Home *  * All archives

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
tb: -- |  cm: --
go page top

島崎藤村の『無常』

 
先月、カナダのバンクーバーから帰国した人と一緒に、桜の花見に行った。
丁度、バンクーバーでも桜をみてきたらしい。
カナダのバンクーバー、アメリカのワシントンは、日本から友好の印に送った桜(ソメイヨシノ)がしっかりと根付いてとても綺麗な花を咲かせている。その他、中国やヨーロッパでも桜はポツポツと見受けられる。

Washington,USA
ワシントンの桜

その人は、
「バンクーバーの桜も確かに綺麗です。でも、日本で見る桜がやっぱり最高ですね。
ホッとします。何故だろう?」としみじみと言った。

また、この季節、「桜まつり」で各地が盛り上がっている頃、自殺者も急増するらしい。
実際、「桜」を見ると、うつ病が悪化する人を知っている。
「桜」は、うつ病患者に何かを誘引するのであろう。

日本人にとって、桜は、春に美しい花を咲かせるだけの樹木ではないのかもしれない。



『エトランゼエ』島崎藤村著

『旅の鞄の中に「芭蕉全集」を入れて参りました。そうした客舎で「奥の細道」などを読んで見ることは、それが自分に不思議な力と暗示とを興してくれるばかりでなく、叉国の言葉の有難味を味わうというばかりでなく、自分等の国の方のことと当地にあることとを比較して見る便宜にも成るのです。
私は自分で自分に問いました。
芭蕉の書いたものには無常迅速ということがある。
幻住ということがある。
それから起る哀しみ、敬虔な気分などがあらわれている。
一体、東洋の方で自分等の無常観をそそるような外科医の現象がやはりここにも有るだろうかと。
ここには四季の風物が実に静かに推し移ります。
故栗本鋤雲翁が「曉窓追録」中に、いわゆる「秋、度雁を聞かず、春燕来らず」です。
町の並木は森のように茂っても蝉(せみ)一つ鳴くのを聞きません。
蝶もめったに来ません。
蛍も見かけません。
夜明がたに鴉が鳴いて通り、日の輝いた町の空に蜻蛉(とんぼ)が群れ飛ぶような光景は、ここには見られません。
あらゆる秋の悲しみをあつめたような蟋蟀(こおろぎ)の歌が縁の下の方から通って来るなぞも、この石づくめの町には無いことです。
ここには強い線があります。
硬い質があります。
垣根や葡萄棚のようなものまで鉄製です。
一切が実に頑固で永久的です。
人の心の傷み易くさせるもの、センチメンタルにさせるもの、あるいは深くも浅くも無常観をそそるようなもの、そういう外界の現象がどうもここには少ないような気がします。』(仏蘭西だより)
 私はよく自分の部屋の窓の近くへ芭蕉の全集を持って行って、風の入る涼しいところであの夏の部なぞを読んで見た。
ポオル・ロワイヤルの石の町へもにわかに暑気が訪れて来れば、短か夜という感じのする晩も多かった。
私は独り窓のところで『月はあれど留守のやうなり須磨の夏』という芭蕉の句なぞを口ずさんで見て、旅を棲家とするものの苦しみと、あの句に籠る深い空虚とを味わった。



スポンサーサイト
tb: 0 |  cm: --
go page top

新着記事+関連エントリー

カレンダー

カテゴリ

最新コメント

プロフィール

ブログ翻訳

旅行業の本

添乗に役立つ本

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。