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上海・・苦力(クーリー)、外灘(ワイタン)

上海メモラビリア上海メモラビリア
(2003/05/22)
陳 丹燕

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 この本は、上海人の著者が、上海人の視点で、今の街風景を詩的に描いてくれる。
珈琲店(Cafe)、街路など・・・・・
「地球の歩き方」とはちがった、もうひとつの上海を、この本を読めば感じとれるのではないかと思う。
違った旅ができると思う。
この本の日本語訳が、またすばらしいのだと思う。

 戦前、上海を訪れた外国人にとって、「苦力」(クーリー)=車夫と呼ばれる中国労働者は、外国人が一番最初に接する中国人であった。そして、人権とか自由とか平等とか平和とかいうヒューマニズムの対極で生き蠢いている「苦力」(クーリー)に、外国人は、強い衝撃を受けたようだ。
だから、当時の小説や記録を読むと、必ずといっていいぐらいに、「苦力」(クーリー)に対する思い出が記されている。
彼らが、『魔都・上海』の案内人であるかのように。
上海・・・金子光晴 
1937年の上海(ロベール・ギラン)

『上海メモラビリア』の著者、陳氏は、その「苦力」(クーリー)との会話から、上海の激動の時代を水晶玉にゆらゆらと映し出してくれる。

『上海メモラビリア』陳丹燕著 莫邦富+廣江祥子訳より


外灘の輪タクに乗って

夜、外灘へ行くと、以前は暗澹(あんたん)としていた河沿いの建物群が、新たに設置された照明でまばゆいほどにライトアップされているのが見える。バロック、アールヌーボー、シカゴ派、ロマネスクといった百年以上も前の欧風建築が、世の中の変遷を経ても損なわれることなく、悲しみにも似た気配を帯びて、上海の赤らんだ夜空に黙々と佇んでいる。透明なアイスキャンディのようにライトアップされた夜も、こうした気配が払拭されることはない。それらの建物はいつでも人びとの想像をかきたてる。
 外灘は昔から上海人の誇りであった。排外運動の最盛期だった五〇年代、六〇年代ですら、上海製の人工皮革の黒い旅行鞄には、河沿いのとんがり屋根とプラタナスという外灘の風景が白くプリントされていた。上海を訪れて外灘を見ない者は、上海を訪れていないのと同じである。北京を訪れて万里の長城を見ないようなものだ。
 夜の外灘にはしめった風が吹いていて、少し歩くと外気にさらされた皮膚がしめってくる。鋳鉄の街灯をひとつ、またひとつと通り過ぎる。外灘の補修を行ったとき、租界時代の欧風街灯を模して作られたものだ。

_waitan_.jpg

イミテーションはどこかしら強度や年季、緻密さに欠ける気がする。同じように灯りをともし、同じように立ち、同じように黒々としていても舞台セットに見えてしまう。愛を謳いあげるロミオとジユリエットが恐る恐る立つ、ベニヤ板の書割のバルコニーのようだ。かつて外灘にあった鋳鉄の街灯は、五〇年代の鉄鋼大生産運動で製鉄にまわされたという。精製される機会が与えられることは租界時代の遺物にとって幸運だと当時の人びとは考えていた。そしていま贋物が夜霧のなかに煌々と輝き、若者がそれらにもたれて写真のポーズをとる。フランスのファッション誌から学びたてのスタイルだ。
円明園路まで来ると、暗い旧式の街灯の下、車体を赤く塗った輪タクにまたがった老人の姿が目に入った。灯りは黄色く濁り、ふたつの古い高層建築の下の、街路樹もない狭い道を深い谷のように照らしている。和平飯店と銀行ビルの裂け目に停まる老人と輪タクは、歴史書の隙間から落ちてきた積年の挨のようだ。木製の赤い車体に、黄色い防水布の幌、汗だくの車夫。三毛の漫画(張楽平の漫画。三毛は主人公の少年)に描かれたオールド上海だ。車夫の後ろには得意げな顔をしたアメリカ人の船乗りと先の尖った靴をはいた若い女。それは解放以前の大衆の苦難に満ちた日々である。オールド上海時代の輪タクは現在七台しか上海に残っていない、とドキュメンタリー映画で言っていたのを思い出した。
 老人は真っ白そうに見えるタオルで力いっぱい座席を払うと、私たちを見て高らかに言った。
「輪タクで夜の外灘を見物するのもオツなもんだよ」
 さわってみると白い布で覆われた座席は硬く、布の下は防水布のようだ。昔の人は痩せていたのだろう、ふたりで乗るとどうにもきつい。
老人は指を二本出して、二十元を要求した。灯台から外白渡橋へ行き、円明園路に戻って古い建物を見て、最後は雲南路の小紹興酒家で鶏粥、というルートだ。
「二十元なんてタクシーより高いじゃない」と私たちは反論した。
「タクシーがなんだい。座っちまったらなんにも見えねえ。この車なら、急ぐときは思いっきり漕ぐし、スイカの種でも食べながらゆっくり景色を見るときにはゆっくり漕ぐ。昔のお姐さんたちが足を組んで座る姿は、そりゃあ、きれいだった。舶来のアメリカのストッキングの一本線をひん曲げることなく組んでな。通行人も景色を眺めるようにお客を見たのさ」
 なんとまあ、昔のコールガールのことではないか。
「お天道さまが出ると、ぱんと杭州の絹傘をさして、通りにコロンが香ったもんだ」
 それはまたずいぶんと艶っぽい。『子夜』(茅盾の長編小説)のご隠居が田舎から出てきたその日に驚きのあまり卒中を起こしたのは、この老人の輪タクに乗っていた女性のせいだったかもしれない。
 昔話をはじめた老人はなかなか止まらない。彼はきらきらと煽るような笑顔である時代の物語を繰り広げてくれた。『旧上海の物語』や『新上海の物語』を読んで育った私たちにとって、それはなんとも神秘的で、なんとも似て非なる、なんとも贅沢な時代であり、没落地主の家に生まれ、落ちぶれた子孫たちが昔の家系図を見るように、私たちはそれを眺めるのだった。
 輪タクはオランダ銀行の角を曲がり、黄浦江沿いの大通りに入った。しめった風が顔をなでる。                                            灯りに浮かんだ税関ビルの銅製の扉が、覗きからくりのように、私たちの目の前を音もなく掠(かす)めていつた。老人が時計台を指さし、「あの時計はイギリス製で、ずいぶん長いこと使っているのに壊れることもない」と言った。
 東風飯店の外壁は無数の豆電球で飾られ、にぎやかだが貧しげだ。子供がコーラの赤い紙コップを手に建物から出てくる。いまではここは子供たちに大人気のフライドチキン店である。
 老人は言った。
「昔は上海でいちばんの金持ちが金を使う最高級の場所だった。建物もきれいで、出入りするのは有名人ばかり。いまはこんな体たらくになっちまったがな。上海が栄えていた頃をあんたがたは知らん。ご両親だってまだ湊垂(はなた)れだったろうよ」
「建物に入ったことはありました?」
「わしらのような苦力が入れるもんか。車だって停められねえ。ここへ来る人はみな自家用車で乗りつけるのさ。自手袋をはめた運転手が、いかにもって感じでな」
「じゃあ、いまは嬉しいでしょう。なかに入れるようになって」
「なにが嬉しいもんかね。なかに入ったところで別物さ。昔はそりやあ立派だった。いまは入りたくもないな。息子の結婚式をあそこでやったが天井から水が染み出てた」
 老人は背中を大きな鳥のようにそびやかし、手でハンドルを支え、両足でぐいっぐいっとペダルを漕ぐ。コツを心得た漕ぎ方である。十六の年からこの輪タクを漕いで、もう六十年。蘇北(江蘇省北部)の田舎から出てきた若者が、いまとなっては、足じゅうに青筋を立てた頑強な老人である。
「昔はわしらも客の品定めをしたもんだし、洒落た人を見れば『ハロー、ハロー』なんて声をかけた。
外人の客がステッキで足元を叩いて『ハリー、ハリー』 っていうのは、急げって意味なのさ」
 私たちは仰天した。この老人、英語も話すとは。
 老人は笑って言った。
「客が車から降りるときには『グッドバイ、サー』 ってな」
 街灯が老人の笑みを照らした。如才のない笑顔だ。
 古い灯台が見えてきた。外灘のはずれに小さく無益に立っている。それより先は、四九年以降、しだいに広がっていった新しい外灘である。とうに見捨てられた真っ暗な灯台は、まるで未亡人のように、時代に取り残されながらも抒情たっぷりに佇んでいる。かつてそれは港に入る船を導くためのものであった。船は金儲けの夢を抱く者をほうぼうから運んできた。車を漕ぐ老人も船で上海にやってきた。金儲けには生涯縁がなかったが、上海に対する懐旧の念に変わりはない。だが、決して自分のものにはならなかった上海の風情を、彼はどうして懐かしむのだろう。
 老人の鳥のような後ろ姿。音もなく進む木製の古びた車体。霧にかすむ灯りの下で、老人のあとについて空を飛んでいる気がした。これほど熱心に、そして失望したようすで、かつての上海を語ってくれた人は初めてである。どうして彼は熱く語るのだろう。拠りどころをなくし、生活の目標をなくし、とうとう追憶のなかに何かを見つけたかのように。
「昔の外灘はどうでした?」
「いまよりずっときれいだった。外人が子供連れで散歩して、黄浦江では金持ちが遊覧船で歌ってた。金のあるやつが来る場所だったよ」
 いまの人びとが憧れ、懐かしみ、かつて自分たちが手にしていたと思っているのは、こうした日々なのだろうか。
「昔はよかったですか」私は老人に開いた。
「金があればよかったろう。金がなきゃ、いつだってよかないさ」
 この言葉こそ、父の世代の理想高き学生革命家が言っていた、「社会に存在する不公平」だとか「革命の原動力」なのだろうか。
「もしお金があれば?」
「人生、誰だって道楽して派手にやりたいに決まってる」
 木のない狭い道。
 外灘の大きな建物。
 南京東路の建物が脇を掠めていく。かつてユダヤ人が阿片で稼いだ金で建てた極東一を誇るビルディングだ。
 外白渡橋の奥に建つ上海大廈が脇を掠めていく。かつては上海で最も豪華なホテルのひとつだった。
 夜霧のなかを外灘公園(現在は黄浦公園に名を改めたが、上海人の多くはいまだに外灘公園と呼ぶ)の水際の黒い木々が視界を掠めていく。ここでは、かつて公園口にあった「犬と中国人は入るべからず」の立て看板をめぐって中国人宣教師たちが租界の巡警に談判した。若い宣教師が殴られると、ひとりの若い女性が身を挺して彼をかばった。こうして知り合った彼らはやがて結婚し、ふたりの国母、宋慶齢と宋美齢が生まれた。
 上海の遠い昔が世の移りかわりを経て、伝説となった。
 突然、遠く南京路に、さまざまな高さで光を発しているネオンサインの山が見えた。かつての輝きを取り戻したいという思いが、いままさに光り輝いている。古い店の名が復活し、古い建物が再建され、人びとはルーツ探しを楽しむ。まるで十九世紀の西欧の小説に登場する子供のようだ。肌身離さず持っている出所不明のハート型の釦のペンダントのなかには貴婦人の肖像が描かれ、鼠のような貧しい暮らしをしている子供は、あるとき自分が本当は貴族の私生児であることに気づく。いま、街じゅうが自分のペンダントを探している。私が子供だった頃には暗い川面を風が渡っていた外灘は少しずつきれいになり、ついにペンダントを探しあてたようにも見える。だが、内心ではそれが金かどうかがわからず、自信なげに噛んだり、さすったりしている。
 オールド上海の街から輪タクを漕いでやってきた老人も。
 そして、彼につづく者たちも。

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