Home *  * All archives

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
tb: -- |  cm: --
go page top

上海メモラビリア

 半年で、まるで違った街へと変貌してしまう上海。
 それぐらい、破壊と創造を繰り返しつづける上海。

 古い時代の小説や写真に出てくる上海は、もうここには存在しない。
たかが、20数年前を知っている私でさえも、今の上海を称賛すると同時に、過去への哀愁を覚える。
それに比べて、上海人というのは、平気でこんな創造をしちゃうなんてと、驚きと愕然を抱く!

そう思っていたら、上海人の書いたある本をみつけた。

上海メモラビリア上海メモラビリア
(2003/05/22)
陳 丹燕

商品詳細を見る


そこには、上海人もやはり、古い上海を大事にしたいという想いを強く持っていることが書かれていた。
 この本は、上海人の著者が、上海人の視点で、今の街風景を詩的に描いてくれる。
珈琲店(Cafe)、街路など・・・・・
「地球の歩き方」とはちがった、もうひとつの上海を、この本を読めば感じとれるのではないかと思う。
違った旅ができると思う。
この本の日本語訳が、またすばらしいのだと思う。

『上海メモラビリア』陳丹燕著 莫邦富+廣江祥子訳より


河畔のオールドホテルにて

黄浦江沿いに建つ緑の銅板屋根に御影石造りの和平飯店は、上海人にとって上海一のホテルである。
レトロ好きな上海人にとって、そこは心の故郷だ。
陽射しの強い夏でも灰暗く重々しい黄色い照明光に満ち、気持ちがほんの少しふさぐ。
歳月で黄みを帯びた白い大理石は、酷暑の夏でも清々しく優美で、足指をさらした靴で踏み入れてはならないという気にさせる。
 ロビーを抜けると目に入る背の高いセピア色の腰板、黄金色の銅手摺。
アールデコスタイルの黒い鋳鉄がたおやかでロマンティックな曲線を描く。
すべては、いにしえのこと。
古びた肘掛け椅子に腰を下ろし、カップが運ばれてくる前からコーヒーの香りが漂ってくる。
幾年幾杯ものコーヒーが少しずつとどめてきた香りだ。
ものの一分もしないうちに在りし日の人びとやコーヒーに思いを馳せ、ノスタルジーが自然と湧いてくる。
過ぎ去った時代に戻りたいとこいねがう人ならなおのことだろう。
彼らの故郷に誇れるところがあるとすれば、それはこの水辺のオールドホテルなのである。
 このホテルは一九二〇年代のシカゴ学派のゴシック建築である。
外灘(ワイタン)初の高層ビルディングであり、かつてサッスーン・ハウスと呼ばれたこの建物は、上海で財を成したイギリス系ユダヤ人のサッスーンによって建てられた。
その造形の美しさと豪華さ、またたくまに極東の大都市となった上海の一等地である黄浦江沿いにあるということから、レトロ趣味の上海人が生を享けるはるか以前に「極東第                              
一楼」と称され、戦前の東洋で最も絢爛(けんらん)たる場所であった。
 この御影石造りの建物は、上海に暮らした西洋人の御伽噺(おとぎばなし)であった。
薄幸の子供が橋のたもとで金の斧を拾う物語のような。
思えば、西欧で安定した生活を送り、とりたてて大志を持たない人間がコーヒーもチーズもない土地をめざすことはないだろう。
だが貧しくとも進取の気性に富んだ人びとはトランクと冒険心を抱えて上海を訪れた。
サッスーンもそのひとりであり、しかも彼は足が不自由だった。
この急速に発展をとげた都市によって財を築き、故郷で思い措いていた暮らしを手に入れた彼は、それを享受し、そして誇示した。
水辺のホテルは夜ごと楽の調べに満ち、ウィーンのコーヒー、ニューヨークの黒い絹靴下、パリの香水、ペテルブルグのロシア皇女、ドイツの写真機、ポルトガルのシェリー酒が、この西洋人の成功譚に華を添えていた。
そして、マーシャル将軍、スチユワート・レイトン大使、バーナード・ショー、チャップリン、宋慶齢、魯迅など内外の名士が真鍮の回転扉をくぐり、あらゆる物音を吸収する赤絨毯の上を歩いたのだった。
 暗殺団に命を狙われ、セピア色の扉の向こうに一年じゅう、じつと身をひそめていた者もいた。
アメリカから訪れた劇作家はここで『私生活』という本を書き上げた。
ヨーロッパで九死に一生を得て、第二次大戦中をここで過ごしたユダヤ人もいた。
つねに白いカーテンに閉ざされたその部屋は母の胎内のように、ユダヤ難民支援組織によって上海を離れるその日まで彼らを包み、彼らを守り、彼らの行動の自由を制限していた。
 長く伸びた廊下はひっそりとして、青銅製の壁付灯のほのぼのとした黄色い光に照らされ、両側の部屋の扉は固く閉ざされている。
廊下の端に立って、光に包まれた扉を眺めていると、その扉が開いて一九四〇年代の人びと-バックシームの入った絹靴下をはいた淑女や、当時流行りのエジプト煙草をくわえた紳士―がなかから姿を見せるのではないか、という気持ちになる。
 オールドホテルは八十年間、何も変わらない。
 上海という街と同じく、いくどとなく世の変遷を経ていようとも。
 ここはかつて上海にこぼれおちた西欧の欠片だった。
いまもそうだ。

ShanghaiBus[1]

数十年が過ぎて上海には外国人旅行者が戻り、西欧の老人たちは大勢でここを訪れて、若かりし日に見たものが完全に姿をとどめているのを目にする。
セピア色の腰板、アールデコの曲線模様を描く鋳鉄、いにしえの西欧を思わせる心なごむ暖色系の照明、それらが醸す感傷的な雰囲気。
そして、英国式バーのオールドジャズバンド。
一九四〇年代、まだ若者だった頃からジャズを演奏している彼らは、三十年の空白ののち、再び外国人のために以前と変わらぬ曲を奏でるようになった。
 一九九一年から、有名な海浜娯楽団が年に一度の大パーティー会場に和平飯店を使うようになった。
往年の一夜を求めて、欧米やオーストラリアから往時を懐かしむ名士たちが訪れる。
その晩、ヨーロッパ宮殿様式の大広間では、磨き抜かれたクリスタルのシャンデリアすべてに灯りがともり、南欧から運びこまれた葡萄酒の箱が空になる。
床に撒さ散らされた指輪。
オールドホテルの威厳、絢爛、感傷、高貴。
海浜娯楽団のその晩にすべてがシンデレラの物語のごとく復活するのだった。
 その夜、オールドホテルに突如建った生気を目の当たりにした上海の若者は呆気にとられた。
その場に居合わせたある若い写真家は、それを機にオールド上海を熱烈に愛するようになった。
和平飯店がのろのろした昇降機を新しくするというときには最も執拗かつ最も激しく抵抗し、オールド上海にちなむあらゆるものを交換したり、オールド上海時代の建物を取り壊すことに反対している。
一九九二年、和平飯店は世界的権威であるホテル協会によって世界の名ホテルのひとつに選ばれた。
この栄誉に浴したのは中国で唯一ここだけである。
 往年の何もかもが建ったかのように、英国風の部屋には暖炉、米国風の部屋には銀の燭台、スペイン風の部屋には高床式の寝台。
給仕の黒髪はポマードで艶やかに光り、控えめだが心のこもった笑顔を浮かべている。
「和平飯店でコーヒーでも」は、レトロにひたる上海の若者たちの気持ちをうまく表現した言葉である。
夕暮れに彼らは椅子に腰かけ、もし五十年前に生まれていたらどんな暮らしをし、どんな物語が待っていただろうかと思いをめぐらせる。
それは隣の席に座る西欧の老人よりも夢見心地な、上海っ子ならではの感情である。
西洋化した豊かな暮らしに対する心酔。
そして自分の街が歩んできた歴史を心から大切に思う気持ち。
もっと英語力をつけ、ナイフとフォークにも慣れ、そして西欧の音楽も好きになり、いつの日かアメリカのパスポートを、というのが彼らの夢だ。
そのときは爪も黒く汚れていたりはしない。
 こうした憧憬もこの街の若者に潜在的な伝統である。
とりたてて話題にのぼったことはないが、いままで連綿と続いてきた。
 水辺のオールドホテルには再び夜ごとの楽の調べ。
当然ながら主はもういない。
 上海で生涯を終えた彼は、虹橋の荒涼とした墓地の一角で眠りについている。
そこは外国人墓地であり、周囲には彼と同時代に上海で亡くなった多くの西洋人が埋葬されている。
彼の墓だけが青々としたモチノキに囲まれているが、地面にはえた藤の蔓は墓碑を覆い尽くすにはいたっていない。
ありきたりの石材で作られた墓碑には、ごくシンプルな黒い文字で名前が刻まれている。
 それでも彼は著名人であるため名前の彫り間違いはない。
ほかの墓は名前の綴りが違っていたり、生年月日が欠けていることも多い。
 外国人で混みあう墓地には、墓碑が肩を寄せ合うようにして異国の芝の上で横たわっている。
 ここもまたひつそりと静かで、黄金色の陽光が輝き、灯りのともったオールドホテルの廊下にほんの少しだけ似ているのだった。

SHANGHAIpeace[1]
和平飯店から黄浦江を望む




tb: 0 |  cm: 0
go page top

この記事に対するコメント

go page top

コメントの投稿

go page top

トラックバック

トラックバックURL
→http://intouch.blog56.fc2.com/tb.php/192-c45f8058
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
go page top

新着記事+関連エントリー

カレンダー

カテゴリ

最新コメント

プロフィール

ブログ翻訳

旅行業の本

添乗に役立つ本

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。