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『インパラの朝』中村安希著

昨日発売の日刊ゲンダイ(12月3日号)の『著者インタビュー』に第7回開高健ノンフィクション賞を受賞した中村安希(なかむら・あき)氏の記事が載っていた。今30歳の中村氏は26歳のときから684日をかけて世界を単身巡った記録を『インパラの朝』という本にまとめた。その記事のなかで中村氏は旅する体験を次のように説明している。

nakamuraaki.jpg

「意識して、ありのままの出来事を冷静に描くよう心がけました。旅をすることは刺激的なことで、一種“ハイ”な状態になるため、良い出来事はことさら感動的に、悪い出来事はひたすら嫌悪感を持って伝えたくなります。けれど、自分の熱い気持ちを押しつける表現は、読み手を無視することで、考えるすきを与えないのではないかと思いました。これは旅の初めから考えていたことではなく、旅を通じて起こった意識改革の表れ。この旅は、私自身の“思い込み”を崩してくれた体験でもありました」

インパラの朝 ユーラシア・アフリカ大陸684日インパラの朝 ユーラシア・アフリカ大陸684日
(2009/11/13)
中村 安希

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・・・・・これを読んであることが頭に浮かんだ。
よく添乗員の一番苦手なお客様は?というような問いが、雑誌やテレビなどで紹介されることがある。そういう問いに必ずといっていいぐらい添乗員たちは「学校の先生」と答えていた。これは、学校の先生という職業が相対的に人数も多いしパックツアーに参加してくる数も多いので、そのような添乗員の答えにつながってくるのだと思う。だが、もう一つ、この「学校の先生」の特徴は、つねに評価(審査)する意識を根に持っていることである。立場上、生徒を教育する信念と同時に最終的に生徒を査定しなければならない。そのためにいい先生ほど一種“ハイ”にならず、冷静に第三者的に生徒を評価しようとするはずだ。感情に揺り動かされることなく生徒との距離感を一定に保とうとするだろう。この冷静性が身に沁みこんでしまっている。その冷静性が、添乗員には重荷に感じるのだ。つねに、観察されているようで、ツアーや自分(添乗員)が評価されているように感じる。実際、そのような厳しい指摘、権威的なものいい、アンケートでの細かな点数付け、などまでしてくる先生方は多い。ただ、これは似たような仕事の者全般にいえることなのだが・・・・弁護士、医者、公認会計士、税理士、警察官、・・・・・

私はこの人たちをみてよくこのように思う。
「ほんとに楽しいのだろうか?」
この人たちはそう質問されたら、間違いなく「ええ、楽しいから参加するんです」と答えるはずだ。
「ふう~ん?」と思うが、彼らの本心なんだろう。
彼等は「楽しみ」を1ミリ単位の定規で測れるものだと思っているのだから。

本来、旅行は刺激を受けるから楽しく感じるのである。
一種“ハイ”な状態になるから、すばらしいのである。そうならなかったら、旅に出た意味がないともいえるのだ。
その状態になるには、ハプニング(予期しないこと)があることが一番である。
当然、行き当たりばったりの個人旅行のほうが、旅行会社のパックツアーよりその確率は高くなる。
パックツアーでも、好奇心とスキンシップを持って旅を楽しもう!と思っていたら、必ず、大きな刺激となるはずだ。
旅という時空のなかへ飛び込む勇気はなく自分をその外側の第三者としてかまえながら、添乗員や他の参加者や観光名所や現地人をただ評価しているだけではなんの刺激も変化も生じ得ない。
「先生」など権限的職業者は、仕事がらとても堅い殻のなかに入ってしまっているようでかわいそうに見えるときさえある。
(もしよろしければ、スッパダカにして、ギリシアのホモビーチに転がしてあげたい!きっと人生観が変わるはずだ)


著名な旅行作家でもある元『旅』編集長の岡田喜秋氏は、自分の著作のなかで、パックツアーの参加者が書いた旅行記はどれもおもしろくないと記されていた。編集長として売り物にならない。
その理由は想像できるだろう。
お仕着せの旅行では、感動が想定内なのだ。旅行を提供する側によって、つねに感動も与えられている。
言い方は悪いが、旅行記として低次元ということになる。


文豪・島崎藤村が自分の旅の記録を発表するのは、旅から何年も後である。
その序文には、旅は何年か後にその意味がわかる、というような文言がある。多くの作家が旅から帰ってすぐに、旅行記を発表しなかった。逆に帰国後、旅行記をすぐ書くことができる作家は本当の作家にはなれないのではないかと思うぐらいである。何年後か、その記憶が寝静まるのを待って、名文が生まれてくる。
こんな高速の時代に何を呑気なことを言っているんだ!と思うかもしれないが、こういう作家の旅日記は、情報を競う本ではないのだ。だから、旅から10年後でも50年後でも、100年後でも意味があるんじゃないだろうか。
旅行後すぐ発表される(できる)旅行記は、文学というより、ルポルタージュと呼ぶべきものかもしれない。
そういう意味では、最高のルポルタージュは、「地球の歩き方」なのかもしれない。

さて、中村安希氏は、約2年間、ひとりで旅してまわった。
喜怒哀楽のうずまくすばらしく刺激的な旅だったにちがいない。
だから、ちょっとだけ、引っかかるのだ。
それならば、やはり、この体験を何年か寝かさないと、いい文学にはならないのではないかと。
それとも、ある程度の距離感を保ち冷静に現地の対象物に接してきたから、ルポルタージュのように書き上げられているのだろうか。ただそれならば、添乗員が最も苦手とする『先生』と同じぐらいの「ハイ?気分」しか味わえなかったことになる。
私は、旬な旅行記は〈自分の熱い気持ちを押しつけて!〉かまわないんじゃないかと思うのだが・・・・

さあ、今日、本屋へ行って中村希氏の『インパラの朝』を購入して確かめてみようと思う。


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漫遊の比較

昭和55年今から50年前になります、歌手庄野真代さんが、だいたい同様コースをまったくの歩きにて漫遊しています記録が、「The世界漫遊記」サンケイ出版から。始めに「何かあるき」でなく肩肘をはらず、おのれの人生の糧にしていただきたかった。

URL | いのうえ えいし #-
2010/07/16 19:15 * edit *
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