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旅は人生の付加価値

 『旅に学ぶ』岡田喜秋著、玉川大学出版部発行より


 

 パッケージという言葉は、乗り物や宿泊などの料金を含めていくらということで、旅行者にとっては手間が省けて、旅馴れない人には便利であることはたしかだが、表現が旅行業者サイドの発想である。
パッケージ”を″荷物″のイメージに受けとる人がいる。
 事実、旅行業者側には、旅行客は、インデイビジュアル(個人客)であるよりも、個性の乏しい団体である方がよろこばしいという感覚が支配している。
しかし、この認識に馴れてしまうことによって、大きな″盲点”が生まれつつあることは警告に値する。
 人間が旅を欲し、人間が旅に出るのだ、という当然の理を見失ってしまうおそれがあるからである。
これは文明の進歩の悲劇である。
乗り物が急速に進歩し、改善される。
そのために、巨大なキャパシティをもった機内の席を埋めるために、やっきとなる。
やっきとなっているうちに、大切な本質を見失うおそれがある。
 個の集まりが集団である。
集団のなかに個がいると考えるのは錯覚である。
もしそう考えるならば、それは一部の政治家の独断に似ている。
旅は政治ではない。
旅は個人のたのしみである。
それは生理的欲求とさえいってもよい。

団体旅行のたのしさを肯定する人でも“食事は・・分で終えて下さい”とか“おトイレに行く方は今のうちに!”などと、個人でちがう生理的条件まで規制されたくないという声がある。
 こんにちの日本人の海外旅行の普及は、欧州の人とちがって、異なった生活習慣の土地へ行くので、言葉だけでなく、立ち居振る舞いについても即刻順応できないために、集団で行く方が気が楽だ、という心情によって支えられている。
しかし、こういう理由によって支えられているのが現実だとしたら、“パッケージ”や“包括”という視点からそれを呼ぶのはやめて、もっと人間的な視点からの表現に変えることが望ましい。
 
「団体旅行」というと、それを嫌ったり、参加を拒む人がいる。この事実に対しては「団体」という言葉を無神経に使いはじめた時点にもどって反省すべきなのである。
これは乗り物や宿泊施設の側から生まれた言葉である。
それは歴史的にみれば当然のことで、その時点では致し方なかったのである。
しかし、時とともに人間の発想は変えられてゆくべきである。
旅行者は、馬車に乗っていた時代よりも、道中における観察力を失った。
速いばかりが能じゃない - という実感はジェット機と同じように、オーナー・ドライバー自身からも聞かれる。
「猪」のように速く突っ走ることは旅ではない。
 自動車の発明は文明史上特筆すべきことであり、現在でも自動車は日本の輸出品として高く評価されているのに、その普及が、旅の手段としては批判されている現実はまことに日本的である。
しかし、自家用車の旅というものは、「運転手をかねた旅行者」である点においてメリットがあるとする声は高い。
操縦が第三者にまかされている空の旅では、万一墜落すると、その人命の喪失は大きいが、自家用車なら小さい。
 日本における自家用車の普及は地方においてはかつての鉄道以上の役割を果たしている。その証拠に、ローカル線は撤去されてもさして支障をきたさない、という地方もある。
ローカル線廃止という事実は、あきらかに、旅行手段も一転期にきたことを示している。
 しかし、現実的対処をみると、旅行を「商品」として売ろうとする傾向がみられる。
そこには、旅行を飛行機利用、鉄道利用いずれにせよ、前もってコースを決めさせ、価格を提示するという前提がある。
自家用車にはこうした“手かせ足かせ”がないという意味で、旅行の商品化にも批判が寄せられる。                                 
 文明の進歩は、旅の仕方も当然変えてゆくのである。
旅行を「商品」などと思いたくない人びともいる。
自動車は商品だが、それを利用して旅に出る人は、その「付加価値」をたのしんでいるのである。
 旅というものは、本来、人生における「付加価値」なのであって、生きてゆくのに必要な「商品」というべきものではない。
旅は人生にとってどういう意味をもっているか、という視点に立って、その評価をすべきである。

それがこれからの大切な視点なのである。



 岡田氏は、パッケージツアーは常に旅行会社側の発想で造成されている、と説く。
そのことは、旅行会社の従業員にも、お客様にも、
『人間が旅を欲し、人間が旅に出るのだ、という当然の理を見失ってしまうおそれがある』、と説く。

つまり、旅行会社の発想で造成されたパッケージツアーは、旅の主体を必要としないということではないだろうか。
本来、旅は、自分の意思によって主体的に創造されるから意義があるものである。
けれども、パッケージを造る側には、その旅人にとって最も大事な『個』の主体性は、邪魔以外のなにものでもない。
お客も、なるべく、『個』を押し殺して、『団体』のなかで、そのシステムに自分を受動的に合わせようとしていかざるおえない。

岡田氏のいうことを自分流に解釈すれば、
『パッケージツアー』という商品意識を持つかぎり、しまいに、お客に飽きられてしまうはずだ。
『パッケージツアー』の発想を続けることは、消費者に旅の魅力を軽減することにつながる。
『個』の主体性をもっと認識しなければ、旅が人間にとって、必要不可欠ということにはならないだろう。

まあ、こんな発想が旅行会社にはなかったから、今のような経済不況の際、旅行出費は真っ先に家計簿から切られるはめになったにちがいない。



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