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ラングストン・ヒューズのパリ 4

ラングストン・ヒューズのパリ その3

*ラングストン・ヒューズ自伝1
「ぼくは多くの河を知っている」木島始訳より



 彼女のコートが、ドアのうしろの釘にかかっていて、窓の下に小さなかばんがひとつ置いてあった。
彼女は、はだしだった。
彼女の濡れた靴が、熱の通っていない暖房器の下に置かれていて、ストッキングが、乾かすためにベッドの脚にかけてあった。
「きみもここにいるのかい?」と、わたしは尋ねた。
「もちよ! その通りだわ! だってひとつしか部屋を探さなかったでしょ?」
 彼女は、帽子を脱いでいた。
彼女の赤味がかったブロンドの髪は、柔かく波うっていた。
 彼女は、笑いに笑った。
わたしもまた、何といってよいのかわからなかったものだから、同じように笑った。
「あたしも、文無しなのよ、」と、彼女は言った。

rain.jpg


 わたしは、ベッドに腰をおろした。あやしげな英語で、彼女はじぶんの身の上話をしてくれた。
彼女の名前は、ソーニャといった。
彼女の属していた舞踊団は、ニースでばらばらになったのだった。
彼女は、パリ行きの切符を買ったのだった。
そしてここ、
―――寝台だけでいっぱいで、空いてるところはといえばやっとドアの開けられる分だけしかなくて、味けない壁に服を掛けるための釘が数本あるそんな部屋に、わたしたちふたりはいたのだ。
暖房器には、暖気はなかった。食事もなく、洗面器台もなく、椅子もなく、ただ、椅子の役もすれば、いろんな物をのせておく場所の役もする、奥行のある窓下に取りつけられた腰掛けがあるだけだった。

寒かった。
おそろしく寒くて、吐く息が目に見えるほどだった。
でも、間代が安かったので、ぜいたくは言えなかった。

 わたしたちは、何ひとつ註文はつけなかった。
 わたしは、じぶんのスーツケースをベッドの下に置いた。ソーニャは、彼女の服を釘に掛けた。
彼女は言った、
「ねえ、何フランか持ちあわせがあるんなら、あたし、食料雑貨屋へ行って、チーズと、パンを少しばかりと、ぶどう酒を少しばかり、買ってくるわ。それで、夕食にしましょうよ。ここで食べるのよ。そのほうが安あがりだわ。」
 わたしは、彼女に十フランをあたえ、彼女は夕食の買物に出かけていった。
わたしたちは、ベッドの上に食物をひろげた。
とてもおいしくて、しかも、そのうえ費用がわずかしか、かからなかった。チーズ、かりかりに揚げたじゃがいも、できたてのパン、それにぶどう酒が一本というその食事は。

bread-wine[1]

しかし、あともう幾日かのうちには、じぶんの持ってるフランがすっかり失くなってしまうことが、わたしにはわかっていた。
そうなったら、ぼくたち、どうしようか?
ところがソーニャが、わたし、働き口を探してるから、そいで、きっともうすぐ見つかると思うから、そうしたらふたりとも食べられるようになるわ、と言った。
 無一物の者たちのあいだに急速に生まれる友情なるものに慣れてはいなかったので、わたしは、彼女がほんとうにそのつもりなのかどうか、いぶかった。

その後わたしは、彼女が本気だったんだということを知った。
 彼女が、最初に仕事を見つけた。
そしてわたしたちはふたりとも、食べた。

 部屋を借りたその翌日、わたしはマッキースポートにいる母に借金をたのむ手紙を書いた。送金を依頼する手紙を家に書いたのは、その時がはじめてだった。わたしは、母にじぶんがパリで立往生しているから、かあさんでもあるいはとうさんでもいいから、どうか二十ドルを電信で送ってもらえないだろうか、と伝えた。だがわたしは、その手紙がアメリカに届き、それからその手紙の返事がかえってくるのを待たなければならない十日ないし十二日のあいだ、どうやって暮らしていったものかなあ、と思った。けれども、頼んだお金は、もしわたしの継父にその金があれば、送ってもらえるだろう、とわたしは確信していた。かれ、継父は、いつでも気前がよくて、気のいい男だったのだ。
 たとえ一ペニーだろうと、実の父親に手紙を書いて借金を頼むくらいなら、むしろわたしはパリで死んだほうがましだった。なぜなら、わたしには父から返ってくる答えがわかっていたからだ。
「それみろ、わしの言うことを聞いてればよかったんだ。わしの頼みどおりに、スイスに留学してくれればよかったんだ!」
それでわたしは、たとえ飢えのために骸骨のように痩せ細り、栄養失調でルーヴル博物館の階段で死んでしまおうと、父には手紙を出そうとは思わなかった。

 飢えもまた、襲ってきた。日に一度のパンとチーズとでは、飢えを感じないでいるわけにはゆかなかった。
数があるわけではない衣服を売り食いすることでは、飢えを感じないでいるわけにはゆかなかった。
夜ははやく床につき、朝は遅くまで寝ているというやりかたでは、飢えを遠ざけておくことはできなかった。

働き口を探しもとめ、しかも常にはねつけられるのでは、飢えを遠ざけておくことはできなかった。
ひとり寝のわびしさはなくとも、それだからといって、飢えが遠ざかるわけのものでもなかった。
 ソーニャは、毎朝ベッドで、身体を伸ばす運動をした。
部屋が狭くて、床の上ではやれなかったからだが、彼女はそうやって踊りの仕事が見つかったばあいに備えて、身体の形がくずれないようにしようとしていたのだ。
しかし、モンマルトルにはロシアの踊り子ならわんさといて、――― それに仕事はなかった。
 彼女は二十四歳で、わたしよりも年上だった。
彼女の父親は、ロシア革命のときに反革命の側に立っていたので、トルコに逃れたのだった。
かれは、ルーマニアで死んだ。やがてソーニャは、ブカレスト、ブダペスト、アテネ、コンスタンチノープル、トリエステ、ニースで踊った。

ballet[1]

そしてニースで、彼女が加わっていた舞踊団は、座頭が病気になり、契約や公演許可の期限がつきたために、解散になった。
 そこでソーニャは、――― 彼女はそれまで、わたしと同じようにまだ一度もパリを見たことがなかった・・・・・・・・荷物をまとめ、北のほうにやって来たのだった。

 ところで、彼女の衣裳は、すべて質に入っていた。
その上にまた、彼女のいちばんいい服も。それでもなお、彼女の外出姿は、そう悪くなかった。彼女は、昂然として歩いた。そして、部屋の壁にしなやかに掛かっている、真珠色のぴかぴかする金属片の飾りが縫いつけてある夜会服一着だけは、どうにかこうにか彼女は、高利貸しの手に渡さないですんだのだった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つづく




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