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日本人の英語

 今月出版された『ぼくらの頭脳の鍛え方』立花隆、佐藤優著(文春新書)のなかで、佐藤優氏が、今の学校の英語教育について話していた。
 
ぼくらの頭脳の鍛え方 (文春新書)ぼくらの頭脳の鍛え方 (文春新書)
(2009/10/17)
立花 隆・佐藤 優

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 仕事などで英語(外国語)を使う人意外、そう英語(外国語)を勉強する必要はないのではないか。
言葉を覚えるということは相当なエネルギーを要するので、学生時代にそのエネルギーをもっと他の分野に振る向けることのほうがいいのではないのか。小学校から英語を教育するなんて間違いもいいところだ・・・・・・・・・
 
 だいたいこのような趣旨のことを話していた。

 確かに、英語を勉強した有用性など、その後の人生にほとんど関係ないような気がする。やはり、仕事で使うとか、留学したいとか、そういう目的があってから、猛烈に勉強してもいいのではないかと思う。中学、高校とあれだけ勉強しても、そう身につくものではない。ほとんど、目的も解らず勉強して、多くの者は、逆に語学嫌いになってしまう。それならば、佐藤優氏がいうように、英語の時間を、別な科目、たとえば、哲学などに振り向けたほうがよっぽど将来役に立つのではないか。
 そんな英語なのに、高校受験でも、大学受験(文系、理系)でも、他の科目より大きなウエイトとしめていたりする。英語が得意なことと頭がいいこととはまったく違う話である。今日の英語のテストは、思考して答えを見つけ出す問題ではなく、英語を知っているかどうかの問題である。


英語達人列伝―あっぱれ、日本人の英語 (中公新書)英語達人列伝―あっぱれ、日本人の英語 (中公新書)
(2000/05)
斎藤 兆史

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 自らも英語の達人である斎藤兆史氏が書いた『英語達人列伝』(中公新書)のなかで、斎藤氏は、次のように、英語教育の意義を問うている。

 日本を文化大国とするために、英語が重要な役割を果たすことは間違いない。当然、質の高い英語教育が必要になるだろう。だが、それはけっして日本独自の言語文化を犠牲にするものであってはならない。最近、英語という言語の成り立ち、その多様性、あるいは英米の言語政策(さらに戦略)などをまったく視野に収めぬ浅薄な英語教育推進論が横行していることを、僕は何よりも憂慮している。
 有益な技術である以上、英語はできるに越したことはない。だが、生まれたときから英語圏で生活して、英語の母語話者になればいいというものでもない。日本人として英語を使うことの意味を、われわれはもう一度本気で考えてみるべきではないか・・・・・・・



 
 斎藤兆史氏は、この本のなかで、明治以降の英語の達人を10人紹介している。

新渡戸稲造
岡倉天心
斎藤秀三郎
鈴木大拙
幣原喜重郎
野口英世
斎藤博
岩崎民平
西脇順三郎
白洲次郎

その中でも一番の英語の使い手であった斎藤博氏
(1886年12月24日 - 1939年2月26日 駐米大使)

saitou_1[1]


 斎藤が米国でおこなった「日本と世界平和」と題する1934年2月18日のラジオ演説の一部である。

What we are now trying to give to the Far East is the one thing it most sorely needs:peace. If anyone thinks otherwise he is in error. The foundation of our policy is peace-Peace not only with distant and powerful countries like yours,but peace with our nearby neighbors,like China and Russia.
The purpose of the Japanese Government,like the purpose of all good governments,must be and is the welfare of its people. And at the foundation of any such structure must be-for its security-the bedrock of peace. That is what the Japanese people want just as much as any people in the world want it.We all know the cost in treasure,won by the sweat of our brows,that war entails.…We know the cost in the blood of our sons and the suffering of our women and children. We,therefore,like you,want Peace. Don’t let anyone delude you about that. Turn a deaf ear when men tell you we want war.What we want is peace,peace with all the world.


 [拙訳]
  私たちが極東にもたらそうとしているものは、まさに極東が切に必要としているもの、すなわち平和以外の何物でもありません。もしそうではないと考える人がいたら、その人は間違っています。私たちの政策の基本は平和であります-皆さんの国のように遠くて強大な国ばかりでなく、中国やロシアのような近隣諸国との友好であります。
 日本政府の目的とするところは、優れた政府の例に違わず、国民の幸福であり、そうでなければなりません。そして、そのような政治構造の底にあってそれを守るべきものは、平和という基盤であります。これこそが、世界の人々同様、日本国民が求めているものに他なりません。私たちはみな、額に汗して獲得した富の多くが戦争の代償として失われることを知っています。(中略)息子たちがどれだけの血を流し、婦女子がいかに苦しむかを知っています。だから、皆さんと同じように平和を望んでいるのであります。つまらぬ噂に惑わされてはいけません。私たちが戦争を望んでいるなどと言う人に耳を貸してはなりません。私たちが望んでいるのは平和であり、世界との友好親善なのであります。
 

もともと演説用に書かれた原稿なので、ここに現われているのは、斎藤の書いた英文の特徴というよりも、彼の英語演説のスタイルと考えていいだろう。簡単な構文を用いて同じ語を繰り返したり、同じモチーフを変奏しながら主張を畳み掛けていく雄弁家のスタイルである。
内容的には、少なくともいまの歴史認識からすれば、満蒙における日本の権益拡大を正当化するための詭弁にしか聞こえないだろう。だが、おそらく斎藤は、満州国建設に当たって日本が掲げた「五族協和・王道楽土」の理念を本気で信じていたに違いない。いや、一国の大使として、そして日米の友好親善を願う一人の人間として、自国の誠意を信じるしかなかったのである。

 米国砲艦バネー号撃沈事件
だが、斎藤の願いも空しく『日本の政策と目的』は米国民の理解を得ることなく、日米関係は悪化の一途を辿った。そして、そこに追い打ちをかけるかのように、一九三七(昭和一二)年一二月、日本海軍機が揚子江上で米国砲艦バネー号を撃沈(のちに誤爆と判明)するという大事件が起こった。
一九九九年五月のNATO軍機による在ベオグラード中国大使館誤爆事件も国際関係に大きな禍根を残すことになったが、誤爆が直接的に国家間の紛争を引き起こす危険性から言えば、バネー号事件は中国大使館誤爆事件の比ではない。そもそも日本からは何の連絡もなく、誤爆かどうかの確認すらとれなかったのだ。
 いつ戦争が始まっても不思議ではない一触即発の緊迫した状況のなか、斎藤は一世一代の賭けに出た。本国からの指示を待たず、全米中枢のラジオ放送を通じて、損害賠償の約束まで盛り込んだ謝罪声明を出す決意をしたのである。
 このような重大な声明の準備にどれくらいの時間がかかると読者はお思いになるだろうか。
『新版日本外交史辞典』には、「事件発生1時間後、3分52秒のわたる全米中継放送で米国民に事情を訴え、危機解消に貢献した」とある。
 ただし、当時の情報伝達の手段から考えて、事件そのものがそれほど速く伝わったとは思えない。「数時間は、どうなる事か人々は不安であった」との「小伝」の記述や「世論はわつと起きて一時はどうなることかと胆を冷した。・・・本国からの指令は来ない。
「斎藤が国務省に行き、了解を求めようにも手の打ちどころがない」との坂西志保の回想を見るかぎり、少なくとも数時間は経過していたと考えるのが自然であろう。
 とはいえ、実際に原稿執筆にかかった時間は長くはない。
先述したモアーが大使の部屋に入っていくと、斎藤は猛烈に煙草を吸いながらしばらくは顔も上げずに原稿を書いていたが、よく来てくれたと顔を上げたときには声明ができ上がっていたというから、驚くべき英語力だ。
だが僕は、このラジオ放送に関するある貴重な資料によって、文献には記されていない興味深い事実を知った。
話が横道に逸れるが、まずはその資料と出会った経緯を書いてみたい。

・・・・・・・・・・僕の頭にはずっと気になっている一つの映像があった。
何年も前、もちろんこのような文章を連載しようとは夢にも思っていなかったころ、一人の日本人の堂々たる英語演説を収めた古い記録フィルムを見た。だが、それが何の映像なのか思い出せない。たしか僕と同姓の外交官の演説だったような覚えがあるのだが、もしかしたら松岡洋右の国連脱退演説かとも思ったくらいだから、かなりあやふやな記憶である。

 外務省筋から上がってきた達人候補者である幣原喜重郎の回想録を調べているとき、たまたま斎藤博の名前を発見した。先に紹介したとおり、山東問題会議で活躍した「英語の名人」として記されていたのだ。もしやこの人物だったのかと思ったが、いかんせん情報不足である。
ところがその後ある本のなかに、日米関係の改善に尽力した斎藤の遺骨をルーズベルト大統領が巡洋艦アストリア号で日本に護送したとの記述を発見、その瞬間、おばろげな記憶がかなり鮮明な像を結んだ。
たしかこの一件は、日本テレビの人気番組「おもいッきりテレビ」の「今日は何の日」のコーナ-で紹介されていたはずだ。とすると、年は特定できないが、おそらく遺骨が日本に到着した四月一七日の番組に違いない。
さっそく問い合わせたところ、たしかに一九九五年の四月一七日の番組で斎藤博が紹介されたことがわかった。だが、そうなると疑問なのは記憶のなかの映像だ。フィルムに残るほどの演説だとすれば、バネー号事件後の謝罪声明以外には考えられない。だが、何を読んでもそれはラジオ放送だったという。とすれば、斎藤と思われる人物が前を向いて英語を話しているあの映像は何だったのか。
「おもいッきりテレビ」制作班のご好意によって、その記録フィルムを見ることができた。問題の映像は、ラジオ放送に臨んだ彼の姿であった。そして僕の記憶どおり、やはり彼は原稿を持たず、前を向いて話していた。ラジオ放送とはいえ、原稿の棒読みでは米国民の心に訴えかけることができないと考えたのだろう。一刻の猶予も許されぬなか、彼はもう一度自分の雄弁に賭けたのだ。
 この斎藤の英断により、米国民も事情を理解し、当面の危機は回避された。だが、彼はこれで日米関係がいささかも改善されていないことを知っていた。そして激務は確実に彼の肺を蝕んでいった。
一九三八(昭和13年)、彼は近衛文麿首相より外務大臣就任の要請を受けるが、それを受諾することができないほど病状が悪化していた。そして、翌三九年二月二六日、ワシントンのホテルで五三年の生涯を閉じた。二年後に日本が真珠湾を攻撃することを知らずに彼がこの世を去ったのは、戦争回避への祈りを聞き届けられなかった神の、せめてものはからいだったのだろうか。



米国砲艦バネー号撃沈事件 は、1937年12月12~13日に起こった。
1937年7月7日     盧溝橋事件
1937年8月13日    第二次上海事変
1937年12月10日   南京総攻撃
1937年12月13日   南京城内入場(南京大虐殺)
1937年12月14日   中華民国臨時政府

*世界に知られていた南京事件


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