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ポール・セローの魅力

旅行作家ポール・セローが好きだ!
旅で出会う日本人旅行者のことをけっこう皮肉をこめて描写している。
自分のことを言われているみたいでちょっと「エッ!」「ナニ!」と思うけど、また彼の旅の世界に溶け込んでしまう。

その微妙な気分を、作家・村上春樹さんが、『ワールズ・エンド』ポール・セロー著のあとがきで、的確に解説してくれている。

ワールズ・エンド(世界の果て) (村上春樹翻訳ライブラリー)ワールズ・エンド(世界の果て) (村上春樹翻訳ライブラリー)
(2007/11)
ポール セロー

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 お読みいただければわかるようにここに登場する人々がそれぞれの〈世界の果て〉で対面するねじれは、あるときは遠い雷鳴の如く宿命的であり、またあるときにはあきれるばかりの一瞬のファルスである。そして多くの場合、そのねじれの中に立って茫然としている彼らをそのままに残して話は終る。何故ならそのねじれは外的なものであると同時に内的なものでもあるからだ。異国を触媒としてそこに噴出してきたものは彼ら自身の内なるothernessであったからだ。
このothernessの認識は本書だけでなく、セローの作品に一貫して流れるテーマ、モチーフと言ってもいいだろうと思う。実際の話、彼はアメリカ人でありながら、アメリカを舞台とした小説を殆んど書いていないのである。そういう意味ではセローはwriter in exile(異郷の作家)というアメリカ文学のひとつの系譜の流れを汲む作家として捉えていいかもしれないし、またコンラッド=モーム=グリーン世界の〈養子〉として捉えることも可能であるかもしれない。あるいはその中間あたりということになるのだろうか。『鉄道バザール』(講談社)をお読みになればわかるように、異郷を見る彼の目はモームの如くクール(ペンギンブックスのコピー)でありながら、その底にはアメリカ人が外国を見るとき特有のあのわくわくとするような熱い好奇心が脈打っているのである。不思議といえばかなり不思議な位置にいる作家である。決して新しい文学フォームを志向してはいないのだが結果的には〈フォーム前衛〉よりかえって鮮明に時代を切り裂くという部分があるし(その最良の例は『モスキート・コースト』であろう)、そういう点ではジョン・アーヴィングやレイモンド・カーヴァーの文学的孤立性と共通するところがあるかもしれない。僕は正直に言ってどうもその手の作家にひかれるようだ。
僕が考えるセローの短編の魅力は、その小説的状況を把握するグリップの強さであり、ツイストの巧みさであり、最後にふっと読者を放り出すときに感じさせるある種の無力感である。・・・・・

セローの小説は多かれ少なかれ我々に居心地の悪い思いをさせることになる。それはおそらく「何かが間違っているのだけれど、何が間違っているのかがつかめない」という居心地の悪さである。何故その間違いがつかめないかというと、それは彼らが〈異国〉にいるからである。人々はまだ〈異国〉のルールを十分に理解することができず、それで彼らは混乱し、怒り、怯えているわけだ。そして彼らの混乱や怒りや怯えはどことなくclumsyで(みっともなくて)、そのみっともなさが我々にかなり居心地の悪い思いをさせるのである。その居心地の悪さはある場合には悲劇に終るし、ある場合には喜劇に終るし、ある場合にはその中間地点で終息する。



特に後半部分
『・・・セローの小説は多かれ少なかれ我々に居心地の悪い思いをさせることになる。それはおそらく「何かが間違っているのだけれど、何が間違っているのかがつかめない」という居心地の悪さである。何故その間違いがつかめないかというと、それは彼らが〈異国〉にいるからである。人々はまだ〈異国〉のルールを十分に理解することができず、それで彼らは混乱し、怒り、怯えているわけだ。そして彼らの混乱や怒りや怯えはどことなくclumsyで(みっともなくて)、そのみっともなさが我々にかなり居心地の悪い思いをさせるのである。その居心地の悪さはある場合には悲劇に終るし、ある場合には喜劇に終るし、ある場合にはその中間地点で終息する  』

 これは旅行者皆の気分ではないか。
 
 ポール・セローのベストセラー『鉄道バザール』のなかで、中国を汽車で旅する場面がある。確かその中で、セローが中国人乗客に、「日本が嫌いでしょ?うらんでるでしょ?」と何度も聞く。まだ、バリバリの社会主義国家だったころの中国でである。乗客が「そんなことありません」と必ず応えるのをセローは納得できないのだ。
 混乱し首をかしげている情景が目に浮かんでくる。


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見知らぬ土地で、寝る、食う、遊ぶを若いうちにやっておくべき

終末の思想 (NHK出版新書 398)終末の思想 (NHK出版新書 398)
(2013/03/07)
野坂 昭如

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 今は文明の利器のおかげで、指一本で世界と繋がる。男も女も年齢も国も問わず、やりとり出来るのは非常にいいことだ。だが、国境が波打際のわが方において、文化の異なる人たちとは、根本的な違いもある。これは致し方ないこと。
 見知らぬ土地で、寝る、食う、遊ぶを若いうちにやっておくべき。行ける時に外国へ行った方がいい。これはツアーじゃ駄目。自分ですべて心を配り、危ない所を認識。たとえこっちが避けていたって、危険が及ぶ時もある。そのため逃げ方も身につける。自分独自の危機意識を養うチャンスだ。

 あとは恋をすること。
 若いうちは気持が不安定。自分を見つめることなど出来ない。それでも見つめざるを得ないのが恋である。他人の存在が自分の確かめとなる。片想いだろうが両想いだろうが、恋には表現が必要。昔から恋唄はすべて美しい。悲惨な結果であろうと、実を結ぼうと、若いうちにときめきやら、やるせなさを感じることが、その後を実り多きものにする。
 何でも受け身になるな、そして、物などにとらわれるな。

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自らにふさわしい「楽園」を選ぶ旅


五木寛之著『選ぶ力』より

 ブッタは、霊鷲山を自分の「楽園」として、、晩年を過ごしていました。そして、八十歳の時、「楽園」を飛び出し最後の旅に向かいました。ガンジス河を越えた長い長い旅でした。旅の途中で弟子たちに、自分はもう長くないと伝え、彼らを悲しませたりしています。そして、予言の通りクシナーラーという場所の林の中で、彼は亡くなりました。これは覚悟の旅だったのです。死出の旅路だったと言い換えてもいいでしょう。
 「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」という松尾芭蕉の句があります。これもまさに死出の旅への覚悟をうたったものです。それは、物理的な旅に出るということだけではありません。自分の死期を悟ったときに、次第に枯れるように命が消えていく。それもまた旅の形態の一つなのです。
 繰り返すようですが、「楽園」は、いつか必ず終わりがきます。その時をどのように迎えるかを考えずして、「楽園」での生活を謳歌することはできません。高齢者となった私たちは、自分の「身体」と「心」と会話を交わしながら、自らにふさわしい「楽園」を選ぶ旅を続けなければならないのです。

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すべてふるさと・・・


すべてふるさと (1980年) (中公文庫)すべてふるさと (1980年) (中公文庫)
(1980/07)
岡田 喜秋

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あとがきより


 誰にたのまれるということもなく、に出たくなる私の気持ちは、二十歳前後からの半ば生理といったもので、以来、心ひかれる先は変わっても、今日までつづいている。
 は、年齢によって、受けとるもの、感じとるものがちがってゆく。若い頃は世俗的なものを嫌い、しばしば大自然などをあこがれるが、ある年齢に達すると、解放感を求めて行ったはずの自分が、日常生活と変らぬ対象をみて、失望したりもする。とは、自分を写す「鏡」のような面をもっている。  
 私は、に出るたびに「ふるさと」を持たない自分を感じてきた。しかし、それ故に他郷が魅力的にも見え、同時に、盲点も指摘できるような気がする。一部の人にとってはあこがれの先である「さい果て」の地が、そこに住む人にとっては、どこかへ引越したい場所であることもあれば、大都会の一隅に生を受けて、こんなところは、結局「仮住い」の地にすぎないと思ってみても、別に帰るべきところはないというのが現実であろう。
 私のようなものにとっては旅すること自体が、ふるさとへの憧憬であり、同時にそこで接する土地、生活に、それぞれの人のふるさとを感じる。しかし、それは結果であって、おこなわれたものは、旅であった。
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旅が教えてくれたもの



ホテルアジアの眠れない夜 (講談社文庫)ホテルアジアの眠れない夜 (講談社文庫)
(1994/06)
蔵前 仁一

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あとがき より
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●「インド病」という相対化
 僕はそのインドでの体験を本にまとめるに当たって、インドに夢中になってしまうことを「インド病」と書いた。これは僕が作った言葉ではなく、インド好きの旅行者がよくいう言葉だ。
 だが、本当はこの病気は、何もインドを旅したときにだけかかるとは限らない。ある人は中国でかかってしまうだろうし、アフリカでかかってしまうかもしれない。その場所ごとに「中国病」とか「アフリカ病」とか名前が変わるかもしれないが、本質的には同じものなのだ。
 僕がインドで味わった体験には、日本を出て生まれて初めて知った強烈さがあった。何もかも日本と違うように感じたからだ。それまでずっと日本で暮らしていて、それで充分満ち足りていたので、日本の生活をごく当り前のように感じていた。だいたい 「生活」とはそのようなものだ。いちいち自分の「日常」に異常さを感じていたら、暮らしていくことはできない。
 ところがインドに行って、その日常感覚がいっペんにぶっとんだ。あまりにも何もかもが違う(ように感じた)世界を知ると、日本とインドを比較しないわけにはいかなくなり、あげくの果てにはどっちがマトモなのかわからなくなってきたのだ。それで、何かにつけて、「インドじや、そうじやなかった」だの「インドでもそうだった」だの口走るので、周囲のひんしゅくを買うことになってしまった。僕はこれを「インド病」と呼んだ。
 しかしこれはごく当然のことであった。初めて日本とは違う世界のあることを知ったのだから、もう日本を絶対的に正しいと思うことなどできなくなったのだ。日本がどのように存在し、日本人がどのように暮らしているのかということが、インドを旅してわかってきたのだ。よく「洋行帰り」が「おフランスでは、そんなことは御座居ませんことよ」とのたまってバカにされるという笑い話があるが、僕は自分が「インド病」にかかって初めてこの気持ちを理解することができた。
 だからといって、すべてインドやおフランスが正しいといっているのでは無論ない。そのどちらもが相対的なもので、絶対的に「正しい」ということなどありはしないのだ。

●「正しい」とはなんなのか
 そのような訳で、僕は一度「正しさ」というものをなくしてしまった。これはなくしてしきうとわかるが、かなり居心地の悪いものでもあり、気楽なものでもある。僕が学生だった頃は、よい成績を取るのが「正しい」ことだった。いうまでもなく、これは今の僕にすれば「クソ」である。なんの役にも立たない。なぜなら成績がいいか悪いかが問題になるのは、学校という特殊な世界の中だけであり、生活していくには、そんなもの単なる「飾り物」にしかならない(にもならない、ともいえる)。こんなことは何もインドくんだりまで行かなくても、学校を卒業すれば誰にでもわかることだ。成績の悪いのを気にするなんてのは、実をいえば人並から外れるという不安感の方が大きかったためだ。しかし「人並」なんていう「標準」も「正しさ」も、本当はこの世にはない(「勉強」するのはもちろん無駄ではない。もしその人が受験のためでなく、楽しんで学んでいればだが)。
「正しさ」なんてものは決して一様ではない。あれが正しいという人もいれば、それは間違っているという人もいる。そのどっちが正しいのか、なんて人に聞いても答えは出ない。自分にとっての「正しい」ことを自分で捜すしか手はないのだ。つまりそれこそが、自分自身であるということに僕は気づいたのだった。

●旅が教えてくれたもの
 結局、旅はインドのことでもなく、中国のことでもなく「自分自身のこと」を教えてくれた。そしてそれは、自分の住む日本のこと、友人のこと、家族のこと、つまり「社会」 の有り様でもあった。
「世界」にはいいことばかりではないが、いろいろな人が暮し、様々な価値観がある。世界を旅して、そこで生きるということは、その多様さを認め、尊重していくことでもある。それは翻って、日本で生活していく場合にも当てはまることではないかと思う。本当にいろいろな暮しや生き方がある。それだからこそ、世界はおもしろいし素晴らしい。
  旅は、僕にそのようなことをずっと伝え続けてきた。
  旅に出たい。僕はいつもそのことばかりを思い続けている。それはおそらく、自分自身を見失わないためなのかもしれない。



添乗員にとって大事なことは、日本と訪問国の「正しさ」をよく認識し、そのバランスをうまくとることだろう。

「日本では・・かもしれませんが、こちらでは・・・ですね」
「こちらでは・・かもしれませんが、日本のほうがいいかもしれませんね」
と、両者の「正しさ」=価値観を客観的に提供するのは、けっこうむずかしい。
どちらかに、偏った添乗員やガイドとよく遭遇する。
そのたびに、我をふり返るようにしている。



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