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シリアの不思議

出口の見えないシリア・・・
アサドの政府軍と自由シリア軍、アルカイーダ、ISIS(イスラム国)と・・・・
どうなっちゃてるんだろうと思う。

そもそも3年前、チュニジア、エジプトなど『アラブの春』に触発された民衆デモだったはずだ。
それがあっという間に、泥沼の戦闘となった。

首相官邸前の原発反対デモが、あっという間に、自衛隊を打ち負かしてしまった!
ようなものではないか。

そんなことがあるのだろうか?
そもそもシリアの反対勢力として力を持っていたのは少数民族のクルドぐらいだったはずだ。
クルドは迫害の歴史があるので政府に反対する理由はある。だけど、とても小さなグループではないか?
一方、シリア政府軍は、中東で3番目という強力な軍備力をもつ。
*アラブ10大軍隊(中東の窓)
イスラエルと対峙し、レバノンを支配している軍隊だ。

政府のそんな軍隊にどうやってたかがデモ隊が太刀打ちできるのだろうか?
不思議だ。
常識的に考えれば、中東3位のこのシリア軍と同等力のデモ隊がいた!ということだろう。
武器の持ち方さえ判らない一般市民のデモ隊でないことは確かだ。
となると、相当量のよそ者と武器が短期間(もしかしたら事前)に、外部から持ち込まれたとしか考えられないではないか!

もちこまれた場所は、以前から言われているように、トルコ国境なのだろう。当初、東側(クルド)だったようだが、今は地中海側(西側)のようだ。
もちろん、トルコが了承していなければ無理だ!
また、トルコに軍事基地を持っているアメリカが納得しなければ駄目だろう。

ウサマビンラディンをあれだけ追い詰めたアメリカが、シリアの国境を野放しにしている。
イスラム国などの資金源をなぜアメリカは凍結しないのだろう。

不思議だ。

トルコのエルドラン首相(大統領)はシリアとも友好的だったはずだ。

やはり不思議だ。

イスラム国にこんな力があるなら、どうしてパレスチナのために動かなかったのだろうか?
イスラエルには入っていかない!

不思議だ!


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中東のゴールデンルート

中近東のゴールデンルートの一つ。
シリア、ヨルダン、レバノン、3国を10日間で廻るコース。
2011年の1月、シリアで内乱が起きるまで、人気コースだった。
テロや自然災害とも関係なく、親切なガイドとともに、比較的、快適に旅行が楽しめた。

基本コース
*日本からレバノンの首都ベイルートへ。
*ベイルートからバスで、アンジャール遺跡、バールベック遺跡、4号線を北上シリア入国後、ホムスへ。
*ホムスから世界遺産クラックデシュバリエ、パルミュラ遺跡、首都ダマスカスへ。
*ダマスカスから南へボスラ遺跡、ヨルダン入国後、首都アンマンへ。
*アンマンから死海、ぺトラ遺跡、(ワディ・ラム)、・・・日本へ。

map[112]
ツアー例
*西遊旅行 シリア・ヨルダン・レバノン10日間


シリアへ入国することは、今、不可能となった。
世界遺産だった観光地は、破壊されてしまった!

krak-de-chev-[1]
世界遺産クラックデシュバリエの城に爆弾が降り注ぐ!

palmyra[1]
世界遺産パルミュラにも戦車が・・遠く山頂にシタデルが見える。

palmyra-fallen-column.jpg
世界遺産パルミュラのベル神殿にも傷跡が・・・

A-street-in-Homs-Syria-in-001[1]
古都ホムスは一番最初に市街戦にまきこまれた。


人が生き延びるために破壊されたのならそれは仕方ないとも思えるが・・・・
テロリストは遺跡(文化財)を略奪し密売することで武器を買う資金にしているという!

パルミュラの遺跡がレバノンの闇市場で売られている!
*http://thesyriantimes.com/2013/05/07/syrians-loot-roman-treasures-to-buy-guns/

一日も早く戦いが終わってほしいと思う・・・・
しかし、壮絶な内戦をくぐりぬけたカンボジア人の目は今でも暗い・・・
シリア人は今後どうなるのだろうか・・・

niclas-hammarstroem-aleppo.jpg
*Swedish photographer gets UNICEF prize for Syria image
niclas-hammarstroem-aleppo5-jpg-data[1]





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中世イランの町々

イブン・フンドゥクが12世紀後半に編纂した『バイハクの歴史』より・・・
*UTCPイスラーム理解講座第4回 イスラーム的学知の担い手たち:12世紀東イランのある博学者の肖像

それぞれの町々の特徴を書き記している。

ギリシア・・・哲学者
ハッラーン・・・金細工師
イエメン・・・織物師
バクダード近郊・・・書記官
サマルカンド・・・紙すき工
トゥース・・・アイヤール
マルヴ・・・詐欺師
ブハーラー・・・美しい顔つきのもの
チーン・・・賢いものと絵描き
トルコ人・・・矢の名手
ガズナ・・・名誉あるもの
ヒンド・・・手品師
キルマーン・・・貧民
ファールス・・・クルド人
コンヤとアンカラ周辺とルーム方面・・・トルコマーン
ディーナワル・・・スーフィーたち
レイ周辺・・・盗賊と隠れ潜むもの
ホラズム・・・美食家と節度あるもの
バイハク・・・文人


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菅総理とインドのリキシャマン

  海外ではよく騙された。
 わたしが海外で使ったお金の半分は騙されたのではないか?とさえ思える。はっきり騙されたとわかるものもあれば、今でもどちらかわからないものもある。

 とくにインドでは・・・・
 金額的にはたいしたことはないが、回数的には日常的に騙されていた気がする。この国にはマジメな人はいないのか?と本気で思ったぐらいである。
 ただ、毎日、騙されていると、しだいに、そのリスクをコントロールする技術を身につけてくる。
 「これぐらいの騙され金なら、妥協するか・・・・」
 「今回の騙し方はなかなかじゃないか・・・・」
 「このインド人は、まだまだ修行が足りないなあ・・・」
 など、余裕を持って、騙されるようになる。

 そこまで騙すインド人に慣れていても、たまに、相手を信用して大きなショックを受けるときがある。
 しばらくは、憎しみと放心状態が交互に続く。そのうち、騙すより騙される方がいい、騙されまいと身構える旅はできないのだから、こういうことも仕方がない、と自分をなぐさめるようになる。

 毎日騙すことが趣味のインド人が騙すお金は、せいぜい何ルピーだ。
 今回、菅直人が騙し取ったのは、政権!そのものだ!
 今までもペテンまがいの詐欺を繰り返した菅直人なんだから、信用してはいけなかったんだろうけど、詐欺師特有の弁舌に鳩山前首相はコロッとだまされてしまった。

 まあ、騙されたのは無理もないかもしれない。

 鳩山氏は、会見で、「党員の中には(首相の退陣時期が)あいまいではないかという気持ちもあったと思うが、政治家同士だから口できちんと約束したことは守るのが当たり前の話だ。それができなければペテン師だ。今でも信じている。辞任することが2人の間の確認だ」といった。

 鳩山前首相は、菅直人を政治家だと思ったのだ。
 だから、信用した。当然だ。

 しかし、彼は、政治家ではなく、それ以前にペテン師!だった。
 コソドロ並のペテン師だろう!胆力は0の・・・・・
 インドのリキシャマンと同レベルの・・・・

india34.jpg
危険な香漂うリキシャマンの後姿!このあと騙されるパターンだ!

kan22.jpg
お金を騙し取ったあとのリキシャマンのような笑顔!


 そうなると、インド人に騙され続けた私と同じように、国民は、「仕方ない」と思うしかないのか?
 それとも「二度と来ないこんな国!!」と叫ぶか?
 

 以下の菅直人の仲間であり、その後ホームレスになってしまった彼が、市川房枝氏擁立の際のエピソードを語っている。そのなかで、集合写真を撮るときに自分の隣りにいたはずの菅が、シャッター音がしたときにはいつの間にか市川房枝氏の脇で笑顔をふりまいているのにビックリした、といっている。自分のためなら、誰でも利用し、友を平気で裏切る・・・・・










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どうなる?中東

昔、バスに乗って中近東を旅した。

Wadi Ram1

中近東は、鉄道網はあまり整備されていないので、バスがもっともポピュラーな乗物であった。
長距離の路線バスに乗ると、アラブじゅうの老若男女と出会う。一番多い者は、出稼ぎの行き帰りの若者男子である。私のようなひとり者が一番に声をかけてもらえる現地人はこういう人たちであった。

最初は、皆同じに見えていたアラブ人も、長いあいだ一緒にいると、いろんなものが見えてきた。
こういうバスで、一番偉そうにしていたのが、サウジアラビアなどの湾岸の産油国の若者であった。同じアラブ人でもこの人たちは色が黒いのですぐわかる。バスの中まで持ち込んだ自分のプレーヤーで、音量いっぱいに音楽を聞きながら、前の座席に足をのせ、木の実のようなものを食べてはその殻をあっちこっちに吐き出していた。本人は至って上機嫌で悪いヤツには見えないが、「こいつ、脳みそあるのか?」と思っていたら、後々、他の国々の若者たちも皆、嫌っていることがわかった。
「カネは持っている、しかし、あのあたりのヤツは嫌なヤツが多い・・・」と、リビアの若者が言った。

tea1.jpg

しかし、バスが休憩所の茶屋に立ち寄ると、皆、この嫌われ成金の周りに集まって、チャイをすする。異人種である私もこのときは呼ばれる。このサウジ人以外は物静かである。再びバスに乗車する声があり、チャイのお金を払おうとすると、そばにいたリビア人が目で「必要ないよ」と合図した。すべては、成金サウジ人の若者が払うようだ。イスラムの社会では、こういう場で一番お金を持っている者がおごるのが当然の慣わしらしい。

私に声をかけ優しくしてくれるリビア人だが、どうも他のアラブ人からは低く見られているようだった。私からすれば、カダフィー大佐のリビアといえば、アラブの英雄ではないのか!と思っていたので、意外であった。カダフィーは、石油を武器に欧米と激しくやりあった男である。その国の若者が、今ヨーロッパの出稼ぎから帰るところだ。他のアラブ人もリビア人のことを尊敬しているのではないかと思っていたが、エジプト人などは、露骨に見下したような態度であった。エジプト人にとっては、リビア人は田舎者らしい。

そのエジプト人は、アラブでは最も進歩的と思われているようだ。アラブでは、アラビア語のエジプト方言が標準語のように扱われている。それは、エジプトがアラブ文化の中心という意味でもある。エジプトの音楽や映画がアラブ諸国の娯楽なのだ。中国語といっても、上海語と広東語では通じないように、アラビア語も西と東ではまったく通じないのだ。

また、エジプト人と同じように一目置かれていたのは、シリア人であった。ただ、シリア人はエジプト人より色が白く物静かであった。このシリア人とよく話していたのが、チュニジアの若者である。この2人の話している姿をみていると、今風のヨーロッパの若者が会話しているようにみえた。両国ともフランスの委任を受けたので、雰囲気もフランス人のように見えたのだろうか?

わたしは、このような人たちを見ながら、自分なりにアラブの地政学を考えていた。考えたというより退屈だから妄想にふけっていたというほうがよいかもしれない。
それは、第3次、第4次の中東戦争のことを・・・・
どちらの戦争も、エジプトとシリアが手を組んでイスラエルと戦った。
1967年の第3次は、エジプトの英雄ナセルとシリアが手を組んだが、なんと情けないことに、6日間で負けてしまった。
1973年の第4次は、エジプトはナセルが急死し副大統領のサダト、シリアはバース党のアサド、そして、直接参戦しなかったがサウジ国王ファイサルが意を決してOPECの石油禁輸を主導してくれた。そのおかげか、アラブ勢は、第1次以来、はじめてイスラエルに痛手を負わせることができた。勝負としては最終的に五分五分だったが、それでも、アラブにとっては一矢報いたという想いであったであろう。

私はバスに乗りながら、やはり、中東戦争よろしく、エジプト、シリア、サウジの声が大きいのか?と感じ入っていた。カネはないけど声の大きいエジプト人、カネも声もないけど、信条の強そうなシリア人、とにかくカネの力を見せ付けるサウジアラビア人・・・・・・・・・

アラブ人が「勝利」と今でも唯一自慢する第4次中東戦争後、エジプトのサダトはアメリカとの和平交渉をきっかけに、新米的になったいった。シリアは今までどおりバース党の理念、社会主義、アラブ主義的である。

かたやエジプトは親米、かたやシリアは親ソ、ナセルの築いたアラブ主義という名のアラブ連合体(エジプトとシリア)は、大国の思惑のまえで、風前のともし火となってしまった。サウジアラビアも一過性の反米という花火で終わった。それから現在まで、アラブ社会でもっとも従順なアメリカのポチとなってしまった。

「イスラム」ではなく「アラブ人」という名のもとに集結したはずであった。しかし、アメリカのぶら下げるカネと自由は、戦争で疲弊した国々に多幸感を与え「アラブの連帯」をうまく引き裂いていった。その多幸感がそのうち骨や脳みそまで溶かしてしまうとは知らずに・・・・

1979年、半分脳みそまで溶かされた国イランが、あぶないところで、エジプトのムバラクのように米国の庇護のもと私腹を肥やしていたパーレビ国王を、米国へ追い出し、どうにか自主を回復した。そして「イスラム」という名の下に新たな国家づくりをおこなった。
イランの勇気は、「アラブ」の枠をこえ、「イスラム」という名で、あらたに、シリアとの協力関係を生み出した。シリアではキリスト教徒も多く見かけるのだが、多数派はイスラム「スンニ派」だ。イランは、イスラム「シーア派」である。もともとこの2派は特に仲が悪いはずだが、シリアではその枠を超えた(イランは1979年の革命後、スンニ派のアフガン人も保護している)。この枠の中なら、トルコ系、ペルシア系イスラム教徒も入ってこれる。

そして、今まさに、エジプトが揺れている。
あの1973年、第4次中東戦争の英雄だったムバラクは完全に変節してしまった。
彼を追い出し、市民それぞれが威信を取り戻そうとしている。
エジプトが自立し威信を取り戻した暁には、長い間離れ離れになっていた兄弟シリアと再び強調していくことが考えられる。
この2カ国が手を結べば、中東は一つにまとまる。
それぐらい、今回のエジプトの政変は大きいのではないか。

そして、湾岸の国でも、市民デモが現体制を大きく揺るがしている。
バーレーン、イエメン・・・・・

Bahrain Protests1

もし、サウジアラビアにこの市民デモが飛び火するようなことがあれば、中東の国際情勢は一気に変わって行くのではないだろうか?


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