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パリ・・・金子光晴

 パリ

金子光晴著『ねむれ巴里』より

1929年、世界恐慌の直後、詩人・金子光晴が漂泊したパリの印象である。

 


この街は、ふしぎな街で、くらいモスコオから、霧のエコスたち(スコットランド人)の住む国から、アビシニアンから、テヘランから、あつまってくる若者たちを囚虜(とりこ)にし、その若者たちの老年になる時まで、おもいでで心をうずかせつづけるながい歴史をもっている、すこしおもいがあがった、すこし蓮っ葉な、でも、はなやかでいい香いのする薔薇の肌の、いつも小声で鼻唄をうたっている、かあいいおしゃまな町娘とくらしているような、それで、月日もうかうかと、浮足立ってすぎてしまいそうなところである。
・・・・・・パリの人たちは、いつになっても、コーヒーで黒いうんこをしながら、すこし汚れのういた大きな鉢のなかの金魚のようにひらひら生きているふしぎな生き物である。
長夜の夢からまださめきらないのだ。
第一あのP音の多い、人を茶にしたとぼけたフランス語を使いながら、あけくれ女の尻から眼をはなさない男たちや、男の眼でくすぐられている自覚なしではいられない女たちが、ふわりふわりとただよっているこのフランスの都は、立止って考えるといらいらする町だ。
頭を冷やしてながめれば、この土地は、どっちをむいても、むごい計算ずくめなのだ。
リベルテも、エガリテも、みんなくわせもので、日々に、月々に、世界のおのぼりさんをあつめる新しい手品に捺す古いスタンプのようなものだ。
騙されているのは、フランス人じじんもおなしことで、騙している張本は、トゥル・エッフェルや、シャンゼリゼや、サクレ・キュールや、セーヌ河で、そんな二束三文な玩具を、観光客は、目から心にしまって、じぶんもいっしょの世界に生きている一人だったと安心するのである。



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