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鎖国時代の旅

驕れる白人と闘うための日本近代史
ドイツ語原書著 松原久子
田中敏(訳)

 
  日本の農民に課せられた最も重要な拘束は、他の土地で働くために村を出ることが厳しく禁じられていたことだった。
 町へ引っ越すことも、他の村へ移り住むことも許されなかった。但し、結婚による移住は例外だった。この拘束は鎖国時代の間ずっと続いた。
 幕府が安定を確保するために発令したこの厳しい規則から、旅も禁じられていたのではないかと推測するのは間違いである。全くその反対である。旅は非常に盛んだった。旅をしたい者は、単に村役人に届け通行手形をもらえばよかった。届出は法律によって義務付けられていた。申請者の名前を書き、目的、旅の期間を公の登録簿に記入しなければならなかった。
 旅のほとんどは有名な神社仏閣のある巡礼地への参詣であった。巡礼地は全国に何百とあった。知らない土地を見て回り、どのような農業を営んでいるかを見学するために旅をする農民も多かった。いうならば研修旅行である。
 保存されている村の記録によると、どのくらいの人数の人たちが毎年どこへ旅をしたか、かなり正確な数字を知ることができる。豊作で、特に心配する問題のない年には三百万から四百万人の人たちが日本各地から伊勢神宮に「お伊勢参り」に出掛けた。約一千万人が、つまり総人口のおよそ三分の一の人々が、どこかへ旅行をしていたという年もあるのである。
 このようにたくさんの農民を旅に駆り立てたものは何だったのか。もちろん見知らぬ土地で、日頃の羽目をはずして遊びたい気持ちはあったに違いない。しかし同時に盛んだったのは学習欲である。
彼らは他の土地の農民はどのように田を起こし、肥料をやり、耕しているか、どんな種類の米を選んでいるか、どんな野菜類がよくとれるのかなどが知りたかった。どんな桑の木が蚕を育てるのに一番よいか、どんな蚕の種類が最高の生糸をつくるか、綿花から最も柔らかい糸束が採れる地方はどこか、どこのお茶が風味があるか、どこのミカンが甘いかを見聞したかったのである。農民たちはいつも新しく改良された米、野菜、果物や蚕の品種を探し求めていた。
 旅の費用は大体どこの村でも全村をあげて積み立てが行なわれていて、そこからこのような研修旅行の費用が出された。村人は全員、協議・議決権を持っていて、今度は誰が旅に参加するかを決めた。
この驚くほど民主的なやり方は、どうしたらグループ旅行に必要な費用をできるだけ負担少なく調達できるかを考えた末の知恵である。こういうやり方によって村人たちの連帯感が強化された。旅をすることができた者は、持ちきれないほどのお土産を持って帰ってきたのである。
 事実上、何の制約もなく全国を移動できる自由は、日本を均質的な国にすることに大いに寄与した。
農業の発展につながる情報は、旅をした農民たちによって短期間のうちに各地に広がり、試験的に実験された。
どの農具がどういう土質の土地に通しているかとか、害虫駆除の一番よい方法とか、肥料の撒き方とか、綿や茶、桑の木はどういう土地が適しているか、あるいは当時日本で栽培されていた二百四十種類以上の米にはそれぞれどういう特徴があるかなど、『農業全書』や『養蚕秘録』のように詳しく記された古い書物が残っていて、今でも読むことができる。
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