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草原の国・モンゴルPart1

日本から直行便で約4時間あまり、モンゴルの首都ウランバートルに到着する。
離陸して機内食を食べたらもう着陸である。寝ている暇がないくらい日本から近い国なのであるが、若い方々にはその位置さえわからないくらいに馴染みが薄い。
そう、高齢者には戦前の旧満州やノモンハン事件などでかなりモンゴルへの思い入れあるだろうが、戦後、ソビエトの影響国家になってからは、あまり大きく話題になることもなく、せいぜい学校の歴史の時間に「モンゴル帝国」、「チンギスハーン」、「元寇」としてその存在を留めるにすぎない。
確かに、大相撲の朝青龍のごとく日本の国技すもうの世界で活躍しているモンゴル人もいるにはいるが、それが、すぐモンゴルのイメージを連想させるまでには至らない。

 モンゴルツアーは草原と結びついている。
大自然を詠ったツアーで、大草原のゲルと呼ばれるモンゴル風テントに宿泊し、乗馬やフィッシングやトレッキングを楽しむ。
私が同行したツアーも乗馬トレッキングが目的である。
ウランバートルの市内観光を簡単に済ませたら、すぐ、小型バスで延々と西の草原をめざす。全人口の四分の一が居住する首都、ウランバートル。
しかし、バスで十分も走れば、もう荒野というか、広い大地に出る。
日本の四倍の国土に住む全人口はたった250万人。
道は一応、舗装されてはいるが、多くの崩壊穴があちらこちらに空いており、バス運転手は時速60キロ近くで飛ばしながら、うまくその穴をすり抜けて行くのだが、さすがに乗り心地は悪い。
遊牧から農耕へ切り替えもおこなわれているのであろう、所々畑がある。
山羊や馬ものんびりと草を食んでいる。
ただ、その風景も、5時間、6時間のお尻の痛みと脚の踏ん張りによって、意識が朦朧とし夢かまぼろしのように通り過ぎて見える。

当然、2時間おきに休憩をとり、車外で一服することができるが、決まったトイレはない。
僕が時計を見てそろそろ2時間たつと思う頃、ガイドに「そろそろお願い」というのだ。
すると、ガイドが運転手に多少凹凸のある地形でバスを停めるように指示を出す。
バスが停止したら、僕がお客様に向かって、「さあ、少し、休みましょう。男性はバスの左側、女性は右側でお済ませください」といえばいい。
男性は問題ないのだが、女性は右側の草原の奥の奥まで、米粒くらいにしか見えない地点まで行ってしゃがむことになる。誰も見やしないのに!と思うのだが。

 小型バスは西に向かって走る。
皆、意識は完全にレム睡眠状態で、多少残された意識は脚のみである。
そのうち揺れが変わり、窓の外を眺めると、バスは舗装道路から下り草原の中の道なき道をゆっくりと左右に体を振りながら走っていく。
しばらく行くと、前方にのどかなゲルの集落が現れる。
四方を低い柵に囲まれ、白い布で覆われた大小のゲルの集落こそ、僕たちの宿泊場所、「ツーリストキャンプ」であった。

小型バスから静かに外に降りると、360度草原の開放感、天空の吸い込まれるような青空にはっきりと浮かび上がる白い雲、体を包み込むように一方向から流れるそよ風。

この爽快感は何だろう!

過去にこれほどの異次元と懐かしさを感じたことがあっただろうか!
ニューヨーク、ロンドン、パリなどのあこがれの都市には都市独特のリズムがあって日本の都市との差異は思ったほど感じない。
ハワイ、グアムのようなリゾートには開放感はあるが予期した感情であってそれ以上でもそれ以下でもない。
南米やアフリカでも日本のメディアが流す多くの情報量によって、イメージが出来上がっており、そのイメージを踏襲するツアーでしかない。
しかし、このモンゴルの草原が僕らに与える自由な爽快感は何だろう。
ツアーの大都市で設定されるフリータイムとはわけが違う。
ルイビィトン、プラダ、シャネルと忙しいショッピング、ルーブル美術館、モンマルトルの丘、システィーナ礼拝堂、五番街。旅―――――って、目的を探して出かけるもの?
その各自が決めた目的の遂行が旅の第一の目標となる。
メディアも旅の好奇心をかきたてるように多くの材料(目的)を探して提供してくる。
そして、お客は目的をもった時点で目的に縛られる。
旅の楽しみは本来目に見えないところにあるので、ガイドブックにもテレビの旅番組にも載っていないはずだが、皆、目に見える目的に縛られて、結局背中に重い荷物を背負わされて旅をしているのだ。
一生懸命旅をしてしまう。
まるで、旅が仕事のように。

 モンゴルは何もないのだ。
目に見える目的は限りなく透明である。
だから、すごい驚きがある。
この新鮮さが日本のとなりほど近い国に存在する。
灯台下暗しである。

柳田国男が言うように、「人はなぜ旅をするのか」の答えが「非日常性」にあるのなら、こんなに、ぴったり当てはまる国はないのではないだろうか。
日本の日常を一番意識できる場所がここには在る。
コッペパンのような白い雲がふわふわと並んで青い空を流れ、見渡す限りの大地には、草原や小砂漠、澄んだ湖があり、そこに野性と家畜の馬、やぎ、らくだがのんびりと草を食んでいる。
そして、ぼくらは、このどれか、馬にまたがって、この大地を毎日闊歩する。
それが乗馬トレッキングだ。

夜は真っ暗だ。ツーリストキャンプの電源は自家発電である。
自家発電には、限界がある。
それが、真っ暗な空に満点の星を浮きただせる。
この「非日常」こそが、自分の日常をじっくりと噛みしめる時間的余裕を与えてくれる。

 モンゴル人は馬の顔がわかる。
ぼくらには全く区別のつかない馬もモンゴル人はまるで馬に名前が付いているかのごとく扱ってしまう。乗馬トレッキングでは、始めに、百頭近くいる馬の中から、自分の乗る馬を決める。
そして、特に問題のないかぎり、同じ馬に何日間か乗り続ける。
ただ、毎朝、連れられてくる馬たちをみてもどれが昨日自分が乗っていた馬だったのかよくわからない。モンゴル人はそれを「あなたはこの馬!あなたはこっちの馬!」というふうに振り分けてくれるのだ。
お客様も最初はおっかなびっくり接していた馬に徐々に慣れ、
「重くてごめんね」「また、明日ね」
などと話し掛けている。
一度も馬に乗ったこともないお客様たちが、馬と友達になり、まがりなりにも馬をあやつっているのだ。最終日には皆けっこう満足そうに乗りこなしていた。
モンゴル人の教官(遊牧民のおじさん)が、開口一番、「習うより慣れろ!」とはこういうことなのだろう。
 
ツーリストキャンプとお別れの日、
馬たちが見送りにきてくれた。
お客様はどの馬が自分の乗っていた馬か、もう、わかっている。
「ありがとう。また、来るね」
皆、馬に話しかけ、抱きしめ、泣いている。
20代のOLから60代のご夫婦の涙はとても自然で新鮮に見えた。

そして、驚いたことに、馬たちが首を上下に振って泣きはじめたのだ。

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