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小田実の旅 その2

 『原点からの旅』小田実著より

 なんにもないところへ行こう

 たとえば、私がAというところへ行こうとする。
 すると、すぐ人が言い出す。
「あんなところ、なんにもないじゃありませんか。行っても仕方ない。」
 これはそのAというところが一つに国であっても同じである。外国を旅していて、私はこれまで何度そんなことを、さまざまな国のことばで言われたことか。
「あんな国、なんにもありまへんで。何しに行きはりますねん。」
・・・・・・・・・・
 どうして、ある国、あるところになにかがあって、べつのある国、あるところがなんいもない国、なんにもないところであるということになるのか。
私には、それはどうしても解しかねる問題である。
 そのなんにもない国、なんにもないところにも、人はたいてい住んでいて、住んでいれば、それはもうなんにもない国、なんにもないところではない。
と言うよりは、なんにもない国、なんにもないところであるわけにはもういかない。
人が住んでいるということは、なんにもない状態の反対であるなにかがある状態を不断に形成していることであって、その形成を時間のひろがりのなかに入れて考えれば、それは歴史というものになるだろう。
そして、歴史がそこにあるということになれば(たとえば五年の歴史であろうとそれは歴史であり、歴史はまたべつの歴史とつながっていて、すべてはズルズルと連鎖状を呈して来る)、もうかるがるしく、そこを、なんにもない国、なんにもないところ、などと定義することはできない。
 私は国についても、ところについても、なんいもないと称されているところへ行くのが大好きな趣味の持主である。
いや、趣味と言うよりは、生まれついた性癖というものであるかもしれない。
たとえば、名前にひかれることがある。
それではるばるとバスも行かない道のどんづまり(つまり、そのはては海である)に寒村まで足をのばしたこともあった。
たとえば、そこへ行く地図上の鉄道のかたちがあまりにクネクネしているゆえに、私はただそのためだけ、そのなんにもないところへ出かけたこともある。
・・・・・・・



これから、旅に出ようとしている友人に、
「あそこ、見るもの、何にもないんじゃない?」
「エッ!あんなとこ、何しにいくの?」

 こんな言葉を言ったことがあるのではないだろうか!

 そのイメージ自体、自分の実経験ではなくて、外から入ってくる情報でつくられていることが多い。
そして、その外から入ってくる情報自体、作為的に宣伝されたものが多い。


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