Home *  * All archives

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
tb: -- |  cm: --
go page top

森井眞と石原慎太郎

 石原慎太郎都知事というのは、なんであんな高飛車なしゃべり方をするのだろう。
弟の裕次郎でさえ、あんな高慢なしゃべり方はしてなかったので、あれは石原家の伝統ではないのだろう。
自分自身で考えついたしゃべり方なんだと思う。
その遠因は、あの喋るときに、目をパチクリすることと関係があるのかもしれない。
一般的に、あのパチクリ目は自己保全のための精神的調整だろう。
「弱い犬ほどよく吠える」というが、それに近いのが石原慎太郎都知事かもしれない。

石原都知事定例会見 2009年10月23日放送


反骨心を持った知的なブルジョアを演出したいのだろうけど、年の功には勝てないのか、幾つかの定例記者会見を見てみると、けっこう間違ったことをしゃべっている。(リチャード・ギアをロバート・ギアとか)

そういえば、旅行会社や添乗派遣会社にも、目をパチクリする人がいる。
この方々も、石原都知事同様、えらく高飛車なしゃべり方をする。同じ精神構造でできているに違いない。
その高慢なしゃべり方に本人は満足しているのかもしれないが、対面する方は無駄なパフォーマンスに飽き飽きしているが無視するわけにもいかず、仕方なくつきあっているのだ。


その石原都知事型の対極に位置するのが、音楽プロデューサーの酒井政利氏である。
音楽プロデューサーとして有名な酒井正政利氏は、心理カウンセラーでもある。
テレビに登場するときの彼の穏やかで冷静なしゃべり方を聞いていると、内容の信頼性も増してくるから不思議だ。
この人なら信用できる!と思わせる。
添乗員なら、この人をお手本にするべきだ。
下記の文章を是非参照してほしい。

『コンプレックスをバックに入れて』酒井政利著 工作舎発行より

 
 かりに今、人と人との関わりを「人・人」と記してみます。
この「・」の部分に位置するのがわれわれプロデューサーの仕事です。
「・」の位置に立たされている人間にとって大切なのは、やや言い古されたことばですが「気配り」にほかなりません。といって、過剰な気配りは相手を疲れさせるだけ。
だいたい、相手にこの人は私に気をつかっているなと感じさせるようでは気配りとはいえません。

 人と人との関係を100とした場合、理想的な割合は51対49」の比だと私なりに考え、心がけてきました。少し相手を立て、少し相手に譲る。つまり私が49で、わずかに引くのがよい。
「51対49」のわずかな差が、互いにほどよい緊張感を保つのです。
 では「70対30」くらいに、相手を大いに立ててみたらどうでしょう。
こうした場合は、ある時期の人間関係がうまくいっても、一過性のものでしかないような気がします。
なぜなら、あまり相手を立て過ぎたり譲り過ぎたりすると、こちらを見る目を緩めてくるからです。
明らかに見下してくるのがわかってきます。
この人は勉強が足りないのではないか、この人と仕事をしていても、何の情報も得られないのではないか・・・と。
「51対49」なら、双方に気配りもあり、ほぼ互角の関係にあります。
仕事ではうまい具合に触発し合えて、時に二人であって三人の力を発揮することにもなるはずです。
 
 もちろん例外もあります。
たとえば、恋人同士を想定してみましょう。どんなカップルにも蜜月があって、相手を充分に敬い大切にします。
相手を70、自分30としてもうまくいくのが恋人時代です。
ところが、結婚していっしょに暮すようになったとたん、性格の不一致であるとか、価値観の相違に驚いたという話をよく耳にします。
これは、やはり初期の恋人時代に問題があったとしか思えません。
どうか蜜月のときこそ、時には心を鬼にしてでも「51対49」の緊張感で相手と対峙してください。
その緊張感が、相手を見る目を鋭くします。

 余談ですが、蜜月三年、六年といいます。だから危機は四年目とか、七年目におとずれるのです。緊張感が解けてきて、「七年目の浮気」となります。
今の会社を辞めてどこか別のところへ、というのも六年半とか七年目が多いのではないでしょうか。
三日坊主ということばが象徴しているように、三の倍数の頃からがそろそろ危ない。

 自然の成長や実りに旬があるように、人の一生にも旬の時があります。
とれたての果物の新鮮な表皮が、しばらくみずみずしいのと同じように、人間も旬の時は黙っていても美しい。
しかしそうした生成の旬は、やはり一時的なものでしかなく、持続はできません。
だからこそ、どこかで年輪という深みを感じつつ、しだいにゆるやかになる自然の流れに身をまかせたいという思いに抗して、ピリッと緊張感を取り戻したいものです。

 ほどよい緊張は、細胞までも活性化させて、その人の輝きを増します。
「51対49」は、そんな美しい関係性の目安といえます。



石原都知事のもう一つの問題は、その思想である。
支配欲へのエゴイスティックな憧れが、強者願望へ、そして暴力的言動へと続いているように思える。
そこには、弱者への共感的視点は生まれない。もし、弱者への視点があるとすれば、自分に奉仕するかぎりにおいてである。
会社の経営者の中に、この思想の者が結構いる。

 この思想の対極にいるのが、森井眞明治学院大学元学長である。
私の尊敬する文人であり旅人であった島崎藤村も明治学院大学の出身であった。
学問の粋である大学の長として、森井眞氏はとてもふさわしい人だったと思う。
この考え方こそ、グローバルそのものである。
私の経験からいって、すべての国の民から愛される思想で、その考え方の者を決して排除することはない。

*http://www.youtube.com/watch?v=rou1w5s0A14&list=PLEDEE038CC12394EB&index=1



スポンサーサイト
tb: 0 |  cm: 0
go page top

新着記事+関連エントリー

カレンダー

カテゴリ

最新コメント

プロフィール

ブログ翻訳

旅行業の本

添乗に役立つ本

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。