一カ所、砂漠の中にぽっかり浮いたような町に寄って茶を飲んだ後、パキスタンの国境の町に直行した。町に着くと、乗客らは、取りあえず何はともあれ手元に残っていたパキスタン通貨とイラン通貨との交換、イラン通貨とドルとの交換に行かなくてはならない。
 もちろん、闇である。国境の町はよくしたもので、雑多な民族の寄せ集めの乗客がバスから降りた途端、闇のドル買いの男らは寄って来る。しかし乗客らは笑みを満面に浮かべてやって来る闇のドル買いが、がいして質がよくないのを知っている。
一人が交渉するのをそれとなしに聞き、そのうち、他でドル買いから交換率を聴き出した者が、「あっちの方がいいよ」と言い出すと、愛想笑いをしていたドル買いを見棄てて群をなして歩いて行く。オーストラリアから来たユダヤ人のような男が、一人残り、「むこうではもっと良いぞ」と皆の後を従いていく構えをみせながら、粘り強く交渉している。私は交渉が進むに従ってドル買い男の顔から笑みが消えていくのを、面白くてたまらず見ていた。男の顔には、客を逃がしたくないし、それでは率が高すぎるという困惑の色がありありと浮かぶ。ユダヤ人のような乗客に押し切られると、ドル買いの男は、泣き出しそうな顔で、
「あんたら二人だけだからな」
 と言う。
「決ってるじゃないか」
 私が便乗して言い、その乗客の次に、十ドル分、換えにかかると、丁度、一人で果物を調達に行っていたジーナが早足で、物を言いたげに口を突き出して、
「シャーの肖像のある金、混ざっているから気をつけて」
 と言う。あわててユダヤ人のような男も私も手渡された紙幣を見る。私の方は三枚、その乗客の方はほとんど全部、シャーつまり前のイランの国王バーレビの肖像の紙幣だった。
 いままで損な商売で困惑しきっていたはずの闇のドル買いの顔に笑みが戻り、
「オッケイ、オッケイ、心配要らない」
 と言う。
「シャーの金、使えないのか」
 私が言うと、ジーナが、
「ホメイニの国だから」 
 と、だまされる寸前を救ってやったと言うように得意げにつぶやく。
「ホメイニ」
ユダヤ人のような男が、拳を空に突き出す。世界に流されたアメリカ大使館での人質占拠のニュースを見て覚えていて、ウサ晴らしなのは明白だった。
 渋々、紙幣を取り扱える闇のドル買いに訊くように、
「ホメイニが癌だって知ってる?」
 ジーナが言った。
「また、言う。ゴシップじゃないか」 
私が笑うと、ペシャワールで読んだパキスタンの英字新聞に出ていたと言い、ジーナは、
「癌なのか、どうなのか、知りたいのよ」
 と闇のドル買いに迫る。
「どうしてかと言うと、私はロシアのスパイだから」
ジーナは独りで言い、独りで笑う。
そのジーナに忠告されて、私はパキスタンの国境で、カイバル峠の小さな市場で買った蚊取り線香型のハシシのかたまりを棄てた。買ったことを忘れていて、パスの中でも、泊ったホテルでも吸いもしなかった手つかずのやつで、バッグの万年筆やらボールペンやら入っている小物入れの中に納い込んでいたのを、イスラム革命以降のイランの入国検査の厳しさを耳にした時に思い出し、
「ハシシ持ってる」とジーナに言ったのだった。
 バスの乗客の一人が、小便をする為に、いぎ出国の手続きに出発しようとするバスを停めたので、従いて降りて行って、国境の境の有刺鉄線のところに、棄てた。犬が自分の匂いをしるすようにそれに小便をかけた。ザマァミロ。
 そのまま思い出しもせず、成田に着々税関に調べられ、
「あっ、これは蚊取り線香みたいですが、ハシシですねェ」と、セブンイレプンのCFのオネエさんみたいな口調で見とがめられ、マリファナ歌手の仲間入りをするか(というのは、私は武満徹氏にホめられるはど歌がうまい)、それとも、随分後になってから気づいて、取り出して机の上にでも置いておき、うっかり者極まる女房が、蚊取り線香にしてたき、一家親子五人、これも気づかずにトンでいるか。
パキスタンの出国は難なく出来たが、予感どおり、イラン入国は難儀極まりない状態になった。入国手続きも、ベルトコンペア式にスタンプを押してハイ、終り、という他の国とは違って、建物の中に一同集められてパスポートを持って一室に入り、係官と一対一の面談になる。
パスポートと本人を照合するだけだが、何しろ、手間暇かける。最後に、雑誌を二冊、これを読めとくれる。「革命イランとイスラムの女性」。ジーナはその二冊の雑誌を持ち、部屋から頭にハンカチを被って出て来る。
「何だ」  
 と私がつぶやくと、隣にいたイギリス人の若者が、
「髪を見せたらいけないと言う」 
 と説明する。
 一旦バスに戻り、入国検査所まで動き、まるで乗客らは戦場に紛れ込んだように、短かい折りたたみのコウモリ傘ほどの銃を持った若者二人に、バスの中の自分の手荷物を持って外に出、バスの腹に積んだ荷物を出して待て、と命じられる。バスの乗客、誰も法を犯している者はいないが、いよいよ緊張の場所に来たと黙り込み、文句も言わず、私語する者もおらず、ただ黙って従う。          
手荷物、と言っても、何もない。ノートやウサ晴らしの時に読む本、書きかけの小説のメモを詰め込んだ小さなバッグをひとつ持ち、後はインドで買った寒さしのぎの毛布、酒を廻し飲みする際のコップ、健康の為に大量購入したオレンジの類であるから、そのままにして、バスの外に出、バスの車体の腹からリュックを出してひとまとめにする。
 乗客が荷物を引き出し終え、銃を持った若者に免じられてバスの運転手らが入れ込んだ荷物を引き出している頃、まっ赤な夕陽が遠くまで遮る物のない風景の中にかかっている。その夕陽に見とれ、しばらくして、例のOさんが私の方に来て、
「ちょっと非道いよ、かわいそうだよ」
 と言う。何? と訊くと、ロシア系イギリス人のジーナが、訛っている上におしゃべりが災いして、係官に目をつけられたのか、バッグの中の長旅で買い込んだ小物類を、全部、外に引き出され、一つ一つ、紙をめくられ中味を調べられている、と言う。
Oさんに「夕陽」と指さすと、
 「あっちがテヘランの方?」
 と訊く。分からない。さあ、と首を傾げると、
 「ちょっと行ってやろうよ」と言う。
 係官がせっせと包みをひろげるのを立って見ているジーナのそばに行くと、夕陽が急に輝きが失せたようにあたりが暗くなる。ジーナは係官が新聞紙や粗悪な紙袋に入った物を手に取る度に、プレゼントするつもりでネパールで買った」とか、「それは自分で使うつもりで買った」息子は私が煙草を吸い続けるものだから、そう、チェーン・スモーカーと言うのね、お母さん、灰皿、あらゆるところに置いとかなくてはいけない、と言うのよ」と一人でしゃべり、まるでイランの係官の意地とどちらが勝つか張り合うようだった。
 三十分もそうしていただろうか、ライフルを持った若者らが、トルコ人の運ちゃんらに、暗くなって物が見え難くなったから、ジーナが検査されている蛍光灯の下に荷物を運べと命じる。
トルコ人の運ちゃんら、ぶんむくれになっているのが分かった。インドでもパキスタンでも、運ちゃんら、どけ、どけ」トルコ様が通るとクラクションを鳴らし声を荒らげて走ってきたのだった。
 隣国のイランにどんな感情を持っているのか、日本人の私には理解出来ないが、トルコ人の運ちゃんらを乗客ら総員はチョロイ密輸屋でもあると見ている。マジックバスの腹の荷物入れの中に、インドで仕入れた、結構、手の込んだ家具を詰め込んでいるし、さらに、インド、パキスタンという、現在のシルクロードならぬ麻薬のルートを通っても来る事から、家具の中に何かが隠されている。もちろん、そうではないかもしれないが。
イランの若者二人は銃を持って、ぶんむくれなど一向に気にしないと言うように、重い荷物を運ばしている。二人がかりで明りのそばに荷物を運び、その時、ジーナの荷物を調べていた係官が、気が済んだというように立ちあがった。ジーナに荷物を納って、トルコ人らに明るい蛍光灯の下を明け渡せ、と言う。
 ジーナはやっと解放されたと、いずれも現地で買ったという点をのぞけばガラクタの類の小物ばかりの土産物を納いかかると、ぶんむくれのトルコ人の運ちゃんの一人が、英語を一言も分からないのに気配で察したのか、ジーナの土産物を足で払い、その空いた場所に荷物をドサリと置く。
 今鹿はジーナがぶんむくれた。文句を言おうとして、トルコ人の運ちゃんの顔を見た。トルコ人の運ちゃんらがやり場のない怒りの浮き出た顔で、そのジーナを見返すのをみて、ジーナは頬を引きつらせたまま黙り、しゃがんで小物をバッグに納い出した。
「ジーナ、手伝おうか」                         
私らが口々に言っても、うつむいてむき出しの小物をそのまま納うだけだった。二人しゃがんで手伝い、納い終えてからジーナは顔をむけ、
「ありがと」   
 と言う。涙が眼ににじんでいた。ジーナは重い荷物を引きずって、一人、証明のやっと届く建物の隅に行き、私が気にして、慰めようと傍らに行くと、やっと憤懣のはけ口を見つけたように、
 「ユナイテッド・キングダムのパスポート持っているし、現金で二百ポンド、それに銀行のカ-ド持っている」
 と言い、パスポートと銀行のカードを見せる。
「私の夫は銀行家だったから、カードでどこめ首都でも引き出せる。帰ろうと思うなら、いつでも国が来てくれる。パスポート持ってる」
 老女の特徴なのか、バスの中でジーナは繰り返し、革命を嫌ってロシアからドイツヘ逃げ、ついに自分一人だけ、十歳に満たぬ頃からイギリスで亡命生活をおくり、夫と知りあい結婚し、夫に先立たれて旅に出たいきさつを語ったのだった。
「大丈夫だよ。ちょっと皆なイライラしてるだけさ」
 しかし非道いわ、とジーナは言い続ける。英語はこういう時、便利なものである。ハンフリー・ボガートのようなキザな言葉をしゃべれる。
I will teach one word for you.It's a magical word.
 何? とおしゃべりジーナは訊いた。
 Khomeini!
一人の検束者も出さず、無事、イランに入り、テヘランに向けてバスが走りはじめて、すぐ、バスは停められ、革命委員会のメンバーが臨検に入って来た。ジーナが私の耳に、
 「ホメイニ」
 と魔術の言葉をささやいた。
 「ホメイニ」
 とすぐ拳をつき出して私が唱和したのは言うまでもない。



中上健次氏のマジックバスはここまでで終わりである。
実際はこのあともっと先まで行ったはずなのに、ここで終わりである。
本人は文中で、あとはテレビの番組を見てくれと言っている。
この旅はテレビのクルーが同行し、それを放映したらしい。
そのせいなのか、中上氏のこの紀行はイマイチ中上氏らしい文調は見られない。
仕方なく書いているようにも受取れる。

私の勝手な推測だが、この旅は、中上氏にとって、テレビ番組が企画したお仕着せの旅だったのではないだろうか。
あご足付きの旅である。最初から視聴者の姿が見え隠れしている旅である。視聴率を取らなければならない旅である。ウケなくてはいけない旅である。

しかも、その旅について書きたくてかいたのではない。自分で時間をかけて熟成して書いたのではない。
締め切りが近づいてこのことについて、無理やり面白そうなエピソードを探して書いた風である。



 文中に書いてあるとおり、日本人だけ欧米人とはちがって、ビザも免除、強制両替もなかった。
ほとんどの欧米人がイランへ入国するためには、高額な強制両替と入国ビザが必要であった。とくに、強制両替はイラン銀行の公式レートだから、その損失感は甚大であった!(イラン通貨は、イラン内外のブラックマーケットで当時、10倍以上をつけていたと思う)
 なぜ、日本人だけこんなに優遇されていたのかというと、イランと共同で原油を掘っていたからである。
イラン南部のバンダルホメイニで、三井物産が革命前から巨額な資本を投資して石油を採掘していた。あまりに莫大すぎてイラン革命が起きたからといって、退散するわけにいかなくなったのである。アメリカの意向に逆らった唯一のできごと!だったのではないか!!
ただ、最終的に、この共同事業は立ち行かなくなり、三井物産はこのプロジェクトを国家事業へ責任転嫁し、バンダルホメイニから撤退した。加算された莫大な損失は、国家事業ということで、国民の税金である程度補填されたはずである。
 この時期のビザ免除は、相互免除であるから、欧米先進国を敵に回したイラン人にとって、唯一ビザなしで入国できる先進国は日本だけということになった。
 この時期、東京の代々木公園に日曜ともなれば多くのイラン人が情報交換のために集まってきてたことを記憶している方もいるだろう。日本で働き、イランの家族のもとへ送金する。もちろん、ビザ相互免除といっても、免除になるのは普通の観光ビザであって労働は不可である。だから、代々木公園へ集まっているイラン人労働者のほとんどは違法滞在である。その延長線上で、イラン人いえば、偽造テレカの売人であり、違法ドラックの売人というレッテルが張られてしまった。
 日本以外の先進国へ行けないイラン人にとって、日本へ来ることは蜘蛛の糸につかまる気分であったかもしれない。
日本であまりに目立ちすぎたイラン人の横行に、ついに日本は、ビザ相互免除を止めてしまった。

 しかし、イラン人が日本へ大量に来たことは悪いことばかりではなかった。
けっこうなイラン人が、日本を気にいってくれた。
そして、イラン人の中には、日本人の奥さんをもらって、祖国へ連れてかえったような者も多いのだ。
その日本人妻たちが、現在、イランで日本人ガイドとして、活躍してくれている。
イラン人の中にも、日本語をかなりしゃべれるようになって帰国した者がガイドをしているケースもある。

そういう日本帰還組の話しは、現地の新聞などでもよく好意的に取り上げられていたらしい。

今のイラン!ほんとうにいい国だろう!
イランほど、いく前と行った後とで、印象の違う国はないだろう!
もちろん、行った後、イランの美しさ、イラン人の優しさを深く自分だけの印画紙に焼き付けることになるのである。
 

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